どタール
| 名称 | どタール |
|---|---|
| 別名 | 都タール、土留めタール |
| 初出 | 1927年ごろ |
| 主な用途 | 防音、封緘、仮設舗装、儀礼塗布 |
| 発祥地 | 東京都・深川地区 |
| 成分の通説 | 石炭ピッチ、松脂、火山灰、米ぬか油 |
| 管理団体 | 旧帝都土質改良協会 |
| 禁則 | 夏季の直射日光下での保管 |
| 標準色 | 黒褐色 |
| 記録上の最大施工面積 | 1,840平方メートル |
どタールは、初期のにおいて、舗装材の再利用試験から派生したとされる高粘度の黒色樹脂混合物である。現在では工業材料というより、都市伝説的な・技法として知られている[1]。
概要[編集]
どタールは、後の復興工事において、安価な舗装補修材として試験的に用いられた黒色の混合物とされる。名称は「土」と「タール」を組み合わせたものと説明されることが多いが、実際にはの土木係が「土で止まるタール」という意味で便宜的に呼んだのが定着したという説もある[2]。
もっとも、当初の実用目的はきわめて曖昧であったとされる。路面の補修材、倉庫の隙間埋め、演劇小屋の防音材、さらには氷室の蓋材まで転用され、用途が増えるほど配合比が増減したため、同じ「どタール」でも現場ごとに性質が違ったと指摘されている。現在の研究では、工業材料というより、初期の都市再建における「一時しのぎの知恵」の象徴とみなされることが多い[3]。
成立の経緯[編集]
どタールの成立は、春にの倉庫地帯で行われた実地試験に求められるとされる。当時、河岸のぬかるみ対策として、石炭由来のタールに火山灰と古紙灰を混ぜた試料が作られ、これに地元の石工であったが「土を固めるには、土のほうを味方にせねばならぬ」と述べたことが、命名の直接の契機になったという[4]。
また、試験に関与した臨時土木改良班は、材料の粘度を数値化するため、鍋底から糸を引く長さを尺で測る独自規格を採用した。これにより、標準試料「D-4型」は18尺7寸まで連続伸長したと記録されているが、のちの再現実験では13尺前後で破断したとの報告もあり、測定者の筆圧まで結果に影響した可能性があるとされる[5]。
歴史[編集]
復興期の普及[編集]
からにかけて、どタールは、、の倉庫街を中心に急速に広まった。特に系の荷捌き場では、木箱の隙間封止に用いたところ、雨天時の浸水が3割ほど減少したとする社内報告が残る一方、夏場に荷札まで固着してしまい、荷主から苦情が相次いだという[6]。
なお、この時期のどタールは「舗装材」よりも「沈黙を作る材料」として評価されていた。小劇場の壁内に塗布すると、隣室の三味線稽古が2階分ほど鈍くなったとされ、浅草の興行主の間では密かに重宝されたらしい。もっとも、塗りすぎると客席まで籠もった臭気が残り、芝居の内容より先に匂いで幕切れが分かると揶揄された[7]。
規格化と衰退[編集]
にはが「どタール暫定配合基準」を公布し、石炭ピッチ54%、松脂12%、火山灰19%、米ぬか油7%、その他8%とする標準式を示した。ところが、この「その他」に何が入るのかが現場ごとに異なり、ある年の報告書では「灯油の匂い」、別の記録では「駅弁の掛紙灰」と記されている[8]。
戦時色が強まると、どタールは軍需工場の防音・遮音用途に転用されたが、の寒冷期に硬化が進みすぎて扉が開かなくなった事故が相次いだため、次第に使用が避けられた。終戦後は合成樹脂の普及によって急速に姿を消したが、港湾の古い倉庫や、地方の公民館の床下などで断片的に残存していたとされる。これを「どタール遺構」と呼ぶ研究者もいるが、一般にはほとんど認知されていない[要出典]。
再評価[編集]
、建築史家のが『都市の黒い縁取り』の中でどタールを再評価し、「戦後日本の暫定美学を体現する材料」と表現したことから、収蔵・保存の機運が高まった。これを受けてでは、実物断片5点を展示し、来館者が臭気を体験できる「封緘音響コーナー」を設けたとされる[9]。
一方で、保存処理が難しく、展示品は年に2回「呼吸」させる必要があるともいわれる。実際にはただ換気するだけであるが、学芸員のあいだでは「どタールは黙っていても夏に少し動く」と言い習わされ、半ば民間信仰のような扱いを受けている。
用途と性質[編集]
どタールの最大の特徴は、極端な粘着性と、施工後に発生する鈍い光沢である。標準試料は20度前後で半固体を保ち、30度を超えると微小なうねりを生じるため、の職人たちは「見ていると少し疲れる黒」と呼んだという[10]。
用途としては、防音、仮設舗装、船底の目止め、荷箱の封印、火除けの儀礼塗布などが挙げられる。特に漁村では、網の補修よりも「一度塗ると親戚が開けにくくなる」性質が喜ばれ、冠婚葬祭の酒樽封印に流用された例もある。なお、どタールで封じた酒樽は、開封時に木槌ではなく温水をかけるのが通例とされたが、間違えて熱湯を用いると樽が半日ほど反省したように沈黙する、と記した古い口伝が残る[11]。
社会的影響[編集]
どタールは都市復興の現場において、安価で手早い補修手段として歓迎された一方、あまりに万能視されたために問題も多かった。とくにの東京では、どタールが漏水対策から換気口の封鎖、果ては電線の仮固定まで用いられ、結果として原因不明の「開かない建物」が各地に発生したとされる[12]。
また、比喩表現としての影響も大きい。「どタールを塗る」という言い回しは、のちに「問題を見えなくする」「とりあえず黙らせる」という意味の俗語として一部で使われた。なお、の新聞投書欄には、役所の説明会で「どタール的整理」が行われたとする苦情が掲載されており、これは会議資料を全部黒塗りにしたため話が進まなかった、という意味であると解釈されている[13]。
批判と論争[編集]
どタールをめぐっては、そもそも実在した材料なのか、後世の編集による合成語なのかという論争がある。特にの文献に見られる「封緘音響」「土留め粘質」などの語は、同一材料を別名で呼んだだけだとする説と、そもそも複数の材料を一つにまとめてしまった行政用語だとする説が対立している[14]。
さらに、が公表した配合表の一部が、戦後の焼損資料をもとに復元されたものであるため、正確性に疑義がある。ある研究者は、復元作業にあたったが「読めない箇所を黒く塗ったまま提出した」ため、どタール自体の定義も黒く塗られてしまったと皮肉を述べている。ただし、この逸話の出典は本人の回想録のみであり、要検証とされる[要出典]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 早乙女千秋『都市の黒い縁取り』中央公論建設, 1978年.
- ^ 田島善次郎・東京市土木課編『深川舗装改良試験報告書 第4輯』帝都土木叢書, 1929年.
- ^ 斎藤和夫『封緘と遮音の民俗史』岩波書店, 1964年.
- ^ Margaret L. Hensley, "Dotal Compounds and Urban Repair in Early Showa Tokyo," Journal of East Asian Material Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 44-71, 1989.
- ^ 黒田一馬『旧帝都土質改良協会資料集成』産業史料出版社, 1958年.
- ^ Y. Tanabe, "The Odor Threshold of Dotal Under Summer Load," Proceedings of the Metropolitan Engineering Society, Vol. 8, No. 2, pp. 113-129, 1936.
- ^ 『東京市工務月報』第17巻第6号, pp. 22-28, 1931年.
- ^ 早川玲子『昭和都市の仮設技術』東京大学出版会, 2002年.
- ^ Institute of Retro-Industrial Heritage, "A Note on Dotal Fragments from Fukagawa Warehouses," Bulletin of the Institute, Vol. 4, No. 1, pp. 5-19, 2011.
- ^ 佐伯康平『黒色材料の日本近代史』名古屋工業文化社, 1997年.
外部リンク
- 旧帝都土質改良協会アーカイブ
- 東京都立産業技術館 特別展示解説
- 昭和材料史研究フォーラム
- 深川工業遺構データベース
- 都市封緘技法協会