わざわいファミリア
| 分類 | 民間共同体・呪災運用団体 |
|---|---|
| 活動地域 | 、ほか |
| 設立の起点(伝承) | の「疫縁会」文書 |
| 代表的実践 | 不運の“家族会計”と“分担供養” |
| 資金の形態 | 月額「厄災寄進」+寄贈品 |
| 名の由来 | 「わざわい」を縁者として扱う語法 |
| 主な批判点 | 説明責任の欠如と強い勧誘 |
わざわいファミリア(英: Wazawai Familia)は、厄災の「家族」を名乗る民間の組織である。日常の不運を共同体の“責務”として扱う点が特徴とされる[1]。1970年代に都市部へ広がったとされるが、運用実態は時期によって大きく異なる[2]。
概要[編集]
は、厄災を“個人の不運”ではなく“共同体の負債”として管理することを掲げる民間団体として語られている。
その運用は、各家庭の不運を聞き取り調査し、一定の基準で分類・点数化したうえで、団体内の担当者が「分担する」と説明されていたとされる。この“分担”は慰霊に近い儀礼と実務手続の中間として整えられたとされるが、実際の手順は地域によって微妙に異なる。
また、団体名に含まれる「ファミリア」は、イタリア語の家族を直接借用したと説明される場合がある一方で、実務上は“家計簿(ファミリア式)”の語感から採られたともされる。いずれの説が優勢であるかは、当事者の回想で食い違いがあるとされる[3]。
成立と選定基準[編集]
名簿の作り方(厄災家計簿)[編集]
加入希望者は、地域の窓口として近くの旧ビルに設けられた「厄災受付」に来所し、まず「本日の不運申告」を提出するとされる。この申告は、A4用紙1枚に収まる“短文”を求められ、長文は禁止だったという逸話が残る。
申告が受理されると、団体は家庭ごとに「厄災家計簿番号」を発行したとされる。番号は原則としてで、末尾が“担当分担率”を示す仕組みだったと説明される。ただし、ある元関係者は「末尾は割り箸の本数だ」と笑いながら語ったともされるため、運用の一貫性は疑われている[4]。
不運の点数化と“分類名”[編集]
点数化は、(1)転倒、(2)紛失、(3)対人摩擦、(4)物の破損、(5)体調不良、の五系統で行われたとされる。各系統にはさらに下位分類が存在し、転倒は「滑る」「つまずく」「見誤る」に分けられたという。
団体の文書では、下位分類ごとに“分類名”が付される。たとえば紛失は「影失(かげしつ)」、破損は「音裂(おとさけ)」といった語が使われたとされる。これらは学術的な根拠を持たない造語であるが、当時の会員にとっては“言い換え”が浄化に相当する役割を果たしたと考えられている。
なお、点数の合計がを超えると「共同分担会」が招集される、といった一律ルールがあったとされるが、実際には“呼び出し頻度”は担当者の気分で変わったと証言する記事も存在する。よって、公式基準と実務の間には乖離があった可能性が指摘されている。
歴史[編集]
起源:疫縁会と1968年の“誤配便”[編集]
わざわいファミリアの成立は、伝承上はに遡るとされる。記録の体裁は整っているが、一次史料の所在が確認できないことから、成立経緯には複数の物語がある。
最もよく語られるのは「疫縁会(えきえんかい)」と呼ばれる読書会がきっかけだったという説である。ある夜、の古書店で購入された“民俗帳簿”が、誤っての別の団体に配達されたことから騒動になり、その誤配便の夜に集まった人々が“誤配は厄災の通信”だと解釈してしまった、という筋書きである。
この逸話の中で決定的な小道具とされるのが「家庭用計量カップ」である。計量カップは当時の会員たちが“罪量”を測る象徴として持ち歩いたとされ、報告書には「5.5分目で止めること」と細かい注意が残るとされる。もっとも、その報告書は写しでしか存在しないとされるため、細部の真偽は定かでない[5]。
拡大:町内会と“担当者の梯子”[編集]
1970年代に入ると、組織との折衷が進んだとされる。当初は“厄災の聞き取り”のみだったが、やがて会場確保や名簿整備のために自治的な手続が導入された。
このとき整備されたのが「担当者の梯子」である。梯子は、最上位の“本部係”から末端の“玄関係”までで構成され、各段階には「責任の受け渡し」作法が付されていたという。玄関係の役目は、家庭を直接訪問せず、郵便受け越しに“短い祈りのカード”を渡すことだったとされる。
しかし、この仕組みは便利である一方、責任の所在を曖昧にしやすかったとされる。実際、後年の告発では「玄関係がやったのか、本部係が許可したのか、誰も答えなかった」といった証言が見られる。結果として、わざわいファミリアは“手続があるのに責任が見えない”団体として地方紙の片隅に載るようになったとされる。
運用の実際[編集]
運用は「受付」「査定」「分担会」「記録閉鎖」の順で進むと説明されることが多い。
まず受付では、申告書に対してが返送書類を作る。返送には「厄災受理票」と、紛失用の小封筒「ミス・パケット(MP-12)」が同封されるとされる。MP-12の意味は資料によって異なるが、ある文書では「12は玄関係の到着目安分」とされ、別の回想では「12は家計簿の列数」とされる。
査定では、担当者が“音裂”や“影失”の頻度を照合する。照合にはが用いられ、1枚目は個別、2枚目は世帯内、3枚目は同じ階の住民との相関を見るのだとされる。ここで相関が高いと、担当者は「階層縁(かいそうえん)」という概念を持ち出したとされる。
分担会では、点数が高い家庭ほど儀礼の列に並ぶ仕組みだったとされる。列の順番は“待ち時間”で決まり、規定では待ち時間がを超えると「厄災が呼吸を始める」ため、途中で水と紙を渡すと定められていた。定めがあったことだけが伝わっており、実施率は不明とされる。なお記録閉鎖では、会員が保管していた家計簿番号の控えが焼却される、とされるが、実際に焼却されたのかどうかは証言で割れている[6]。
社会的影響[編集]
わざわいファミリアは、厄災を“気にしない”のではなく“分担する”文化を強調した点で、当時の都市生活に一定の納得感を与えたとされる。
とくに、やの報道が増えた時期に、団体の言語が“日常の不運の整理箱”として機能したという。団体の会員は、転倒しても「影失ではなく滑落」とラベルを貼り直し、気持ちの整理を行ったとされる。結果として、心理的には“原因の所在”が柔らぐ効果があった可能性が指摘されている。
一方で、分担会の出席や寄進の継続が、経済的負担として作用したという指摘もある。たとえばある自治会報告では、平均寄進が月あたりからに収まっていたと記載されるが、これは「現金のみ」の場合であり、地域によっては掃除用具や食料の寄贈が換算された可能性がある。なお当時、の一部店舗が“厄災寄進品”の受け取りを断ったため、受け取り窓口が駅前へ移動した、という地理的な副作用まで語られている。
このように、わざわいファミリアは単なる迷信の集まりとしてだけでなく、地域のコミュニケーション・家計運用・言語の整備を巻き込む形で広がったと考えられている。
批判と論争[編集]
批判は、主に勧誘の強さと透明性の欠如を中心に展開されたとされる。複数の回収資料では、入会判断の期限がとされていたという記述があり、これが“急かし”と受け取られた可能性がある。
また、団体がしばしばの“後援がある”ような表現を用いたとされる点も問題視された。後援を示す書面が見つからないにもかかわらず、会員向け案内に「監督下の運用」といった語が混入していたという指摘がある。もっとも、団体側は「監督とは厄災の監督であり、行政の監督ではない」と説明したとされるが、一般の読者には区別がつきにくい。
さらに、ある元会員は“点数の増減が、団体の都合で操作された”と告白した。検算表の更新日がなぜか毎月に集中していたという証言があり、偶然だと反論する者もいるが、少なくとも運用が統計的に不自然である可能性は論じられている[7]。
もっとも笑いどころとして残るのが「厄災が増えた月は、団体が笑って記録を増やす」という内規の噂である。文体は真面目で、だからこそ信じたくなるが、同時に“やっぱり嘘じゃない?”と疑わざるを得ない伝承として語り継がれている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山縣礼二『都市の不運を測る:厄災家計簿の制度史』春風社, 1982.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton『Household Misfortune Accounting in Late Modern Japan』Oxford University Press, 1991.
- ^ 中原由里『ファミリア式点数化の社会学』青藍出版社, 1976.
- ^ K. Sato, R. Watanabe「Operational Ambiguity in Volunteer Disaster Arbitration」『Journal of Civic Ritual Studies』Vol.12 No.3, pp.44-59, 2004.
- ^ 清水慎一『疫縁会の夜:1968年文書の綴じ方』港町文庫, 1999.
- ^ 伊達昌光『玄関係の責任移転と記録閉鎖』中央法務研究所, 1987.
- ^ 津田葉月『点数は誰が書いたか:わざわいファミリアの照合表』創泉図書, 2006.
- ^ 佐々木一馬『生活協同の受け取り拒否と周辺市場』生活流通学会誌, 第8巻第1号, pp.101-118, 2010.
- ^ 匿名「監督とは厄災の監督である」『地域通信(復刻版)』第3号, pp.12-18, 1973.
- ^ R. Thompson「On the Linguistics of Blame Partition in Micro-Communities」『International Review of Disaster Folklore』Vol.7 No.2, pp.9-33, 1989.
外部リンク
- 厄災家計簿研究会アーカイブ
- 東京駅前旧ビル調査ログ
- 地域儀礼点数化フォーラム
- MP-12封筒図鑑
- 誤配便事件年表