アドルフ・ヒトラーの脱糞
| 分類 | 終戦直前期の回収映像に付随する都市伝説 |
|---|---|
| 発端 | 前線からの映像輸送失敗と、隠匿倉庫の誤封印 |
| 発見地 | 北区の鉄道関連地下保管庫 |
| 発見年 | |
| 伝播媒体 | 検閲撤回後の私的回覧と、テープ複製のアンダーグラウンド流通 |
| 影響 | 戦後の映像倫理と、独裁者表象研究の議論を加速 |
| 評価 | 信憑性は低いとされるが、資料史的価値は注目される |
| 関連 | ・・戦後の論 |
アドルフ・ヒトラーの脱糞(あどるふ・ひとらーのだっぷん)は、ので発見されたとされる、WW2期の独裁者に関するシュール映像群の呼称である[1]。主に回収映像の保管史と、その後の都市伝説的な解釈をめぐる言説を対象として扱われる[2]。
概要[編集]
は、WW2終盤のの中で撮影されたと噂される短尺映像が、戦後になって“断片的に再発掘”されたという語りの一括呼称である[1]。
この呼称は、単なる下品な冗談として広まったというよりも、映像が「誰の手に渡り、どう隠され、どう改変されたか」という資料史・検閲史の側面を伴う点に特徴がある[2]。
実際には、明確な一次記録がまとまって提示されたわけではなく、研究者の間では「社会の笑いが、資料の欠落を埋める仕掛けになった」との指摘がある[3]。ただし、その“仕掛け”がいつ、どこで生まれたのかについては、複数の相反する説が並立している。
このため本項目では、映像の真偽そのものではなく、そうした映像が存在するかのように語られることで、どのような社会的効果が生まれたかを中心に叙述する。なお、語りの再現には細部が誇張されることが多く、数字の一致が逆に疑念を誘うことがある点も論じる。
背景[編集]
回収映像ブームの前提[編集]
WW2の終盤、ドイツ国内では「映像は政治より先に腐敗する」という衛生官僚の警告を契機として、保管庫の“換気記録”が義務化されたとされる[4]。この制度は後にと結び付けられ、テープやフィルムには巻き数ごとに異なる封緘番号が付されたと説明された。
しかし実務では、封緘番号の転記ミスと、輸送経路の変更が頻発した。ある記録では、春のベルリン管区だけで封緘シールのロットが単位で不足したとされる[5]。不足分は“暫定の紙札”で代用されたが、これが後の「同じ映像が別物として語られる」土壌になったとする見方がある。
また、笑いの社会学の観点からは、失われた権威を嘲るために「映像の最も見えにくい部分(音声・生活痕)」が選好される傾向が指摘されている[6]。この選好が、後の語りで“脱糞”という語を妙に決定的にしたと考えられている。
シュール解釈の種[編集]
脱糞という語が比喩として成立するには、衛生恐怖と権力崩壊の連動が必要であったとされる[7]。具体的には、戦時の食糧配給が不安定化したことで、下水施設の詰まりが市民の不満の中心に据えられ、その不満が「独裁者の不潔さ」に接続されるようになった、という筋書きが好まれた。
この連動を利用したのが、検閲解除直後の雑誌編集室であるとする説がある。たとえば州の地方紙は、戦後初期に「権力は糞のように臭う」という見出しを連載したと伝えられるが、当時の現物はほとんど残っていないとされる[8]。
その結果、映像そのものが確認できなくても、“映像があったに違いない”という期待が先行し、解釈のほうが史料化したとする指摘がある。ここに「録画映像が存在しないなら、存在したことにして笑えばよい」という危うい合理性が生まれたとされる。
経緯[編集]
地下保管庫の誤封印(1944年)[編集]
10月、ベルリン北区の鉄道関連地下保管庫にて、輸送優先度の調整が行われたとされる[9]。このとき、換気ダクトの点検を名目に、保管庫の一部区画がとして誤って封印されたという。
ところが後日の内部監査では、実際にE-12に入っていたのは衛生物資ではなく、政治宣伝用の短尺フィルム群だったと記録されている[10]。そのうちの一群に、独裁者の“生活動作”を捉えた断片が含まれていた可能性が指摘され、その断片が後に「脱糞」と結び付けられた。
語りでは、断片の長さが“ちょうど”で、尺取りの目盛が飛び分だけ逆回転していたともされる[11]。この数字の細かさは、記憶の誇張だと疑われながらも、当時の複製現場の癖を示す手がかりだと主張する研究もある。
複製の連鎖と、語の選好[編集]
検閲の撤回が進んだとされる前後、地下保管庫から回収された映像は、複数の民間技師を経由して“家庭用の再生機”に転写されたと説明される[12]。この転写過程では、音声が意図的に欠落させられ、「動作だけが理解される」状態になったという。
音声欠落が意味の曖昧さを増し、人々は見えた部分に語を当てた。そこで生活動作の描写として最も短く、最も非難可能で、かつ記憶に残る語が選ばれた——それが「脱糞」であった、という筋書きがある[13]。
さらに、転写されたテープのラベルが“衛生区画”を示すE-12をなぞり、ラベル紙にだけ汚れが残っていたとする伝承もある[14]。汚れは原因が特定できないまま「独裁者の行為の痕」と読み替えられ、笑いと怒りが同時に増幅したとされる。
影響[編集]
この語りが社会に与えた影響は、道徳的な批判というよりも「映像の受け取り方」の変化として現れたとされる[15]。
第一に、終戦直後の映像史料は、政治史よりも“生活史”の文脈で消費されやすくなった。人々は独裁者を政策の人物としてだけではなく、身体の人物としても見るようになり、これは後にやの研究対象として整理されることになった。
第二に、笑いが史料の信憑性を代替する現象が起きた。「信じるかどうか」ではなく「笑えるかどうか」が、語りの勝敗を決めるようになったとする指摘がある[16]。その結果、同じ映像断片が、別の都市伝説(“嘔吐”“鼻血”“儀式の失敗”など)に転用される事例も報告された。
第三に、撮影者や封印担当者の責任が曖昧になった。回収映像が“勝手に出回った”と語られる一方、実際にはどこかの工程で誰かが意図的に切り貼りした可能性も否定できないとされる。ただし、その実証には長い時間を要した。
研究史・評価[編集]
資料批判の方法論[編集]
戦後の研究では、断片映像の画角・コマ落ち・テープ磁性の劣化パターンが検討され、「ベルリン北区の保管庫由来の転写である」とする仮説が立てられた[17]。一方で、同様の劣化パターンが複数の倉庫で再現されうるため、決め手になりにくいとの批判もある。
また、編集者の癖として「音声を落とすほど、語りが勝手に育つ」ことが指摘され、映像編集を通した意味の委譲が問題視された[18]。この議論は、のちにの講義で「断片は沈黙を含み、沈黙は物語に満たされる」として引用されるようになった。
さらに、一次資料の欠落により、脚注段階での“要出典”相当の記述が増えたという事情もある。実際、ある論文では「断片の長さはとされるが、その測定手続きは不明である」と明記されている[19]。
当事者不在が生む物語の強度[編集]
当事者の証言が十分に残っていないため、「誰が撮ったか」「誰が隠したか」を巡る推測が物語の中心になったとされる[20]。たとえば生まれの映像技師を名乗る人物の回想が出回ったが、筆跡鑑定が一致しないと報告された[21]。
一方で、嘘だと断じるだけでは説明できない“具体性”がある点が評価されてもいる。字幕のように残ったラベル文字が「E-12」ではなく「E-1Z」と読めるのではないかという議論まで分岐し、研究者は言葉の混乱すら史料とみなす姿勢を取った[22]。
結果として、は「事実関係の確定が目的ではない」タイプの史料——むしろ“集団記憶の編集過程”——として扱われることが多くなったとされる。
批判と論争[編集]
批判の中心は、特定の個人に対して品位を落とす表象が、史実よりも先に拡散される点にあった[23]。
とくに、下品な語が政治批判に見えることで、暴力性のないはずの議論が“罵倒の反復”に吸収されていくという懸念が提起された。これに対し擁護側は、「笑いは抑圧を解体する技法であり、表象の粗さは権威の硬さを崩す」と主張した[24]。
また、映像の出所をめぐっても論争が起きた。ベルリン北区の保管庫由来だとする説に対して、郊外の別保管施設から流入した可能性があるという反論が存在する[25]。この反論では、輸送記録の時刻がで一致したとされるが、計測基準が不明であるため信頼性が揺らいだ。
最後に、研究対象化により語りが固定化されることへの倫理的問題が指摘されている。すなわち、嘘を嘘として扱う枠組みが失われると、誤った細部が歴史の“定型”になる危険があるとする指摘がある[26]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ マルクス・ベッカー「『回収映像』の封緘体系と錯誤(仮題)」『ベルリン資料学研究叢書』第4巻第2号, pp.101-134.
- ^ ヨハンナ・フェルゲン「E-12と“生活動作”の編集史」『映像史料季報』Vol.19 No.3, pp.55-88.
- ^ リンダ・カスタ「Defamation as Archive: Postwar Fragmentary Media」『Journal of Media Afterlives』Vol.7 No.1, pp.1-23.
- ^ 藤堂ミカ「シュール映像語りの文体分析——短尺断片が生む確信」『比較言説学年報』第32巻第1号, pp.47-76.
- ^ カール・ローデ「検閲撤回後のテープ複製網(1945-1947年)」『欧州映像物流紀要』第12巻第4号, pp.201-239.
- ^ セーナ・タルミ「Sanitation Panic and Political Satire in Late War Europe」『European Cultural Studies』Vol.44 Issue 2, pp.310-347.
- ^ アンネマリー・クライン「要出典の作法——“測定不明”は物語の燃料になる」『方法論通信』pp.9-18.
- ^ ピーター・グレイ「When Numbers Feel True: The 37-Second Myth」『Archive & Imagination』Vol.3 No.2, pp.77-102.
- ^ 高柳和泉「ベルリン地下保管庫の換気記録と封緘ロット不足(再解釈)」『鉄道と行政の史料』第9巻第1号, pp.12-39.
- ^ ハンス・ヴァイツ「仮説『E-1Z』の検証と反証」『映像断片研究』第2巻第3号, pp.145-170.
外部リンク
- ベルリン地下保管庫デジタル展示室
- 戦後映像倫理アーカイブ・センター
- 都市伝説検証ログ(嘘も含む)
- 映像封緘番号索引
- 衛生恐怖と風刺の資料庫