アルプスの少女ハイジ・シリーズ12『アルプス・シティ便り』(1992年)- スイス国内の都市部へ舞台を移し、ハイジを“文化翻訳者”として描いた。
| 原題 | Alps City Letter(推定表記) |
|---|---|
| 放送/公開年 | 1992年 |
| 舞台 | チューリヒ周辺の都市部(複数の架空地区を含む) |
| ジャンル | 家庭・教育ドラマ(文化交流) |
| 主人公の役割 | 文化翻訳者(通称:ハイジ翻訳員) |
| 制作体制 | アルプス映像振興財団受託(とされる) |
| 登場する制度的キーワード | 生活習慣照合票、口伝辞書、都市方言路線図 |
| シリーズ的位置づけ | ハイジ・シリーズ12(全体の中盤改編期) |
『アルプスの少女ハイジ・シリーズ12『アルプス・シティ便り』(1992年)- スイス国内の都市部へ舞台を移し、ハイジを“文化翻訳者”として描いた。』は、に制作・公開された発のアニメーション作品である。地方の暮らしに慣れたが、都市の人々の言葉や習慣を“翻訳”する物語として知られている[1]。
概要[編集]
『アルプスの少女ハイジ・シリーズ12『アルプス・シティ便り』(1992年)- スイス国内の都市部へ舞台を移し、ハイジを“文化翻訳者”として描いた。』は、従来の自然中心の語り口を、の都市文化へ接続する試みとして位置づけられた作品である[1]。
物語では、ハイジが街で出会う人々の「言い回し」「癖」「礼儀作法」などを、そのままでは通じないものとして扱い、面接官のように丁寧に聞き取り、短い言葉へ“翻訳”して返す役割が与えられたとされる。ここでの翻訳は言語学的なものに限らず、食事、距離感、沈黙の長さまで対象に含むと説明される点が特徴である[2]。
当時の受け止めとしては、「田舎の善意」ではなく「都市にも翻訳が必要だ」という教育思想が、児童向けの物語装置として提示されたことにあるとする解釈がある。一方で、視聴者の一部からは“翻訳”という語が過剰に制度化されているという指摘も出た[3]。
内容の特徴[編集]
作品の中心概念であるは、舞台となる都市生活を複雑さの塊として提示したうえで、その複雑さを「理解可能な手順」に分解する装置として描写される[4]。
たとえば、街の市場では「挨拶の順序」「値段交渉のための沈黙」「パンの触り方」などが、紙片サイズの様式に整理され、“生活習慣照合票”として配布される場面がある。劇中ではこの票が全部でに分類され、地域ごとの“照合率”を記録するとされる。照合率は「言葉の一致ではなく、目線の角度が一致した割合」で算出する、と本気の口調で語られるのが妙にリアルである[5]。
また、ハイジは都市の子どもたちに向けて「口伝辞書」を作るが、辞書の項目は文字ではなく“音の高さ”で並べられている。各項目には、発話のあとに置かれた間(ま)が何ミリ秒かで注釈され、沈黙が短すぎると「急ぎが強すぎる」と判定される。こうした数値の細かさが、子ども向けなのに妙に事務的で、視聴者の理解を無理やり現実へ引き寄せる効果を持ったとされる[6]。
歴史[編集]
構想の起点:都市化と“翻訳需要”[編集]
本作が都市部へ舞台を移した背景には、のスイス国内で「地域の違いが生活の摩擦として表面化した」という言説があったとされる。そこでアルプス地方の語りを、そのまま都市へ“輸入”するのではなく、都市側に必要な調整を物語として可視化する企画が立ち上がった[7]。
企画案の草稿には、当時の教育行政関係者が用いたとされる“翻訳需要”という言葉が登場する。翻訳需要は、住民票の住所変更よりも早く発生し、しかも季節に反比例して増える、といった統計的な言い回しで説明される。記録では、が前年より増え、しかも窓口での待ち時間は平均で一定だった、と劇中の語りにそっくりな形で残っていると報告されている[8]。
この「実務っぽさ」を演出するため、制作側は生活文化の調査に、自治体の民間委員会を模したチームを組織した。チームは近郊の小学校を巡回し、子ども同士の会話に「都市の癖」を割り当てる作業を行ったとされる[9]。
制作に関わった組織:財団と放送局の“折衷”[編集]
制作は、架空ではなく実在しそうな体裁を備えたの助成枠で進められたと記述されることが多い。同財団は「文化翻訳教育」の冠を掲げるが、実務の窓口は市の「市民学習・企画室」だとされる[10]。
一方で、放送枠の事情から“翻訳”の扱いは現場で調整されたとも言われる。放送局側の台本検討会では、ハイジの行動が「教員の代替」に見えることを避ける必要があり、ハイジには“証明書を発行しない翻訳”を徹底させたという。結果として、翻訳結果は紙ではなく“合図”として渡される仕様が採用された、とされる[11]。
なお、最終回のクライマックスでは、都市の人々がハイジの辞書を読み上げる場面がある。読者の間では、ここで登場する「都市方言路線図」が、制作会社が実際に試作した資料の転用ではないかという噂もあった。ただし同図は公開されず、「第4校正で消された」とする証言が一部に存在する[12]。
受容と波紋:翻訳は善か、管理か[編集]
公開後、本作は都市部の児童向け教育として一定の評価を得たとされる。特に「沈黙の翻訳」という概念が、いじめや誤解の場面を“手続き”に置き換えることで、感情の扱いを緩和したとする論調があった[13]。
ただし批判としては、翻訳があまりに制度的になり、生活の多様性を“照合”で統一しようとしているのではないか、という指摘が出た。具体的には、照合票の配布が「地域の特徴を数値化して納得させる」装置として描かれている点が論点となった。さらに、ハイジが翻訳者として万能に見える展開が、視聴者の自己判断を奪う危険性があるとするコメントも残っている[14]。
研究者の中には、都市の子どもがハイジの辞書に依存し、会話の“即興”が減るという逸話が、放送後に増えたと主張する者もいた。ただし当時の調査資料は「統計が間に合わなかった」とされ、確証は限定的である[15]。
批判と論争[編集]
本作の“文化翻訳者”という設定は、教育的な比喩として受容された一方で、都市社会の管理性を過剰に肯定するのではないかという懸念が残った。とくに「照合率」という言葉が、理解の指標を定量化する発想を子どもにも馴染ませる、と批評されたことがある[16]。
また、最終回で示される「翻訳の不成立」という展開が、都市側の側面を過度に単純化したとする指摘も出た。作中では、翻訳が不成立になる条件がに整理され、そのうちが“都市の焦り”に起因するとされる。ここが都市を悪者にするのでは、という議論が起きたとされる[17]。
さらに、公開当時の一部の雑誌では、台詞に含まれる数値注釈が「現実の計測を装っている」と批判された。編集者のは「数字が多いほど正しいわけではない」との短評を掲載したと記録されるが、同評は数か月後に訂正文が出たとも言われる[18]。ただし訂正文の写しは所在が確認されておらず、要出典の状態のまま語り継がれている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ エルンスト・ヴァルター『児童ドラマにおける文化仲介の記号論』スイス文教出版社, 1994.
- ^ マリアンヌ・コスティ『都市社会の“翻訳”をめぐる教育実装』ベルン教育学研究所紀要, Vol.12 第2巻, 1993, pp. 41-63.
- ^ ルイジ・モリナ『Animation as Bureaucracy: The Case of 'Alps City Letter'』Journal of Imaginary Media Studies, Vol.7 No.1, 1995, pp. 110-129.
- ^ グレゴール・ツェントル『照合率と理解:1990年代スイス児童番組の数値美学』チューリヒ社会文化研究会報, 第3巻第1号, 1992, pp. 5-28.
- ^ ヘレナ・シュタイン『口伝辞書の形式言語:間(ま)の注釈と受容』言語教育技法研究, Vol.18 第4号, 1996, pp. 77-99.
- ^ T. ブリューレ『Silence Translation in Family Media』International Review of Child Culture, Vol.9, 1997, pp. 203-221.
- ^ アグネス・ブルンナー『“管理か、共感か”——文化翻訳者の倫理』社会教育政策年報, 第6巻, 1998, pp. 15-39.
- ^ フェルディナント・クラーク『アルプス映像振興財団の助成枠と制作実務』Media Grant Studies, Vol.4 No.2, 1999, pp. 1-20.
- ^ ルカ・フェリエラ『数字は物語を救うか—校正と論争の現場』スイス編集文化協会叢書, 2001, pp. 88-101.
- ^ ダニエラ・ロッシ『教育ドラマの折衷史:都市方言路線図をめぐって』Zurich Folklore Review, Vol.2, 1992, pp. 33-52.
外部リンク
- アルプス・シティ便り 研究アーカイブ
- 文化翻訳教育アセスメント所管サイト
- 照合票コレクション・ギャラリー
- 口伝辞書オンライン索引
- スイス児童番組制作資料センター