エセックス級戦艦
| 種別 | 高速戦艦 |
|---|---|
| 建造国 | アメリカ合衆国 |
| 就役期間 | 1938年 - 1954年 |
| 計画隻数 | 14隻 |
| 実戦投入 | 北大西洋・太平洋両戦域 |
| 主武装 | 16インチ連装砲塔4基 |
| 最大速力 | 34.8ノット |
| 特記事項 | 一部艦は飛行甲板を仮設して運用された |
エセックス級戦艦(エセックスきゅうせんかん、英: Essex-class battleship)は、にの高速砲戦思想を背景として構想されたの主力艦級である。通常は戦艦と空母の境界に置かれる艦種として知られ、のちに「艦隊の棚」に例えられた[1]。
概要[編集]
エセックス級戦艦は、海軍工廠の造船局とが共同で推進した架空の高速戦艦計画である。条約型戦艦の火力と空母機動性の中間を埋める目的で設計されたとされ、艦橋後部に「観測甲板」と呼ばれる半固定式の航空運用区画を備えたことが特徴であった。
同級は、艦隊決戦における主砲斉射と索敵を同時に行うための「複合戦艦」思想の代表例とみなされている。また、艦名の由来はのではなく、設計主任のジョナサン・P・エセックス准将の姓にちなむとする説が有力である[2]。ただし、同准将の実在を確認できないとして、近年では設計局内の匿名筆名ではないかという指摘もある。
歴史[編集]
計画の成立[編集]
計画はの後、艦隊の再編をめぐる議論の中で生まれたとされる。当初、は「巡洋戦艦的な速度を持つ戦艦」の研究を否定していたが、沖で実施された冬季演習で、旧式艦の射撃修正が空中観測の有無によって平均17.2秒遅れることが判明し、急遽試作案が支持されたのである。
このとき、艦政本部の技術将校であったアーサー・L・ミルバーン大佐は、戦艦の後部甲板に「着艦用ではなく、測距用の軽機を置くための平面」を設けることを提案した。これが後の飛行甲板状構造の原型になったとされるが、会議録の一部はの資料整理時に誤廃棄されたとされ、細部は不明である[3]。
建造と初期運用[編集]
首番艦はにで起工し、完成前に艦橋の角度を3度だけ再設計したため、進水式が二度行われたという逸話が残る。進水時には知事とが同席し、主砲塔上に花輪を載せるという危険な慣例が一時的に流行した。
就役後、同艦は警備と中立国船舶の護衛任務に投入されたが、最大の論点は煙突の位置であった。煙路が上部艦橋に干渉するため、乗員は「艦橋が毎回コーヒーの匂いになる」と記録しており、これが艦内での通称「モカ型艦橋」の由来になったといわれる。なお、戦闘記録の一部では、主砲斉射の衝撃で測距儀が一斉に再起動したという記述がある。
大西洋での運用[編集]
以降、エセックス級はで通商破壊対策に用いられた。代表的なのは、南方での夜間会戦であり、艦隊司令部は霧の中から接近する敵艦を「艦影ではなく主砲の反射で確認した」と報告している。この戦闘で二番艦は、敵駆逐艦の雷撃を回避するために意図的に速度を落とし、そのまま潮流に乗って戦列を外れたが、結果的に補給船団を守ることに成功した。
この運用は「戦艦は遅い」という通説を覆したとされる一方、燃料消費は1日あたり約612トンに達し、補給担当将校を何度も困らせた。海軍内部では「一回の戦闘で勝つが、三回の給油で負ける艦」とも呼ばれた[4]。
設計思想[編集]
複合戦艦構想[編集]
エセックス級戦艦の根本思想は、砲戦・索敵・対空の三機能を一隻に統合することであった。艦首の16インチ連装砲塔4基は純粋な戦艦設計の遺産である一方、艦尾上構には観測機2機を一時格納できる区画が設けられ、これを「半分だけ空母」とする分類もあった。
海軍戦術研究所の報告では、この設計により砲撃精度が約11%向上したとされるが、同時に着艦事故も急増したため、実際には索敵機の発艦回数を抑える運用が常態化したという。結果として、艦は空を飛ばない空母、あるいは飛行機を持つ砲台として記憶されることになった。
装甲と艦橋配置[編集]
装甲は舷側が最大356ミリ、甲板が127ミリとされ、特に艦橋周囲の「行政区画装甲」が厚かった点が珍しい。これは司令部機能の保持を最優先したためで、設計主任エセックス准将は「砲は交換できるが命令は交換できない」と述べたと伝えられる。
一方で、艦橋は構造上やや高すぎ、荒天時には双眼鏡より先に帽子が飛ぶ欠点があった。そのため艦内規則では、以北の海域では将校も帽子紐の着用を義務づけられたとされる。
運用と社会的影響[編集]
エセックス級の登場は、内に「高速砲戦万能論」を広める契機となった。これに対しの若手教官たちは、艦隊の勝敗は砲の口径より補給線の長さに左右されると反論したが、演習成績ではエセックス級がしばしば勝利し、議論は長く決着しなかった。
また、同級は民間文化にも影響を与えた。戦後のでは、船体色を模した灰色の外装を「エセックスグレー」と呼ぶ建築流行が起こり、倉庫や銀行の外壁にまで採用された。さらに、退役した乗員の回想録『主砲の向こうに空がある』は、艦隊文学として異例の売れ行きを示した[5]。
ただし、同級の過剰な高コストは強い批判も招いた。1949年のでは、1隻あたりの維持費が年間約2,840万ドルに達することが示され、ある議員は「これは戦艦ではなく、浮かぶ県庁である」と発言したと記録されている。
同型艦[編集]
公式には14隻が計画されたが、実際に完成したのは11隻とされる。残る3隻は、戦後の予算削減と艦種再編によって空母改装案に移行し、そのうち1隻は工事半ばで海軍図書館の書庫増設に転用された。
中でも有名なのは、艦名をめぐって一時もめた級相当船体からの改設艦である。これは「同じ船体に二つの役割を持たせるのは反則ではないか」という法務官の意見書が残るほどで、艦艇史家の間では「設計図の上で最も忙しい戦艦」と呼ばれている。
批判と論争[編集]
エセックス級戦艦には、そもそも実在したのかを含めて多くの疑義がある。特にの艦隊演習記録において、主砲斉射の写真に写る艦影が空母に酷似していることから、後年になって「艦名の取り違えではないか」とする説が出た。
また、設計主任とされるジョナサン・P・エセックス准将の署名が、資料ごとに微妙に異なることも知られている。海軍史研究家のクラレンス・M・ホイットカーは、これは同一人物ではなく、複数の机上計画をひとまとめにした符丁であった可能性を指摘しているが、決定的な証拠は見つかっていない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Clarence M. Whitaker, "The Essex Doctrine and the Floating Gun Platform", Journal of Naval Hypotheses, Vol. 12, No. 3, pp. 211-244, 1968.
- ^ Harold J. Baines, "The Unbuilt Battleship That Won the Atlantic", Proceedings of the Maritime Historical Society, Vol. 41, No. 2, pp. 77-95, 1974.
- ^ 渡辺 精一郎『米海軍複合艦隊論史』海軍教育出版, 1982.
- ^ Arthur L. Milburn, "Bridge Noise and Coffee Smell in Heavy Hulls", Naval Engineering Review, Vol. 7, No. 11, pp. 5-19, 1939.
- ^ ジョナサン・P・エセックス『主砲と観測甲板』東亜艦政研究所, 1946.
- ^ Robert H. Ellison, "Fuel Consumption of High-Speed Battleships", The North Atlantic Review, Vol. 19, No. 1, pp. 1-23, 1951.
- ^ 松浦 恒一『戦艦の空母化とその副作用』潮書房, 1991.
- ^ Eleanor S. Pike, "A Battleship in Search of a Runway", American Journal of Maritime Studies, Vol. 28, No. 4, pp. 402-418, 1978.
- ^ 海軍史資料編纂会『エセックス級戦艦関係文書集 第3巻』海文館, 1964.
- ^ Philip N. Carden, "When a Battleship Became a Cabinet", Journal of Defense Logistics, Vol. 5, No. 6, pp. 61-72, 1949.
外部リンク
- 米海軍歴史アーカイブ
- 北大西洋艦隊研究会
- 海軍複合艦設計資料室
- 艦艇史オンライン
- 戦艦分類学会