エルデ公国
| 公用語 | エルデ語、ラテン語、ドイツ語 |
|---|---|
| 首都 | ノイ・ヴァルデン |
| 成立 | 1294年ごろ |
| 消滅 | 1812年 |
| 政体 | 選挙公制を伴う封建公国 |
| 通貨 | エルデ・グルデン |
| 宗教 | 西方教会(後に改革派が多数) |
| 行政機関 | 公国評議会、鉱務局、測量院 |
| 著名な特産 | 緑灰石、蜜蝋紙、塩焼きパン |
エルデ公国(エルデこうこく、英: Duchy of Erde)は、の上流域にあったとされる半独立の公領である。中世後期に成立したとの折衷制度によって発展し、のちに「書記官が国境を増やした国」として知られるようになった[1]。
概要[編集]
エルデ公国は、現在の北部から南西部にまたがる山地盆地に存在したと伝えられる公国である。伝承では、の端系に連なるが、鉱山採掘権と通行税の整理を条件に「公」の称号を得たとされる[2]。
もっとも、初期の史料は断片的で、実在したのは公国そのものではなくとの束であったとする説も有力である。のちにそれらを整理した修道士たちが、帳簿の余白に描かれた城塞の図を実際の領土と誤認したことが、国家像の成立につながったとされる[3]。
歴史[編集]
成立神話と公国宣言[編集]
建国神話によれば、の冬、ノイ・ヴァルデン近郊で大規模な雪崩が起き、銀鉱坑の作業員47人が坑道内に閉じ込められた。これを救出したのが地元の書記官で、彼女は救出記録の末尾に「ここより先、坑道の上空は公の保護下にある」と追記したとされる。この一文が後に領主権の宣言として解釈され、翌年に公国宣言が読み上げられたという[4]。
ただし近年の研究では、この宣言文はの写本にしか現れず、しかも「公の保護下」は当初「倉庫の保護下」と書かれていた可能性が指摘されている。とはいえ、エルデ公国の住民はこの種の文言を好み、後世の祝祭では書記官の万年筆を模した木製の杖が振られるようになった。
鉱務局の黄金期[編集]
からにかけて、公国はの採掘との再精製で繁栄した。とくにに設置されたは、坑夫の靴底の摩耗率を基準に採掘深度を管理するという、極めて独特な制度を採用したことで知られる[5]。
公国評議会の議事録には、地下水の侵入を防ぐために「各坑に一台のオルガンを設置し、低音で岩盤を落ち着かせる」ことが提案された記録が残る。実際に導入されたのは3坑のみであったが、これにより一時的に坑内の騒音が12デシベル低下したという報告がある。なお、この数値は後世の測量院が鉱山見学者向けに盛った可能性がある。
宗教改革と測量院の反乱[編集]
後半、エルデ公国ではの説教と測量技術が結びつき、教会の尖塔の高さを巡る論争が激化した。信徒たちは「尖塔は天に届くほど高くなくとも、影が正午に2度ずれれば救済に十分である」と主張し、これがの理論的支柱になったとされる[6]。
には、測量士が、王都との境界線を引く際に誤って隣接修道院の菜園を3.8ヘクタール取り込んだ事件が起きた。修道院側はこれを「聖別済みの土地の横領」として訴えたが、結局は境界線の変更が認められた。このため、エルデ公国では「線を引いた者が土地を持つ」という格言が生まれたといわれる。
衰退と消滅[編集]
に入ると、周辺諸侯によるの再編と塩価の下落により、公国財政は急速に悪化した。とくにの「蜜蝋紙恐慌」は、官庁が記録紙をすべて自国産に切り替えた結果、湿気で帳簿が膨張し、税収見積もりが実際より28%増えて見えたことに端を発する[7]。
最終的に、ナポレオン戦争期の再編に伴い、エルデ公国は周辺領邦へ分割編入されたとされる。しかし公国の旧書記局はその後もまで存続し、消印の位置を1ミリずらすことで「旧公国の行政的連続性」を保っていたという。これは国際法上かなり微妙であるが、当時の役人たちは至って真顔で運用していた。
制度[編集]
エルデ公国の制度は、封建制・都市自治・鉱山共同体の三者を無理やり接合したような構造であった。公は軍事と外交を担う一方、日常行政はとが分担し、課税は「麦」「塩」「灯油」「未使用の桶」の4種に分類された。
とくに有名なのがであり、出生・結婚・採掘配属・死亡が同一の帳面に記されていた。ある年の台帳には、同日に生まれ、坑道に配属され、午後4時に結婚し、午後7時に落盤で死亡した人物が記載されているが、研究者の間では記載順の都合上そう見えるだけとする説もある[8]。
また、公国では「公の祝日」が年に14日存在し、そのうち5日は天候不順による繰り延べが認められた。これにより、実際の祝日消化率は毎年およそ64〜71%に収束し、住民は残りを『未了祝日』と呼んで帳簿に繰り越した。
経済[編集]
鉱山と塩税[編集]
エルデ公国経済の柱は、、であったが、最も収益性が高かったのは塩税であった。公国は塩樽の胴周りを基準に課税したため、太い樽ほど税率が高くなるという逆説的な制度が成立していた[9]。
このため商人は、税逃れのために一見大樽に見えるが内部が空洞の「鳴る樽」を作り始めた。だが鉱務局はこれを逆手に取り、樽を叩いたときの音程で課税額を決める「響税」を導入し、最終的に財政は以前より安定したとされる。
蜜蝋紙と公文書文化[編集]
公国のもう一つの特産はである。これは湿気の多い山地で帳簿を保存するために開発された紙で、表面にごく薄い蜂蜜層が塗布されていた。書き味は極めて悪かったが、虫害を防ぎ、さらに冬場にはページ同士が凍結して一冊の塊になるため、官庁では「持ち運びやすい」と評された。
にはノイ・ヴァルデンの印刷所が、蜜蝋紙専用の活字洗浄機を導入した。蒸気と蜜の匂いが混ざって街区全体が菓子店のようになったというが、同年の税務報告では「香気効果により来訪者が増えた」と記されており、観光振興の初期例とみなす研究者もいる。
文化[編集]
エルデ公国の文化は、坑夫の労働歌、宗教合唱、測量士の口頭伝承が混合した独特の様相を呈していた。代表的な民謡『九つ目の杭の上で』は、恋愛歌であると同時に境界標識の位置確認にも用いられたとされる。
また、宮廷では毎年「静寂祭」が行われ、開始から15分間は誰も発話してはならない。これは当初、地下採掘で疲弊した労働者の耳を休める目的で始まったが、次第に沈黙の長さを競う競技へ変質した。1691年の記録では、最長記録保持者が2時間11分の沈黙の末にくしゃみをして失格になったとあり、これがいまも公国史上最も有名な悲劇の一つとされる。
なお、エルデ公国の紋章に描かれる獅子は、一般的な威厳ある姿ではなく、やや眠たげな表情をしている。これは初代紋章官が夜勤明けに描いたためであるとする説が有力だが、文献上は「獅子が鉱山の粉塵で目を細めている」と説明されており、両説は現在も併存している。
批判と論争[編集]
エルデ公国をめぐっては、そもそも実在したのかという点を含め、19世紀以降たびたび論争が起きている。特にの会議では、歴史学者が「公国は国家ではなく、帳簿上の慣習的単位にすぎない」と発表し、会場が3分間静まり返ったのち、鉱山出身の聴衆が一斉に拍手したという[10]。
一方で、エルデ公国の記録をまとめたの日記には、王朝間交渉、税制、婚姻、気象観測の記録が連続しており、これを単なる帳簿の副産物とみるには情報量が多すぎるとの反論もある。また、2011年にで行われた展示では、旧公国の地図とされる羊皮紙が公開されたが、縮尺がであったため、学会では「地図というより敷物ではないか」との指摘が相次いだ。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Franz L. Ebermayer『Die Grafschaft Erde und ihre Rechnungsbücher』Austrian Historical Review, Vol. 12, No. 3, 1978, pp. 145-182.
- ^ マティアス・ブレンナー「エルデ公国の塩税制度再考」『中欧経済史研究』第24巻第2号, 1996, pp. 33-58.
- ^ Helene M. Kraft, "Boundary Lines and Parish Gardens in the Duchy of Erde," Journal of Alpine Studies, Vol. 9, No. 1, 2004, pp. 11-49.
- ^ 渡会俊介『蜜蝋紙の帝国——山地官僚制の保存技術』北辰書房, 2011.
- ^ Johann P. Seidel, "The Silent Festival of Erde," Proceedings of the Central European Folklore Society, Vol. 31, No. 4, 1989, pp. 201-223.
- ^ エリーザベト・ノルト『測量院と宗教改革の接点』ミネルヴァ山地史叢書, 2008.
- ^ Klara T. Wengen, "A State Made of Ledgers: The Erdian Archive Tradition," Archivum Europaeum, Vol. 17, No. 2, 2015, pp. 77-104.
- ^ 佐伯真一「エルデ公国の戸籍兼坑道台帳について」『史料学年報』第18巻第1号, 2001, pp. 5-29.
- ^ Leopold Weiss『Chronica Erdensis et alia mirabilia』Universitätsverlag Salzburg, 1672.
- ^ 田辺和彦『響税の経済史』東洋資料出版, 2020.
- ^ Marta H. Feld, "Was Erde a Duchy or a Filing Habit?" The Quarterly of Fictional Histories, Vol. 3, No. 1, 2022, pp. 9-17.
外部リンク
- エルデ公国史料館デジタルアーカイブ
- ノイ・ヴァルデン市立博物館
- 中欧架空王侯制研究会
- 山地公国比較史ポータル
- 鉱務局旧台帳閲覧室