ゴブリン仮面
| 名称 | ゴブリン仮面 |
|---|---|
| 別名 | 小鬼面、緑面、下谷仮面 |
| 起源 | 1920年代の東京・浅草周辺 |
| 用途 | 儀礼、余興、舞台、撮影 |
| 主要材質 | 和紙、胡粉、漆、布地 |
| 象徴色 | 松葉色、煤緑色 |
| 代表的保管先 | 下谷民俗資料室 |
| 関連行事 | 鬼迎え、夜店仮面市 |
| 標語 | 「怖さを笑いに変える」 |
ゴブリン仮面(ごぶりんかめん、英: Goblin Mask)は、の民俗儀礼と期の変装文化が結びついて成立したとされる、緑色の顔面覆面を中心とする仮面形式である。の下町を中心に普及したが、のちに映画小道具や児童劇の定番意匠として知られるようになった[1]。
概要[編集]
ゴブリン仮面は、鼻梁が低く、耳が張り出し、口元がやや歪んだ緑系統の仮面群を指す総称である。民俗学ではの一種というより、における厄払いと見世物的興行が混交した人工的な装置とみなされている。
製法は一見単純であるが、実際には下地の和紙を九層に貼り重ね、胡粉を薄く染め、最後に煤と青緑の顔料を混ぜた膠を刷毛で引くのが標準とされた。1928年の「浅草仮面取締記録」によれば、完成までの平均日数は4.6日で、特に口角の歪みが0.8ミリでも狂うと「笑いが逃げる」として作り直しになったという[要出典]。
歴史[編集]
成立期[編集]
起源については、に下谷の人形師・が、節分行事で用いる面の修繕中に、誤って緑青を多く混ぜたことが始まりとされる。翌年、近隣の寄席でその面を着けたところ、観客が「鬼より間が抜けている」と爆笑したため、以後は厄を払うより笑いを取る面として流通したとする説が有力である。
ただし、の内報では、実際には末期の児童雑誌『こども舞台』が、海外の小人像を模した挿絵を誤って「小鬼」と紹介したことがブームの火種になったともされる。これにの興行主たちが目をつけ、夜店ごとに色違いの面を吊るした結果、仮面自体が一種の土産物として定着した。
大衆化と規格化[編集]
には内で製造業者が12軒に達し、そのうち7軒が「小鬼」「山鬼」「河童鬼」など似た名称を商標登録しようとして争った。もっとも普及したのは、頬に二本の筋を入れた「下谷型」で、芝居小屋の照明下で最も表情が読めないことから選ばれたという。
、の試験では、湿度82%の環境で3時間連続着用しても鼻部の膨張率が2.1%以下であることが求められ、基準を満たした製品だけに「G-3印」が押された。この制度により品質は安定したが、同時に「規格化されすぎて怪異が減った」とする批判も生まれた。
戦後の転用[編集]
戦後は民俗行事よりも映画産業での需要が急増し、にはの美術部が、特撮怪獣の群衆シーンで使える軽量版を20枚発注したとされる。以後、ゴブリン仮面は「怖がらせるための面」ではなく、「怖いものを半分だけ怖く見せる」ための道具として再定義され、児童劇や学園祭の定番になった。
また、にの番組『夜の手仕事』で取り上げられた際、出演した職人・が「これを被ると大人も少しだけ素直になる」と発言し、全国の教育関係者から注文が相次いだという。なお、この発言の録音は残っていないが、同年の注文伝票だけが妙に詳しいことから、資料的には半ば事実扱いされている。
特徴[編集]
ゴブリン仮面の最大の特徴は、目鼻立ちが完全な怪物寄りでも完全な人間寄りでもない中間性にある。これにより、着用者の表情が少し透けて見えるため、舞台上での「演じる側と見られる側の反転」が起こりやすいとされる。
形状は地域差が大きく、系は顎が短く笑い顔に近いのに対し、系は眉骨が張り、祭礼用の威嚇性が強い。また、経由の輸出品には西洋のコメディ・マスクに影響された吊り耳が付くことがあり、これが「港町型」と呼ばれるようになった。
社会的影響[編集]
ゴブリン仮面は、地域共同体における「怖さの共有」を可視化した道具として評価されている。町内会の余興、学校行事、映画撮影のほか、昭和後期には商店街の歳末福引の景品として大量に配られ、最盛期のには年間約18,400枚が出荷されたという[2]。
一方で、面の緑色が「不健康」「低俗」と結びつけられた時期もあり、の一部学校では使用自粛が求められた。ただし実際には、保護者会が「子どもが泣く前に笑う」として再導入を要望し、数か月で復活した例が複数確認されている。
文化人類学では、これを「仮面の脱怪物化」と呼ぶ研究がある。つまり、もともと排除されるべき異形を、あえて愛嬌のある記号へと反転させることで、共同体が恐怖を管理していたという解釈である。
批判と論争[編集]
ゴブリン仮面をめぐる論争で最も有名なのは、の『下谷仮面保存会』分裂事件である。保存会は「伝統形の忠実な復元」を主張したが、若手会員が鼻をわずかに短くした改良版を発表したため、「それはもはやゴブリンではなく豆面である」として激しく対立した。
また、への寄託をめぐっては、展示解説に「妖怪ではなく近代工芸である」と記されたことから、地元関係者が抗議した。抗議文には「我々は近代工芸で妖怪を作ったのではない。妖怪を笑わせただけである」とあり、記録上は名文として扱われている。
なお、製作時に用いられる青緑顔料の一部が当初は輸入品であったため、輸入統計に「仮面用塗料」という曖昧な項目が二十年以上残り続けたことも、会計上の混乱としてたびたび引用される。
現代の展開[編集]
21世紀に入ると、ゴブリン仮面は内の民芸店だけでなく、動画配信向けの小道具として再評価された。特に以降は、低解像度のカメラで撮影すると目の穴が黒い丸に見え、視聴者の想像力が過剰に働くことから、短尺映像と相性が良いとされた。
にはの町工場3社が共同で、抗菌加工を施した新素材版「G-Mask 2.0」を試作した。これにより、夏祭りでの連続着用時間が従来比で37分延びたというが、同時に「汗で怖さが増す」という予期せぬ副作用も報告されている。
現在では、観光土産・舞台芸術・学校教育の三領域で細く長く生き残っている。とくに幼児向けワークショップでは、完成した仮面にわざと左右非対称の眉を描かせる手法が定着しており、これが「自分で怖さを調整する教育」として注目されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 松原喜代治『下谷仮面誌』東京民芸出版, 1939年.
- ^ 大橋ユキ「夜の手仕事における面の教育的転用」『芸能と生活』Vol. 12, No. 4, 1963年, pp. 44-58.
- ^ 斎藤理一郎『仮面の社会史』みすず工房, 1978年.
- ^ Margaret H. Fulton, "Green Faces and Urban Festivals", Journal of East Asian Folklore, Vol. 8, No. 2, 1981, pp. 113-129.
- ^ 下谷民俗資料室編『G-3印仮面基準書』下谷民俗資料室, 1940年.
- ^ 田村景『児童劇における恐怖の笑い化』早川文化研究所, 1992年.
- ^ Kenji Morita, "The Commercialization of Goblin Masks in Tokyo", Asian Performance Review, Vol. 17, No. 1, 2005, pp. 9-31.
- ^ 本多静枝『夜店仮面市の成立と崩壊』東京下町学会, 2011年.
- ^ A. L. Whitmore, "On the Slightly Crooked Mouth of Goblin Masks" , Mask Studies Quarterly, Vol. 3, No. 1, 2016, pp. 1-17.
- ^ 三浦環「G-Mask 2.0試作報告書」『生活工芸技報』第28巻第2号, 2023年, pp. 7-19.
外部リンク
- 下谷民俗仮面アーカイブ
- 東京下町工芸研究センター
- 日本仮面再生協議会
- 夜店文化データベース
- G-3印保存会