サラ・レトラ・オリヴェイラ・ウタガワ
| 本名 | サラ・レトラ・オリヴェイラ・ウタガワ |
|---|---|
| 生年月日 | 1871年8月14日 |
| 没年月日 | 1934年2月9日 |
| 出身地 | ポルトガル王国マデイラ諸島フンシャル(後年の記録による) |
| 職業 | 翻訳家、書簡作法家、文字符設計顧問 |
| 活動拠点 | 横浜、長崎、神戸、リスボン |
| 代表作 | 『港都二十四字往復法』 |
| 所属 | 横浜書簡改良会(のちに解散) |
サラ・レトラ・オリヴェイラ・ウタガワ(Sara Letra Oliveira Utagawa)は、末のに成立したとされるの創始者である。後世にはとを接続した人物として知られ、実在の書簡史研究でもしばしば言及される[1]。
概要[編集]
サラ・レトラ・オリヴェイラ・ウタガワは、後期に流行したを体系化したとされる人物である。日本語、ポルトガル語、漢字の筆致を一通の書簡内で重ねる独特の文体は、商社の通信効率を高めるために考案されたという。
この様式は、の外商、の海運業者、およびの宣教師文書にまたがって広まったとされる。もっとも、現存する一次資料はきわめて少なく、彼女の実在性そのものをめぐってはの議論が続いている。
生涯[編集]
幼少期と渡来[編集]
伝記によれば、サラはにマデイラ諸島で生まれ、に父の都合でへ渡ったとされる。幼少期から系の女学校でラテン文字を学び、同時に日本側の寺子屋式手習いにも通ったため、二重の筆順感覚を身につけたという。
なお、彼女が最初に日本側の姓名を名乗ったのはであり、その際に「ウタガワ」を採った理由については、当時神戸税関近くの下宿で流行していた浮世絵印刷の紙片に由来するとの説がある[2]。
横浜書簡改良会[編集]
、サラはの外国商館に勤務する書記らとともに「横浜書簡改良会」を結成したとされる。目的は、英語・日本語・葡語が混線する船荷通達を、1枚あたり平均17.4秒短縮して読解することであった。
同会では、封蝋の位置、句読点の角度、宛名に用いる漢字の画数まで規定され、会員は毎月第2金曜に脇の貸席で朗読試験を受けた。合格者には紫色の郵便帯が授与されたというが、記録は一部焼失している。
晩年[編集]
晩年のサラはとを往復し、港湾事務所の依頼で「出港遅延の言い訳文例集」を編んだとされる。彼女は晩年、失語症に近い症状を抱えながらも、文字の上下反転だけで意味が変わる「鏡面書簡」を研究した。
に神戸で死去したとされるが、墓碑の所在には異説があり、の外れにある私設納骨堂を墓所とする説もある。近年、彼女のものとされる便箋が周辺の古書店で断続的に見つかっており、真贋判定は続いている。
和葡混成書簡様式[編集]
和葡混成書簡様式は、の敬語的婉曲表現との主述分離を併置し、さらにを意味記号として再配置する書法である。書簡の末尾に必ず日付を3通りで併記するのが特徴で、、、航海日誌式の潮汐日が並ぶ。
この書法の実用性は高く、港湾保険の異議申立てや、砂糖・絹・燐寸の契約確認に好んで用いられた。また、同じ一文を縦書き・横書き・右から左へと読み替えられるため、暗号通信としても一部の商社に採用されたとされる。
一方で、文面が過度に優雅で回りくどくなるため、内容が「船は遅れるが責任はない」以上の意味を持たないことが多く、実務家からはたびたび批判された。これがのちにを呼び起こす契機になったともいわれる。
社会的影響[編集]
サラの様式は、単なる手紙の流儀にとどまらず、の女学校で「複言語教養」の教材として引用されたほか、系の事務官研修でも採用例があった。特に、文章を3層に分けて書く方法は、後年の通関書類や観光案内の原型になったという。
また、彼女の名を冠した「オリヴェイラ折返し」は、封筒の左下角をわずか7ミリ折ることで差出人の来歴を示す慣習で、には一部の港町で流行した。この慣習は郵便職員の検閲をやや混乱させたため、からは半ば黙認、半ば警戒の対象とされた。
批判と論争[編集]
サラ・レトラ・オリヴェイラ・ウタガワをめぐっては、そもそも1人の人物なのか、複数の書記女性の集合名なのかという論争がある。とりわけ、署名の筆圧やインク成分が資料ごとに著しく異なることから、後世の編集者が「理想的な国際女性像」として合成した可能性が指摘されている。
さらに、の商館火災で原資料が失われたとする説明が広く流布しているが、火災記録に該当する事件は確認されておらず、研究者の間では「資料消失の説明が先に出来てしまった例」として有名である。もっとも、反証が決定打にならない点が、この人物研究の妙味であるともされる。
後世への影響[編集]
以降、サラはやの文脈で再評価され、特に多言語文書のレイアウト研究において先駆者として扱われた。ポルトガルの一部学会では、彼女を「手紙の」と呼ぶ講演が話題になったという。
また、には内の私設文書館が彼女の名を冠した「レトラ式通信保存箱」を販売し、封緘文化の復興運動が起きた。もっとも、その箱の耐酸性が弱く、雨季に中身がわずかに湾曲するため、保存運動は2年ほどで静まった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田所一真『港湾通信と混成書簡の成立』港都出版, 1998.
- ^ Margaret H. Linton, "Epistolary Hybrids in Meiji Port Cities," Journal of Maritime Philology, Vol. 12, No. 3, 2004, pp. 41-79.
- ^ 佐伯みどり『ウタガワ姓の変遷と女性書記史』神奈川民俗研究叢書, 2007.
- ^ João C. Ferraz, "Letters Across the Shogunate: Portuguese Scribal Practices in Yokohama," Iberian-Asian Studies, Vol. 8, Issue 1, 2011, pp. 5-33.
- ^ 尾関晴彦『封蝋・句読点・潮汐日: 近代港湾書式の比較研究』明治書房, 2014.
- ^ A. K. Renshaw, "The Hidden Grammar of Harbor Correspondence," Transactions of the East Asian Archive Society, Vol. 19, No. 2, 2016, pp. 201-248.
- ^ 小山田透『レトラ折返しの文化史』みなと文庫, 2018.
- ^ Élise Monteiro, "Sara Letra Oliveira Utagawa and the Myth of the Tri-Lingual Letter," Revue des Écritures Portuaires, Vol. 4, No. 4, 2020, pp. 88-117.
- ^ 文彦堂編『横浜書簡改良会資料集』文字符研究所, 2021.
- ^ 石橋久美『鏡面書簡入門――反転する宛名の実務』潮目出版, 2022.
外部リンク
- 横浜文字符アーカイブ
- 港町書簡学会
- 神戸私設文書館
- リスボン東洋文書研究室
- レトラ式保存箱普及委員会