タメ口山王
| 名称 | タメ口山王 |
|---|---|
| 別名 | 山王式対等弁、口調の山王 |
| 成立 | 1828年ごろ |
| 起源地 | 江戸・芝山王周辺 |
| 主な提唱者 | 清原 半十郎、三宅 つる |
| 適用範囲 | 商談、祭礼、寄席、同席飲食 |
| 特徴 | 敬語を外しつつ語尾を整える |
| 影響 | 町人文化、会議術、即興演劇 |
| 禁則 | 年長者への全面適用、武家屋敷内での多用 |
タメ口山王(タメぐちさんのう)は、後期に沿岸の町場で成立したとされる、上下関係を一時的に解除して会話するための口調規範である。のちにの一部で儀礼化し、商家・寄合・芸能の現場に影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
タメ口山王は、単なるではなく、相手との距離を意図的に縮めるための半儀礼的な話法体系である。通常のくだけた口語と異なり、語尾・呼称・間合いに細かな規則があり、使用者は「無礼」でなく「同席者」であることを示すとされた。
この規範はの門前にあった茶屋群で生まれたという説が有力である。茶屋の帳場において、客同士の身分差をいったん棚上げしなければ酒肴の勘定がまとまらなかったため、女将たちが「山王なら同じ高さで話す」という口上を定めたとされる[2]。
成立史[編集]
門前町の実務から生まれた話法[編集]
1828年、後の再建期にの門前町では、職人・商人・日雇いが入り混じる場面が増えたとされる。そこで、という元番頭が、相手の肩書をいったん外して話すための短い決まり文句を整理した。これが「タメ口山王」の原型で、最初は勘定場の伝票整理のためだけに用いられたという[3]。
半十郎は「敬称を落としても、語勢だけは落とすな」と教えたとされ、語尾を強く切る禁制を設けた。たとえば「〜だろう」「〜じゃん」は許されたが、「〜なんだよなあ」を連発すると即座に“山王落ち”とされ、茶屋の二階から呼び戻されたという逸話が残る。なお、この逸話は期の口承採集にしか見えず、史料性には疑問がある[要出典]。
三宅つるの標準化[編集]
年間になると、茶屋の女将が口調を三分類した。すなわち「入山」「同山」「退山」である。入山は初対面で用い、同山は同席中に維持し、退山は別れ際に丁寧さを回復させるための形式であった。つるは末に帳面を七冊残したとされ、各冊には客の反応が二十四段階で記録されていた。
この体系はやがてやに取り入れられ、寄席では「山王を噛む」と呼ばれる独特の間が生まれた。語尾を少しだけ上げて相手に委ねる技法であり、観客が笑う前に同意してしまうため、当時の演者の間で非常に重宝された。
構造と用法[編集]
三つの基本型[編集]
タメ口山王の基本型は、第一に肩書を呼ばない、第二に文末を断定しすぎない、第三に相手の持ち物を先に褒める、の三点である。たとえば「それ、いい袂だな」「今日は風が味方してるね」といった言い回しが推奨された。
の商家では、この型を帳合・値切り・謝罪の三場面に使い分けたという。とくに値切り場面では「無理は言わないけど、ちょっと考えようぜ」が最上級の敬意表現とされ、の呉服問屋では一年に約1,800回も唱えられたと記録される[4]。
禁則と逸脱[編集]
一方で、タメ口山王には厳格な禁則が存在した。相手の名を三度以上連呼すること、語尾に「マジ」を重ねること、そしての最中に他人を呼び捨てにすることは禁じられていた。違反者は即席で「川向こう送り」とされ、近所の茶屋で一晩かけて口調を矯正された。
もっとも、明治以降は学生運動や演劇稽古に流入し、禁則の一部は逆に“粋”として受容された。とりわけ周辺の演劇サークルでは、謝罪と挑発の中間にある口調として再解釈され、台本なしの議論法として用いられたという。
社会的影響[編集]
タメ口山王は、町人社会における臨時の平等装置として機能したとされる。身分を問わず同席者であることを確認するための会話技法であり、の値付け、の前説、の番台会話などに広がった。
また、近代以降はの会議文化にも影響を与えたとされる。昭和初期の某電機会社では、役員会で一時的に役職を外して議論する「山王モード」が試行され、議論時間が平均で17分短縮したという。もっとも、同時に会議後の根回しが31分増えたため、総時間はほぼ変わらなかったと報告されている。
さらに、やにおいても、相方に失礼なくツッコむための口調として利用された。関西圏では「山王返し」と呼ばれ、相槌のあと一拍置いてから本題に入る技法が洗練された。
批判と論争[編集]
批判の多くは、タメ口山王が「対等」を装いながら、実際には場を仕切る者の権威を補強しているという点に向けられた。とくに末の言語学者は、これを「無礼の皮をかぶった管理技術」と呼んだとされる[5]。
また、1934年の『』掲載記事では、山王式の流行によって若年層が「です・ます」を使えなくなる懸念が示されたが、翌年の読者投稿欄では「むしろ丁寧語より誠実である」と反論が寄せられた。なお、当時の投稿者の七割が同一人物だった可能性があるとも指摘されている[要出典]。
現代の用法[編集]
現代では、タメ口山王は主に、、の文脈で参照される。SNS上では、初対面でも角を立てにくい口調テンプレートとして要約され、語尾をやわらかくする「山王化」が若年層に広まったとされる。
ただし、実際には多くの場面で単なるくだけた話し方と混同されている。山王会派の保存団体であるは、年に一度の「口調査定会」で、参加者の発話を7秒ごとに採点し、基準を満たさない者には“芝山王式再訓練”を勧告している。2023年の受講者は1,247名で、うち68名が「やけに自然すぎる」として再検査となった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 清原半十郎『門前会話規矩考』芝山文庫, 1832年.
- ^ 三宅つる『山王口調七冊』私家版, 1841年.
- ^ 遠山兼次「対等話法の管理機能」『言語史研究』Vol. 12, No. 3, pp. 41-66, 1912年.
- ^ 佐伯雅之『寄席と口調の近代化』日本評論社, 1978年.
- ^ Margaret L. Thornton, "Tameguchi and Civic Speech" Journal of Urban Philology, Vol. 8, No. 2, pp. 115-139, 1964.
- ^ 川島正彦『江戸門前町の会話経済』東京大学出版会, 1994年.
- ^ 高橋絵里子「山王モード会議の実務効果」『企業言語学紀要』第4巻第1号, pp. 7-23, 2008年.
- ^ 日本山王口調協会編『山王式話法標準教程』山王出版, 2017年.
- ^ 小笠原信一『無礼の礼法』河出書房新社, 2001年.
- ^ 中村義人「口調の山王落ちに関する一考察」『国語と生活』第19巻第4号, pp. 88-104, 1936年.
- ^ 『中央公論』1934年7月号「山王式会話は流行か風習か」, pp. 52-59.
外部リンク
- 日本山王口調協会
- 門前会話史料館
- 芝山王口語アーカイブ
- 山王式話法研究所
- 口調文化デジタルライブラリ