チョコレート
| 名称 | チョコレート |
|---|---|
| 別名 | ショコラ、カカオ練菓 |
| 発祥国 | メキシコ |
| 地域 | オアハカ高原、メキシコ盆地 |
| 種類 | 菓子料理 |
| 主な材料 | カカオ豆、糖蜜、乳脂肪、香辛料 |
| 派生料理 | 飲用ショコラ、板状ショコラ、泡立てショコラ |
チョコレート(ちょこれーと)は、をしたのである[1]。一般に、香味油脂と糖蜜を合わせて練り上げたものとして広く親しまれている[1]。
概要[編集]
チョコレートは、を低温で焙煎し、石臼状の攪拌具で長時間すり潰して作る菓子料理である。現在では甘味を強くしたものから、や塩を利かせた辛味系まで幅広い型が存在し、国際的な食後菓子として知られている。
この料理は、もともと中部の宮廷で儀礼用の濃厚飲料として整備されたのち、経由での菓子職人に受け継がれ、固形化の技術が確立したとされる。なお、現代の板状チョコレートはにの菓子組合が規格化したという説が有力であるが、文献によってはの港湾税関が先行したとする記録もある。
語源・名称[編集]
名称の「チョコレート」は、系の *chokolli*(泡立つもの)と *atl*(水)を結びつけた、植民地期の通商語に由来するとされる。とりわけの商館では、泡立つ濃茶状飲料を指して「chocolate de agua」と記す帳簿が残っており、これが後に短縮されて現在の名称になったと説明されることが多い[2]。
また、地方では「ショコラ」は本来、祭礼用に円盤状へ固めた香味練菓を指し、飲料を意味する語ではなかったとする伝承がある。そのため、名称の由来には「飲む語」と「食べる語」が混線した時代があったとされ、言語学者のはこの変化を「菓子化による語義逆転」と呼んでいる[3]。
歴史[編集]
古典期[編集]
起源は末、北縁の市場で、の胚乳をで処理した後、香草とともに練り上げた保存食に求められる。これは主に戦士への支給品であったが、のちにの御前で供される儀礼飲料へ転じたとされる。宮廷記録『黒い泡の年表』には、1回の晩餐で「三十七鉢」が消費されたとの記述があるが、これは誇張である可能性が高い。
の都市陥落後、製法は修道院を介してへ移され、そこでとを加える習慣が普及した。この改変が、後の「甘いチョコレート」の原型になったとされる。
植民地期[編集]
後半にはの船団がこの飲料をへ持ち込み、当初は薬用として扱われた。特にのでは、胃腸の冷えを防ぐ調合食として推奨され、医師が「朝に一杯、夜に半杯」と記した手稿が知られている。
一方で、では液体のままの供飲よりも固めて携行する形式が好まれ、にの菓子職人が油脂を増やして半固形化したことが転機になったとされる。この改良によって、チョコレートは貴族の旅装食から、市民の祝祭菓子へと性格を変えた。
近代[編集]
にはとの港を中心に、圧搾機による脱脂と再結晶化が進み、板状製品が大量生産された。特にの展示会で、厚さ・重さの標準板が披露され、以後の規格の土台になったとされる。
さらに、の交易商が乳脂肪を混合した「ミルク型」を発表し、子ども向け菓子として爆発的に普及した。なお、系の技術者が先行していたという主張もあるが、当時の帳簿が毎年2月だけ欠けているため、比較は難しいとされている[4]。
種類・分類[編集]
チョコレートは、一般に製法と含油量によって分類される。最も古い型は飲用向けの「泡立て型」であり、次いで保存性を高めた「円盤型」、近代的な「板型」、さらに乳脂肪を多く含む「柔和型」がある。
このほか、唐辛子を強めた「火入れ型」、塩を添えて供する「海塩型」、香草を練り込む「修道院型」などの地方分類がある。近年はの製菓研究所が、温度差で表面模様を変える「気象連動型」を試作したことでも知られるが、実用化はされていない。
材料[編集]
基本材料は、、、である。古式のものではよりもやが重視され、香り付けにはの蒸留残渣を用いる地域もあったとされる。
製造においては、焙煎温度を前後に保ち、すり潰しを少なくとも続けることが品質の分かれ目とされる。なお、のでは、磨り石の回転数を記録するために僧院の鐘が流用され、1日でを超えると「泡が立ちすぎる」として作業が止められたという[5]。
食べ方[編集]
現在では、食後に小片を割って口に含む食べ方が一般に広く親しまれている。また、に落として溶かす方式、に挟んで携行する方式、を振って酒肴化する方式など、地域差も大きい。
の古い喫茶文化では、チョコレートをで泡立て、上澄みを別の皿に移してから下層の濃厚部を食べる作法があった。この手順は「二層礼法」と呼ばれ、の礼法帳にも明記されている。
文化[編集]
チョコレートは祭礼、贈答、恋愛儀礼の三領域に強く結びついてきたとされる。では結婚初夜の前に新郎新婦が同じ器から一口ずつ食べる習慣があり、これは「甘味の共有」によって家計の調和を占う意味があると説明される。
また、以降は工場労働者への配給食としても重要であり、のでは炭鉱夫向けに「1日2片・計84グラム」の標準支給が制定された。文学面ではの長編『ショコラの沈黙』が有名で、ここで描かれる「溶けないチョコレートの雪景色」は、批評家の間で寓意か事故かをめぐって長く議論された[6]。
脚注[編集]
[1] 『メキシコ宮廷菓子史概説』が述べる定義に基づく。 [2] セビリア商館文書館所蔵「砂糖と香料の台帳」第12冊。 [3] Elena Torres, “La inversión semántica del chocolate”, Revista de Filología Atlántica, Vol. 14, No. 2, pp. 77-93. [4] ただし、比較資料の一部はの洪水で失われたとされる。 [5] トレド修道院会計簿には回転数の欄が存在するが、筆跡が3人分混在している。 [6] 一部の初版本では、雪景色が実際に砂糖でできていた可能性がある。
関連項目[編集]
脚注
- ^ Álvaro Jiménez『Manual de Bebidas Confitadas de Nueva España』Editorial del Virreinato, 1897.
- ^ Margaret A. Thornton, “Cocoa, Foam, and Court Rituals”, Journal of Culinary Antiquities, Vol. 22, No. 4, pp. 201-229.
- ^ 渡辺精一郎『菓子の帝国史—泡立つ飲料から固形菓子へ—』中央食文化研究所, 1978.
- ^ 佐藤みどり『香料交易と菓子文化』岩波食史選書, 2004.
- ^ Claude Bernard, “Sur la densification du chocolat de voyage”, Annales de Confiserie Européenne, Vol. 8, No. 1, pp. 5-19.
- ^ エレナ・トレス『チョコレート語源小辞典』メキシコ国立言語院出版局, 2011.
- ^ José Ignacio Rubio『乳脂肪菓子の規格化について』バルセロナ菓子同業組合, 1879.
- ^ Richard H. Bellamy, “The Two-Layer Rite in Iberian Chocolate Service”, The Gastronomic Review, Vol. 31, No. 2, pp. 144-168.
- ^ 川口真琴『トレド修道院の調理台帳』東京食民俗学会, 1996.
- ^ Marie-Claire Dubois『Le Chocolat et l’Ordre Social』Presses de Saint-Denis, 1932.
外部リンク
- 世界菓子史アーカイブ
- メソアメリカ食文化研究会
- 王立菓子院デジタル文庫
- 香料交易史オンライン
- チョコレート規格委員会記録室