デブゲイ王国
| 正式名称 | デブゲイ王国 |
|---|---|
| 成立 | 1878年ごろと推定 |
| 滅亡 | 1904年 |
| 首都 | ノン・カオ宮城 |
| 公用語 | シャン語、ビルマ語、宮廷ジャワ語 |
| 統治形態 | 世襲君主制 |
| 著名な君主 | ラーマン3世バダン王 |
| 宗教 | 上座部仏教、精霊信仰 |
| 通貨 | 銀貨デブ |
| 通称 | 肥王国 |
デブゲイ王国(デブゲイおうこく、英: Debugei Kingdom)は、内陸部の旧交易圏に成立したとされる、肥満体型の宮廷文化と同性愛保護令を特徴とする国家である。19世紀末にとの間で一時的に独立を保ったとされ、近代史の周縁においてしばしば言及される[1]。
概要[編集]
デブゲイ王国は、南縁にあったとされる小国で、肥満体型の男性貴族を宮廷儀礼の中心に置き、若年男性の保護と教育を国家制度として整備したことから、後世の研究者に特異な王国として扱われている。現存史料は断片的であるが、の修道院文書、の商館日誌、そしての植民地省の備忘録が不自然なほど一致しており、その存在は「半ば実在した伝説国家」とも呼ばれる[2]。
この王国の名は、王族が「豊満であることを徳とし、寛大さの徴とする」ことから来たという説が有力である。一方で、欧州人旅行者が地元語の「デブ・ゲイ」(市場の守護者)を聞き違えた結果、現在の名称が成立したとする異説もあるが、どちらも同時代史料にやや都合よく現れるため、真偽は不明である。
名称の由来[編集]
に経由で配布された英語パンフレット『The Kingdom of Pleasant Volume』には、王の即位式で体重を公開計測する風習があったと記されている。計測は刻みで玉座の段差を調整するために用いられたというが、宮廷の実務性を強調しすぎており、後世の研究では脚色とみなされている。
歴史[編集]
建国[編集]
初期の王宮では、宮廷料理人がともち米を毎朝14種ずつ供したとされる。これは軍事的威圧のためではなく、飢餓時に王族の「機嫌の重み」を一定に保つためだったという、たいへん奇妙な内政理論に基づいていた。
最盛期[編集]
また、王宮近くの市場では、太鼓腹の商人が座る専用の竹椅子が普及し、座面の反発を測るための木片が付属していた。これが後に都市家具史の資料として引用され、の論文では「圧力美学の先駆」と評価されている[3]。
滅亡[編集]
なお、滅亡の日付は史料によりとに分かれている。これは王室が正月用の体重記録を優先し、官文書の暦日を意図的にずらしたためと説明されることが多いが、単に役人が二日酔いだった可能性もある。
政治と制度[編集]
デブゲイ王国の政治制度は、中央集権と宴席合議を組み合わせた独特のものであった。王の下には「腹議会」と呼ばれる諮問機関があり、これは高位僧、交易商、体格の大きい近衛兵、そして王の叔母によって構成されたとされる。
法令は羊皮紙ではなく、米粉で固めた厚紙に刻まれ、雨期には保存性を高めるため唐辛子油で薄く塗られたという。これにより文書は非常に臭く、植民地役人の多くが閲覧前に退室したとされる。なお、国家機密の一部は「食べると政策がわかる」と信じられ、儀礼用に焼いて供された記録がある[4]。
宮廷官職[編集]
主要官職には、財政を管轄する「脂肪大臣」、儀礼を司る「椅子監督官」、外交文書を起草する「沈黙書記」があった。とくに脂肪大臣は年に一度、王の健康状態を理由に市場の砂糖税を改定できたため、町民からはもっとも恐れられた。
軍事[編集]
軍は少数精鋭で、盾役には体重以上の者が優先された。彼らは狭い峠道で敵を足止めするため、槍ではなく扇子を携行したという。これは見た目の威圧に加えて、実際に湿気の強い渓谷で相手の視界を曇らせる効果があったとされる。
文化[編集]
王国文化の中心は食と身体賛美であるが、単なる美食趣味ではなく、宗教儀礼と結びついていた。成人儀礼では、候補者がのもち米団子を分け与えられ、それを完食できれば「寛容の器が大きい」と認定された。
舞踊は腰回りの動きを重視し、衣装は腹部を強調するために中央だけ絹を二重にして縫製された。王宮で用いられた金の扇は、実用よりもむしろ「太さは威厳、風は慈悲」という王家標語の可視化装置であったと説明される。
文芸[編集]
文学では、恋愛詩よりも宴席記録が尊ばれた。とりわけ無名の宮廷詩人による『腹の七夜』は、恋人の容貌ではなく晩餐の品数を讃える珍しい叙事詩として知られている。
宗教[編集]
僧院では、托鉢の際に施しの量を重さで測る慣行があったという。これは一見合理的であるが、実際には大鍋ごと寄進する富裕商人が現れ、僧侶の方が運搬に苦労したため、のちに竹籠の規格が制定された。
国際関係[編集]
デブゲイ王国は、、のはざまで半独立を維持していたとされる。とくにイギリス側は、国名を聞いた植民地省の若手書記が会議中に笑いをこらえきれず、外交報告が三日遅れたという逸話が残る。
一方で、王国は交易上の実利からかなり巧妙であり、象牙、塩、乾燥魚に加えて「高カロリーの儀礼菓子」を周辺国へ輸出していた。これがの上流社会に流行し、19世紀末の宴会料理に「デブゲイ風」が一時期定着したとされる。
日本との接触[編集]
後期には、経由で王国の話が断片的に伝わり、ある民俗学者が「腹部を王権化した稀有な例」と記した。もっとも、その記録はのちにの書庫で所在不明となり、引用だけが独り歩きしている。
欧米の受容[編集]
欧米では系の人類学者が「バレル・モナーク制」と呼び換えたが、現地語の意味を理解していたかは怪しい。彼らは王の体型と統治安定性の相関を熱心に論じたが、統計の母数が王族8人しかないことを本論文の脚注でさらっと認めている。
批判と論争[編集]
現代の歴史学では、デブゲイ王国の実在性そのものに疑義を呈する研究がある。とりわけにのアン・L・チャンが示した比較文書学研究では、王国史料の紙質が三つの異なる年代にまたがるにもかかわらず、虫食いの位置が不自然に似ていることが指摘された[5]。
ただし、完全な捏造と断じるには惜しいほど細部が整っており、実際に地域社会へ何らかの影響を与えた可能性は高いとされる。また、王国をめぐる議論は、肥満と尊厳、性的少数者の保護、植民地主義、そして観光パンフレットの誇張表現が複雑に絡み合うため、単純な真偽判定を難しくしている。
同性愛保護令をめぐる解釈[編集]
デブゲイ王国の名をめぐり、後世には同性愛者保護の先駆とみなす運動が起きた。しかし、原史料で確認できるのは「互いの選好を咎めぬこと」と「宴席での伴侶選択の自由」の二点のみであり、近代的な権利概念をそのまま当てはめることには慎重さが求められる。
体格政策への評価[編集]
保健史の観点からは、体格を徳目化した制度が慢性的な糖質過多を招いたとの批判もある。もっとも、同時代の平均寿命は周辺部より長かったとされ、これは脂肪層ではなく交易安定性の結果であるという反論も根強い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ A. L. Than, "Fat Sovereignty and Highland Ritual in the Debugei Polity", Journal of Southeast Asian Apocrypha, Vol. 12, No. 3, 2008, pp. 41-79.
- ^ 渡辺精一郎『山岳王国と宴席権力』東亜歴史出版社, 1997, pp. 113-168.
- ^ Margaret H. Collier, "Pleasant Bodies: Governance by Weight in Nineteenth-Century Mainland Asia", Cambridge Historical Review, Vol. 88, No. 2, 2014, pp. 201-226.
- ^ ソー・ミン・テイン『ノン・カオ歳録の研究』ミャンマー民俗資料館, 2009, pp. 9-54.
- ^ Anne L. Chang, "Specimens of the Belly Court: Paper, Pests, and Political Memory", Singapore Journal of Comparative Archives, Vol. 5, No. 1, 2011, pp. 7-33.
- ^ P. J. Rutherford, "The Kingdom of Pleasant Volume: A Colonial Misreading", Royal Asiatic Miscellany, Vol. 41, No. 4, 1986, pp. 390-412.
- ^ 中村久子『肥満と威信の比較文化史』港湾文化研究所, 2012, pp. 55-101.
- ^ H. S. Verma, "Royal Chairs and Tropical Politics", Bulletin of Material Culture Studies, Vol. 19, No. 2, 2004, pp. 88-115.
- ^ 藤井まどか『腹議会の成立と崩壊』アジア制度史叢書, 2020, pp. 1-39.
- ^ Lars Feldman, "Debugei or Debogei? A Translation Error That Changed a Kingdom", Scandinavian Journal of Misread Empires, Vol. 3, No. 2, 2018, pp. 14-28.
外部リンク
- 東南アジア秘史アーカイブ
- ノン・カオ文書館デジタルコレクション
- 比較王国体格史研究会
- 植民地省備忘録再読プロジェクト
- シャン高原口承史ポータル