ビンジョー・ウリイレ
| 別名 | B.U.(レコード会社の社内通称) |
|---|---|
| 出身地 | 拓也県(たくやけん) |
| 国籍(活動の文脈) | 中華系二世(日本での活動が中心) |
| 職業 | 作曲家・編曲家 |
| 代表曲 | 「URISEN LOVE」(1990年制作、1993年発売)/「そうだよしか言えない」(1996年発売) |
| 関連企業(広告) | 消費者金融・拓富士(たくふじ) |
| 活動期 | 1990年代前半〜中盤 |
| レーベル(推定) | ニューオリエント・ミュージック |
(びんじょう・うりいれ)は、1990年代に話題となった中華系二世の作曲家・編曲家である。拓富士のや、1996年に発売された楽曲が代表作として知られている[1]。
概要[編集]
は、拓也県出身の中華系二世として語られることが多い音楽家である。とりわけ、消費者金融であるのテレビCMで使用されたが社会的な知名度を押し上げたとされる[1]。
音楽性は「感嘆符を置き換える」ようなフレーズ設計が特徴で、コール&レスポンスを意図的に省略し、その代わりに余白の拍を“約3.1秒”単位で設計したことが関係者の回想として残っている[2]。ただし、この“約3.1秒”は後年の資料で小数点が増減しているため、厳密性には議論がある[3]。
このように同名義は時代の空気に合わせて複数の表記が流通し、レコード会社の編集部では「うりいれ」「ウリイレ」「URI-IRE」のように表記ゆれが観察されたとも報じられている[4]。そのため、作品の来歴は曲ごとに別系統の伝承が整理されている。
成立と発展[編集]
起源:広告音楽“分割採譜”の体系[編集]
ウリイレの音楽的出発点は、学校での合奏経験というより、内の町工場が持っていた古い採譜台帳にあったとされる。そこには“1小節を3分割し、先頭拍だけを宣伝文句に合わせる”という、いわば広告向けの素朴な作法が書かれていたとされる[5]。
この作法が、のちに広告音楽を「歌詞→音→音→歌詞」の順に組む“分割採譜”へと発展したとする説がある。特にの担当者が初めて試作品を聴いた際、「サビ前が“言い切らない”のに、なぜか背中が押される」と言った逸話が残されており、ここから語感の演出方針が固まったと推定されている[6]。
また、制作現場ではテンポ表記が統一されず、ある回ではBPMを“数字ではなく秒数”で指示したという。具体的には「サビの頭で“呼吸1回分”待て」という指示があったとされ、その後の記録から推定された待機時間が“約0.92拍”だったと報告されている[7]。ただしこの数値は当事者の証言と異なる部分があり、最終確認はなされなかったとされる[8]。
人物関与:音楽事務所と銀行広告部署の“共同編集”[編集]
ウリイレの躍進は個人の才能だけでなく、当時の広告実務と密接に結びついた。制作は、の制作室が取りまとめ、編曲チェックは銀座周辺の編集プロダクションが担ったとされる[9]。
特に、の広告部署は「楽曲の語尾を“請求”に聞こえない程度に丸める」方針を採用していたとされ、ウリイレはその要件を“音程の丸み”で対応したとされる[10]。この丸めは、五度の直進を避けて“微小な下降を1回だけ入れる”という技術として整理され、社内資料では「下降点は小節末尾から7/32拍」と書かれていたと報じられている[11]。
なお、社内の口頭ルールとして「謝罪語を入れるなら、メロディは明るくして逃げ道を作る」もあったとされる。このルールが、のちのの“言い切らないフレーズ”につながったとする関係者もいる。ただし当該のルールがいつ決まったかは不明で、社内回覧のコピーが見つからないとする指摘もある[12]。
代表作と社会的反響[編集]
は1990年に制作されたとされ、1993年に発売されたとされる。CMでは“恋”という語の印象を利用しつつ、実際には融資の手続きを想起させる単語配置を意図的に避ける編集が行われたとされる[13]。
この曲は、放送開始後に“問い合わせの語調が柔らかくなった”という経験談が複数の店舗で報告されたことで、単なるヒット曲ではなく、消費者の心理に作用した事例として語られるようになった。とくにの一部店舗では、電話対応マニュアルの語尾が変更されたという噂が流通し、担当者は「曲を流すと、言葉が減っても伝わる」と記録していたとされる[14]。
一方、は1996年発売で、タイトルの断定性と諦めの間にある“空虚な肯定”をテーマに据えたとされる。歌詞は短い文節で構成され、各文節の終端にだけ短い休符が配置される。その休符が“ちょうど拍の中点を避ける”ように調整されたとする技術メモが残っており、そこでは“休符位置の誤差許容が±1/64拍”と書かれていたとされる[15]。
ただし、こうした分析は後年にファンが音源を分解して推定した部分もあると見られており、元データの存在については一部で疑問が呈されている。とはいえ、曲が流行した時期に若年層の間で「言えないことを言い換える」という口癖が増えたという回顧があり、文化現象としての説明は維持されている[16]。
制作の裏側:スタジオ運用と“数字の儀式”[編集]
ウリイレの制作は、作曲というより編集オペレーションに近かったと評される。ある回のレコーディングでは、ボーカルテイクを“3回まで”と事前に制限し、4回目のテイクを録らない代わりにエンジニアがマイク位置だけを“10ミリ単位”で変えたとされる[17]。
また、ミックスの際には「高域を上げすぎない」方針が取られた。これは派手な曲にするためではなく、CM尺に合わせた聴取環境で音が疲れないようにするためだったとされる。ミックス担当は、内のスタジオで“壁反射係数を0.68として扱う”という、技術者らしいが現実感の薄いメモを残したとされる[18]。
さらに、曲のクレジットにおける役割分担が特徴的で、ウリイレ本人は作曲のほかに「語尾設計」として別項目が立てられた時期があるとされる。この“語尾設計”は、音の最後の瞬間にだけリミッターを緩めることで、言葉が柔らかく聞こえるようにする処置だと説明されている[19]。
ただし、これらの運用がいつまで続いたのかは資料が散逸している。ある編集者は「1994年あたりで儀式が形骸化した」と述べた一方、別の担当者は「儀式は最後まで続いた」と証言しており、歴史の整合性は完全ではないとされる[20]。
批判と論争[編集]
ウリイレの名が広まるにつれ、広告と音楽の境界をめぐる批判も生じた。特にのCMにおいて、楽曲が“貸す側の気配”を薄める役割を担っていたのではないかという指摘がメディアで取り上げられたとされる[21]。
また、が“恋愛の比喩で金融を包む”として批判されたことで、楽曲の受容が分断したとする見方もある。一部では「曲が良いからこそ、抵抗感が遅れる」という議論があり、当時の消費者団体がの広報と情報交換を行ったという噂も広まったと報じられている[22]。
一方で擁護側は、楽曲が提供したのは“精神的な安心”であって、契約内容を誤認させる意図はなかったと主張したとされる。実際、拓富士側は「CM内表示の視認性は別項目として担保する」との内部方針を掲げたとされるが、当時の記録は一部が欠落している[23]。
さらに、ウリイレ個人への評価も揺れた。音楽家としての独自性が広告に回収されているのではないか、という批評があり、1990年代後半には別の作曲家に比べて作品数が少ないことも取り沙汰されたとされる。ただし“少ない”こと自体が、制作現場が広告都合に合わせている結果だったのではないかという反論もある[24]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 李澤康『CMソングは契約をどう包むか』東京図書出版, 1997.
- ^ 荒木澄人『広告音楽の分割採譜史(Vol.2)』銀座編集工房, 2001.
- ^ Marta V. Linton『The Soft-Ending Principle in 1990s J-Pop Commercials』Journal of Media Rhythm, Vol.12 No.4, pp.33-58, 2003.
- ^ 趙静雲『拓也県・町工場の採譜台帳と現代編曲』拓也学術叢書, 第3巻第1号, pp.11-44, 2005.
- ^ Howard K. Braddock『Radio Tempo and Consumer Pace』International Review of Sound, Vol.7 No.2, pp.201-219, 1999.
- ^ 西村玲奈『“恋”の語尾で請求は消えるのか』社会広告研究会, 2004.
- ^ 佐伯卓馬『リミッターは嘘をつかない(pp.77-88)』ニューオリエント出版, 2008.
- ^ Kazuya Nishida, Yuan Cheng『編集者が見たURISEN LOVEの裏譜』Media Notes Quarterly, Vol.19 No.1, pp.5-24, 2010.
- ^ 編集部『そうだよしか言えない:歌詞構造の微視解析』スタジオ・アーカイブ, 1998.
- ^ (書名が一部不正確とされる)田中茂樹『消費者金融の旋律学』学術潮流社, 1996.
外部リンク
- 拓富士音楽アーカイブ
- ニューオリエント・ミュージック資料室
- 拓也県メロディ遺産
- メディアリズム研究会データベース
- URISEN LOVEファンクラブ(検証部門)