ポストモダン前衛料理の一覧
| 定義 | 料理の“味”だけでなく、説明・記号・沈黙・失敗を素材化する試みを指すとされる |
|---|---|
| 成立時期 | 1980年代後半から1990年代初頭にかけての文化圏で整理された |
| 主な拠点 | 周辺と、の小規模ギャラリー空間 |
| 媒体 | 現場提供と同時に、レシピではなく“台詞”や“注釈”が配布される |
| 特徴 | 食べる行為が、鑑賞・交渉・訂正を含む儀礼として扱われる |
| 選定基準 | 当時の批評で“料理として成立した”と記録されたことを要する |
(ポストモダンぜんえいりょうりのいちらん)は、1980年代以降に文脈(コンテクスト)や言語を含む形で提供されたとされる前衛料理の事例を体系化した一覧である。初期は領域の実験厨房から始まり、後に食体験を批評する運動へと発展したとされる[1]。
概要[編集]
は、ポストモダン的な文脈操作を“調理工程”に組み込んだ料理事例を、料理名の形でまとめたものである。一般に前衛料理が「味」や「技法」の限界を押し広げたと見なされるのに対し、本一覧では「説明の長さ」「提供の順番」「沈黙の秒数」といった非味覚要素が、味そのものと同等に扱われた事例が優先されている。
本一覧の成立は、の小劇場との展示会場で同時期に生じた“食べることの失敗”の共有に起因するとされる。当時の主催者は、客が食べ残した皿を「作品の一部」として保存し、翌日の批評会で「何分残ったか」を記録した。この習慣が、いわゆる「前衛料理の目録」という形式へ転換したと推定されている[2]。ただし選定基準には揺らぎがあり、後年の編集会議では「入れるべきは味か、注釈か」の論争が長引いたとされる[3]。
一覧[編集]
=== 時間・順番を食材化した料理 ===
1. 『沈黙の泡立ち』(1991年) 前菜として提供される透明スープが、説明文なしに8分43秒だけ“待たされる”。口に含んだ客が最初に発する音(咳・笑い・ため息)をスタッフがメモし、その後に塩を追加する方式が取られていたとされる。採用理由は「味の判断は沈黙の長さで決まる」という当時の掲示にある[4]。
2. 『十三手の給仕』(1990年) 皿が運ばれるまでに十三回の動作(受け渡し、位置調整、紙ナプキンの交換)が挿入され、最後の一手だけが“食材”に触れる。客は調理の代替として手続きの完了を待つことになる。編集者の一人は、この料理を「手続きの味がする」と評した[5]。
3. 『食べる前の温度』(1994年) スプーンを先に温めずに差し出し、客が「冷たい」と言う直後に温度を合わせる。掲示には“冷たいと言語化した瞬間から温まる”と記されており、実演では温度計が故障しても成立したと報告されている。要点は言語が調理工程を上書きする点にある[6]。
4. 『順番の逆流』(1988年) デザートから始め、途中で「今食べてはいけない」と伝えることで、味覚ではなく罪悪感を増幅させるとされた。参加者の回想では、スタッフが「戻ることができない」と繰り返したため、客が自発的に逆順を守ったという。なぜ一覧に入るかというと、逆順が“作品の安定性”として記録されたためである[7]。
=== 記号・注釈を“材料”として扱う料理 ===
5. 『注釈付きの焼き米』(1992年) 焼いた米粒の上に、学術注釈のような短文が印字された薄紙が載せられる。客が注釈を読み上げると、薄紙が蒸気で溶け、米に“文章の香り”が付与されたとされる。実際には香料の種類が紙の版面に依存していたが、客側はそれを知らされなかった[8]。
6. 『脚注のデザート』(1993年) デザートに添えられたソースが、見出し番号だけで構成されている。たとえば「※第3条」と記された部分だけが糖度計で変調される仕組みであったとされる。収録理由は、客がページをめくる動作を“食感”として報告したことにある[9]。
7. 『レシピの不在』(1987年) 皿にレシピが一切添付されず、代わりに「今日は何を作ったのか」を尋ねる質問票だけが置かれる。客が書いた回答がそのまま翌日の調理台に掲示され、同じ皿が別の人の“言い分”で再調理された。編集者は「レシピが存在しないことで、味が生成される」と要約した[10]。
8. 『引用される香辛料』(1995年) 香辛料が、誰かの料理批評からの“引用”として配合される。たとえば「玉ねぎは泣く」といった比喩が、比率0.02の香りとして再現されたという。なぜ一覧に入るかは、引用元が地元紙の文化欄であった時期に人気が集中したからだとされる[11]。
=== 失敗・訂正・手直しを前提にする料理 ===
9. 『訂正される塩』(1989年) 最初に提供される塩はわずかに過多で、客が「しょっぱい」と言う前にスタッフが紙札で訂正を提示する。訂正後の塩は、同じ容器に入っているはずなのに味が変わると説明される。記録では容器が交換されていた可能性が高いが、当時の批評は“訂正の速度”を評価していた[12]。
10. 『焦げの美術史』(1996年) 焦げ目を作らず、客が持ち帰った後に焦げが“現れる”と告知される。実際には仕込み時点で微量のカラメル前駆体が残っており、再加熱で均一化しただけだとされるが、なぜか美術館のレビューで「歴史の焦げ」として言及された[13]。このズレが、本一覧の理念である“解釈の上書き”に適合した。
11. 『食べ直しの権利』(1991年) 食べ残しが「権利」であり、客は一度だけ返金ではなく再提供を要求できる。スタッフは“再提供した時間”を刻印したレシートを渡し、再提供分の皿には別の皿番号が振られる。収録理由は、制度設計が味の受容を直接変えたという報告が残っているためである[14]。
=== 身体性・儀礼を含む料理 ===
12. 『口腔の展示』(1990年) 客はマウスピース状の“記号具”を渡され、食べる前にそれを装着する。装着中は話せないため、味の説明ができず、代わりに指差しで選択させる方式であったとされる。なぜ一覧に入るかは、展示会のアンケートで「味より沈黙が印象的だった」が最頻だった点にある[15]。
13. 『衣服と温度』(1994年) 料理の温度ではなく、客の衣服素材(綿・羊毛など)をスタッフが目視で分類し、その分類に応じた温め時間が設定される。客は自身の素材を選べないにもかかわらず“選んだ気分”が強制されたと回想されている。編者は「身体の自己物語を刺激する」と書いた[16]。
14. 『会釈で分かれるスープ』(1986年) 入口で会釈の角度を計測し、会釈が小さい客へは酸味を強めた澄まし汁、大きい客へは甘味を強めた濁り汁を配るとされた。計測には角度センサーではなくスタッフの“体感”が使われたとされ、だからこそ分岐が曖昧であることが作品性とされた[17]。
15. 『皿の占有時間』(1992年) 皿の前に置かれた砂時計が0分になった瞬間に、スタッフが皿を取り上げる。客は食べ終えるというより“占有を終える”ことになる。収録理由は、食後の満足感が実際の摂取量より占有時間と相関したという報告(館内統計)が残っているためである[18]。
=== 混成・越境型(料理とメディアの境界を揺らす) ===
16. 『テレビの匂い鍋』(1997年) 鍋の上部に小型の受像機が置かれ、放送のノイズが換気口から香りとして取り込まれると説明された。実際の発生源は香料の制御だった可能性があるが、客の一部は“報道の匂い”として記憶したという。なぜ一覧に入るかは、放送局の記者が「音が味になると誤解した」と記事化した時期があるためとされる[19]。
17. 『翻訳されない麺』(1985年) 麺の名称だけが複数言語で印字され、翻訳表は配られない。客は自分の言語直感で食べ、食後にスタッフが「あなたの言語で当てた」と判定する。収録の決め手は、言語共同体が味覚を分岐させる事例として批評されたことである[20]。
18. 『故障したタイマーの音楽皿』(1998年) タイマーが鳴らず、代わりに機械音だけが一定間隔で鳴る。客は鳴りの間隔で料理の“出来”を推測する。後年の編集で「故障が前提化された」と整理され、選定基準に適合したとされた[21]。なお、タイマーが実際に故障していなかったという証言もあり、矛盾が“ポストモダンらしさ”として加点された[22]。
=== 地方都市の小規模運用(ローカル版) ===
19. 『名古屋の膜(まく)サラダ』(1989年) の小さな会議室で提供されたとされるサラダで、透明な膜が主役とされた。膜は食べられるが、食べても“証拠”として残すために皿の外側にだけ付着させるよう誘導されたとされる。収録理由は、持ち帰り後の記録写真が“味の証拠”として流通したことにある[23]。
20. 『札幌の霜(しも)マイオグラフ』(1995年) の冬季イベントで、霜の模様を測定することで味の方向性が決まるとされた。模様は実際の霜ではなく、冷却プレートの表面加工で生成されたと推定されているが、客が“天気の気配”として受け取ったとされる。編集会議では「気配を食べたのか、情報を食べたのか」が争点になった[24]。
批判と論争[編集]
本一覧に含まれる料理の多くは、味覚の再現性を犠牲にしているとして批判されている。とりわけ『故障したタイマーの音楽皿』のような、意図された誤作動が作品の中心になる例では、提供側の説明不足が「詐術」とみなされることがある。
一方で、擁護派は「料理は試食のためではなく、観察と解釈のためにある」と述べることが多い。実際、会場では“口に入れる前に解釈が成立する”ことが参加条件に含まれており、批評会の議事録には「解釈の投票率が68.4%に達した」といった具体的数値も記されている[25]。
また、批評の編集方針をめぐって、ある編集者が「注釈の長さは作品の階層を示す」と主張したのに対し、別の編集者は「階層化は政治的に危険」と反論したとされる。結果として、本一覧では注釈の存在がある料理だけを一部優先しており、その選別自体がポストモダン的な“自己言及”になっているとの指摘がある[3]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田中オリバー『ポストモダン調理手続きの目録』東京書房, 2001.
- ^ M. A. Thornton『Culinary Indexing and Contextual Bites』Oxford Journal of Food Aesthetics, Vol. 12 No. 3, pp. 41-73, 2007.
- ^ 山根縁人『注釈が溶けるまで—前衛料理の配布資料研究』中央出版社, 1999.
- ^ Jules R. Bernier『The Silence Interval in Modern Dining』Paris Institute Press, Vol. 4 No. 1, pp. 9-26, 2003.
- ^ 佐藤澄香『タイマーは鳴らない—故障前提の演出論』青林文庫, 第2巻第1号, pp. 110-139, 2008.
- ^ K. Nakamura『Institutional Meals and the Right to Re-Serve』Journal of Experimental Hospitality, Vol. 19 No. 2, pp. 201-225, 2012.
- ^ M. L. Kwon『Aroma as Translation Noise: Multilingual Noodles』International Review of Applied Semiotics, Vol. 7 No. 4, pp. 77-101, 2016.
- ^ 伊達静夫『焦げの美術史(ただし所蔵館が異なる)』新星館, 1996.
- ^ A. Dubois『Television Smell: Broadcast-Driven Gastronomy』Revue de Cuisine Médiatique, Vol. 3 No. 2, pp. 55-88, 2011.
- ^ 【朝日】文化部『全国前衛皿図鑑(版面の香りを含む)』朝日文化出版, 1998.
外部リンク
- 前衛料理目録アーカイブ
- 注釈配布資料リポジトリ
- 食の記号論フォーラム
- 実験厨房の写真索引
- 沈黙計測の公開ログ