ラスクくん
| 名称 | ラスクくん |
|---|---|
| 分類 | 広報キャラクター、菓子文化 |
| 初出 | 1968年頃とされる |
| 活動地域 | 関東地方、長野県、東北地方の一部 |
| 関係組織 | 日本ラスク普及協議会、都内製菓連絡会 |
| 象徴色 | 淡い黄金色 |
| 口癖 | サクっといこう |
| 関連商品 | 缶入りラスク、学習帳、駅弁風菓子 |
| 備考 | 1974年の冬季販促で急速に知名度を上げた |
ラスクくんは、の一種であるを擬人化した広報キャラクター、またはその周辺に形成された独自の消費文化を指す呼称である。主にを中心とするで普及したとされ、後にの記号としても用いられるようになった[1]。
概要[編集]
ラスクくんは、を人格化した販促上のキャラクターであり、菓子売場の案内板、包装紙、観光ポスターなどに用いられてきた存在である。一般には丸い目と、耳のように見える二枚の焼き面を持つ少年として描かれ、砂糖の粒を「星屑」と呼ぶ設定が定着している。
その成立は40年代後半の菓子再編期に求められることが多いが、実際にはの某製パン工場で試作された「焼き残りの再利用ラベル」が原型であったとする説もある。なお、この時点では現在のような愛称ではなく、「R-17」という管理番号で呼ばれていたと伝えられている[2]。
歴史[編集]
誕生と初期設定[編集]
1968年、の製菓卸売業者・相模屋販促研究所が、硬くなったパンを甘く加工した試供品を市場に出す際、包装の印象を和らげる目的でマスコット案をまとめたのが起点である。当初は職員のメモに「焼面の少年」「乾いたが温かい」という抽象的な記述しかなく、これが後年のラスクくん像の核になった。
初代デザインは出身のイラストレーター、田所光枝が担当したとされる。田所は菓子の粒立ちを強調するため、顔の輪郭にわずかなギザギザを入れたが、印刷工程でその線が意図せず増幅し、結果として「笑うと粉がこぼれる」ような独特の表現が生まれたという。
全国普及と駅売りの時代[編集]
1974年の冬、との売店で「ラスクくん缶」が試験的に並べられた。缶にはミニサイズのカードが同封され、全12種を集めるとラスクくんがに乗る図柄が完成する仕掛けであったため、鉄道利用者の間で異常な交換熱が起きたとされる。
この販促は、のちにの前身にあたる鉄道関係者の集まりにも影響を与え、駅弁売場の隣に菓子キャラクター棚を設ける慣行の先駆けになったという。ただし、当時の記録簿には「菓子売上が前年同期比で38.4%増」とある一方で、来訪者アンケートの回収枚数が17枚しか残っておらず、統計の扱いについては要出典とされている[3]。
文化現象化と自治体コラボレーション[編集]
1980年代に入ると、ラスクくんは単なる菓子の添え物ではなく、地域PRの中核へと変化した。小諸市では「乾燥と寒暖差を生かした焼成文化」の象徴として採用され、学校給食週間に合わせて、牛乳瓶の蓋と同じ直径の缶バッジが配られた。これにより、児童の間で「今日は何枚目のラスクを残さず食べられるか」を競う遊びが流行したとされる。
また、の一部百貨店では、ラスクくんが季節催事の案内役を務め、地下食品売場のベーカリー導線を改善したと報告されている。導線設計を担当したの内部資料には、ラスクくんの立像がある売場では平均滞在時間が1.7分伸びるとあり、キャラクターが購買行動に与える影響の事例としてしばしば引かれる。
設定[編集]
ラスクくんは、表向きには「乾いたパン片に命が宿った存在」と説明されるが、業界内では「再加熱可能な熱量の擬人化」と解釈されることもある。体の大きさは製品規格に合わせて可変で、展示用等身大パネルでは身長128cm、着ぐるみ運用時は147cm前後とされた。
性格は楽天的で、湿気を極端に嫌う一方、雪の日にはやたらと機嫌が良いという設定がある。これはの「乾燥注意報」と連動した販促企画から発生したもので、関係者の間では「気圧が下がるとラスクくんの顔が少し濃くなる」とも言われた。なお、この現象を測定するため、1979年に都内の菓子研究会が8ミリフィルムで観察記録を残したとされるが、現物の所在は不明である。
社会的影響[編集]
ラスクくんの影響は、菓子売上にとどまらず、包装材のデザイン、駅売店の陳列、さらには子ども向け職業体験にまで及んだ。1987年以降、内の製菓工場見学では「焼成後にすぐ触らないこと」を伝えるため、ラスクくんの顔を印刷した注意札が使われ、結果として見学者の離脱率が12%低下したとされる。
一方で、菓子を擬人化しすぎたことへの批判もあった。とくに一部の栄養学者は、ラスクくんが「軽やかさ」を過度に強調し、糖質摂取への警戒感を薄めたと指摘した。これに対し、日本ラスク普及協議会は「一枚で終わる設計思想こそが節度を促す」と反論している。こうした応酬は、のちの文化の先行例として語られることがある。
批判と論争[編集]
最大の論争は、ラスクくんの「本来の発祥地」をめぐるものである。横浜発祥説、の洋菓子工場起源説、さらには留学帰りのパン職人が持ち込んだ説があり、いずれも決定打に欠ける。1992年の座談会では、出席者5人中4人が異なる創作年を主張し、議事録がそのまま迷文書として残された。
また、1998年に開催された「全国ラスクくんフェア」では、公式マスコットの目の位置が前年より2ミリ外側にずれたことが「人格変更」にあたるとして、愛好家団体の一部が抗議した。主催側は単なる印刷誤差と説明したが、結果的にこの騒動が記憶され、現在では「ラスクくん二眼期」と呼ばれている。
派生文化[編集]
ラスクくんには多数の派生形が存在する。代表的なものに、塩味商品向けの「しおラスクくん」、冬季限定の「雪帽ラスクくん」、および学校教材向けの「かみ砕きラスクくん」がある。とくに「かみ砕きラスクくん」は、算数ドリルの余白に登場し、分数の説明をパンくずの数で表す独自の教育法として一部の学区で採用された。
また、の一部観光地では、ラスクくんの顔をかたどったマンホール蓋が設置され、雨天時にキャラクターが最も不機嫌そうに見えることから、写真愛好家の撮影対象になっている。2021年には、AIによる自動生成ポスターの誤認識で、ラスクくんが一時的に「海に浮かぶ少年」として描かれたが、この誤作動が逆に人気を呼んだ。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯健二『菓子擬人化史研究』東都出版, 2004.
- ^ Margaret L. Howard, "The Rusk Character Boom in Postwar Japan", Journal of Food Design Studies, Vol. 12, No. 3, 1998, pp. 41-67.
- ^ 田所光枝『焼き菓子の顔料と表情設計』南雲社, 1971.
- ^ 日本ラスク普及協議会編『全国ラスクくん資料集 第1巻』協議会資料室, 1986.
- ^ 中村紗季『駅売店と菓子キャラクターの相互作用』交通文化研究, 第18巻第2号, 2009, pp. 9-24.
- ^ Robert P. Ellison, "Humidity Aversion in Promotional Mascots", Bakery History Review, Vol. 7, No. 1, 2001, pp. 88-102.
- ^ 小野寺宏『観光土産キャラクターの成立と拡散』地方広告学会誌, 第23号, 2015, pp. 113-130.
- ^ 相模屋販促研究所『R-17試作記録簿』社内文書, 1968.
- ^ 山岸透『マンホールと地域記号の政治学』港北書房, 2020.
- ^ Emily J. Carter, "A Tiny Error of Two Millimeters: Visual Identity Crisis in Mascot Merchandise", International Journal of Souvenir Studies, Vol. 4, No. 2, 2011, pp. 5-19.
外部リンク
- 日本ラスク普及協議会
- 菓子擬人化アーカイブ
- 全国駅売店文化研究センター
- 横浜包装史資料館
- ラスクくん公式年表委員会