剃りたてなのに青々とした髭
| 名称 | 剃りたてなのに青々とした髭 |
|---|---|
| 別名 | 青髭残像、剃後青斑、バーバー・ブルー |
| 初出 | 1897年ごろ |
| 提唱者 | 田所 兼吉 |
| 分類 | 理容現象・視覚錯誤・通俗皮膚学 |
| 主な発生地 | 横浜、神戸、東京 |
| 関連機関 | 大日本理髪衛生協会 |
| 特徴 | 剃毛直後に青みが強く見える |
| 社会的影響 | 面接、婚礼写真、従軍検査に影響 |
剃りたてなのに青々とした髭(そりたてなのにあおあおとしたひげ)は、後にもかかわらず皮膚の表面に青みを帯びた硬質の影を残す現象、またはその状態を指す俗称である。主にとの境界領域で研究され、19世紀末ので成立したとされる[1]。
概要[編集]
剃りたてなのに青々とした髭は、剃毛処理がなされた直後にもかかわらず、顎周辺に青味を帯びた輪郭が残って見える現象である。一般には青髭と混同されるが、当該概念は単なる濃さではなく、剃刀圧・毛根の反射・皮膚下の血流変調が複合して起こると説明されてきた。
この概念は後期の居留地において、舶来のと和式髭剃りの摩擦から生まれたとされる。特にの理髪店「鶴亀館」で記録された「剃っても青い男」の症例集が基礎資料になったという説が有力である[2]。
成立の背景[編集]
田所兼吉は、にの協力を得て、剃毛後の皮膚をとで観察する実験を行った人物である。彼は、髭が青く見える理由を「毛そのものの色」ではなく「剃られた断面の都市的な断面美」にあると主張し、当時の新聞『横浜日報』に連載した。
もっとも、田所の論説は学術というより、理容広告に近い筆致であったとされる。彼は一例として、で港湾労働に従事していた男性23名を調べ、うち19名が「剃毛後3時間以内に青みが増した」と記録したが、測定器具がで自作されたため、後年に強い批判を受けた[要出典]。
理論[編集]
断面反射説[編集]
最も有力とされるのは断面反射説である。これは、剃刀によって切断された髭の断面が、皮膚内部の湿度と合わせて青灰色の光を散乱させるという説で、理容研究会のが1924年に整理した。松浦は、髭の断面角度が37度を超えると青みが増すとし、理髪店の鏡台に分度器を置く運動を提唱した。
ただし、実際には分度器を置いた店ほど繁盛しなかったともいわれる。理由として、客が「角度を測られると敗北感が強い」と感じたためであるとする記述が残る。
毛根残響説[編集]
一方、理容文学派は毛根残響説を支持した。これは、剃毛後も毛根が皮膚内で微弱な振動を続け、その位相が青色に見えるというもので、の理髪師・がに『理髪と残響』として発表した。黒田は、剃った後に客へ三秒間だけ沈黙を求める独自の作法を考案し、沈黙中に青みが最も安定すると主張した。
この作法は一部の料亭で流行し、商談前に三秒沈黙を挟む「青定め」の習慣へと発展した。なお、当時の料亭の帳場では「青定め一回につき追加で一銭五厘」と記されている例がある。
血流変調説[編集]
戦後になると、の外郭団体であるが血流変調説を採用した。これは、剃刀の刺激で微細な血流が一時的に変化し、その上に毛の影が乗ることで青緑色に見えるという説明である。班長のは、顕微鏡観察のために自ら3日間連続で髭を伸ばし、結果として会議に遅刻した回数が12回に達した。
この説は理論としては比較的穏当であったが、実際には説明が穏当であるほど雑談にならないため、当時の大衆にはあまり普及しなかった。むしろ「青いのは気合いが足りないからだ」という精神論が新聞広告で広まった。
社会的影響[編集]
剃りたてなのに青々とした髭は、初期の身だしなみ規範に大きな影響を与えた。特にやの間では、午前中の青みが面接評価に直結すると信じられ、に剃る者とに剃る者の間で非公式な階級意識が生まれた。
またにはが、地方官吏向けに「青髭抑制心得」を配布し、剃毛後の顔をで包むことや、で毛根を鎮めることを推奨した。この通達は効能が不明であるにもかかわらず、地方紙によって「近代衛生の勝利」として大きく報じられた。
さらにでは、婚礼写真において花婿の髭の青みが「誠実さの証」と解釈される逆転現象が起き、写真館がわざわざ青髭を強調するレタッチを導入した。これに対し理髪業界は「青みを消すより、青みを品に変えるべきだ」と主張し、1938年にはが「青髭礼法三箇条」を制定した。
主要な事件[編集]
横浜青斑騒動[編集]
、に入港した外国船員の一団が、剃毛後の青みを理由に検疫を拒否された事件が、後に「横浜青斑騒動」と呼ばれるようになった。検疫官は当初、感染症の兆候と誤認したが、実際には船内で配られたラベンダー石鹸が強すぎたため、髭の影が濃く見えただけであったという。
この騒動をきっかけに、港湾地区の理髪店では「港に着いたらまず剃るのではなく、まず鏡を見る」という合言葉が広まった。
青髭三分法事件[編集]
、の百貨店が開催した紳士向け講習会で、講師が「髭の青みは三段階で評価できる」と断言し、会場が混乱した事件である。講師は青みを「淡青」「官能青」「退職青」に分類したが、最後の用語だけ異様に浸透し、定年世代の自虐表現として全国に広がった。
百貨店側は翌週に講習会を中止したが、受講者の半数以上が「家で妻に見せるための資料」として配布パンフレットを持ち帰ったという。
批判と論争[編集]
学界からは、剃りたてなのに青々とした髭という概念自体が、観察条件によっていくらでも変わる曖昧な現象であるとして批判された。とくにのは、1958年の論文で「これは病理学ではなく礼装の問題である」と断じ、理容界との間で3か月にわたり紙上論争が続いた。
また一部のフェミニズム系雑誌は、この概念が男性の見た目にだけ過剰な社会的意味を与えていると批判した。一方で、地方の理髪店主たちは「青く見えるからこそ顔が締まる」と反論し、青みを完全に消すと「顔がのっぺりして信用がない」とする独自理論を展開した。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田所兼吉『剃毛後青斑の民俗学』横浜理容研究会、1899年。
- ^ 松浦重市『断面反射と都市の顎線』東京帝国大学出版会、1925年。
- ^ 黒田キヨ『理髪と残響』大阪毛髪文化協会、1930年。
- ^ 中里静夫『毛孔色彩研究班報告書 第3号』厚生省外郭資料、1956年。
- ^ 長谷川文夫「剃後青斑の社会記号論」『皮膚と生活』Vol. 12, No. 4, pp. 221-239, 1958年。
- ^ Margaret A. Thornton, "The Barber's Blue and Civic Presentation", Journal of Urban Grooming Studies, Vol. 8, No. 2, pp. 44-61, 1963.
- ^ 佐伯道郎『青髭礼法三箇条とその周辺』京都府理容組合刊、1939年。
- ^ Kenji Arakida, "Post-Shave Cyanosis in Port Cities", Transactions of the Pacific Hygiene Society, Vol. 17, No. 1, pp. 5-19, 1972.
- ^ 神奈川県衛生試験所 編『剃毛に関する観察覚書』第2巻第1号, pp. 7-33, 1901年。
- ^ Eleanor V. Pike, "Freshly Shaved Yet Stubbly Beard and the Politics of Morning Light", The Review of Speculative Dermatology, Vol. 5, No. 3, pp. 100-118, 1988.
外部リンク
- 大日本理髪衛生協会アーカイブ
- 横浜青斑資料室
- 都市身体美学データベース
- 理容と影の研究所
- 毛孔色彩研究班デジタル文庫