大権現オリハルコンなすび
| 正式名称 | 大権現オリハルコンなすび |
|---|---|
| 別名 | 権現茄子、金殻茄子、御霊代なすび |
| 分類 | 祭祀用園芸品種 |
| 成立 | 1828年ごろ |
| 成立地 | 武蔵国江戸神田周辺 |
| 用途 | 供花、夏越祓、商家の厄除け |
| 象徴色 | 黒紫と金橙 |
| 関連人物 | 柏木宗圀、田所為吉、マルガレータ・F・ベーア |
| 現存系統 | 関東三支群のうち2系統 |
大権現オリハルコンなすび(だいごんげんオリハルコンなすび)は、後期のとの境界領域で成立したとされる、祭祀用のの一系統である。の旧一帯で信仰と栽培が結びついたことで知られている[1]。
概要[編集]
大権現オリハルコンなすびは、表面に金属光沢を帯びた黒紫色の果皮を持つとされる祭祀用のである。通常の食用に供されることもあったが、主たる価値は実用性ではなく、厄除けと豊穣祈願の象徴性にあったとされる。
江戸後期の神田周辺では、鉱山由来の金属粉と肥料配合を誤って持ち込んだことが起源であるとする説が有力であり、その後、の門前町を中心に「見るだけで縁起がよい野菜」として流通した。なお、一部の史料には9年の「青菜改帳」に掲載があるが、同帳簿自体の真正性には疑義が残る[2]。
成立史[編集]
神田青物市場での発見[編集]
成立はごろとされる。神田青物市場の仲買・柏木宗圀が、房州方面から届いた黒茄子の苗に、古銅鋳造の研磨粉を混ぜた土を与えたところ、果皮が異様に強い金属光沢を帯びたという逸話が残る。柏木はこれを「神意のあらわれ」と受け取り、同年の初午に三十三株をの講中へ献上した。
この三十三株のうち、実際に実を結んだのは二十一株であったが、講元の記録では「二十六株成就」とされている。後年の研究では、記録係が数え間違えたというより、五株分が雨で腐ったことを縁起が悪いとして帳簿から消した可能性が指摘されている。
オリハルコン名の成立[編集]
「オリハルコン」の語が付されたのはである。江戸の金工師・田所為吉が、果皮の光沢を見て「青銅でも銅でもない、もっと高貴な金属の気配がある」と評し、古典趣味の流行に便乗してギリシア由来の語を採用したとされる。以後、商標的な呼称として「大権現オリハルコンなすび」が定着した。
ただし、当時の下町では単に「権現なす」と呼ばれることが多く、「オリハルコン」は上方の茶人や蘭癖の好事家が好んだ外来風の飾り語にすぎなかったという見方もある。町年寄のの日記には、「名は大げさにして味は素朴」との記述が残る[3]。
神社祭祀との接続[編集]
以降、神田一帯のでは、輪の中央にこの茄子を三段に積む「茄子塔」が作られるようになった。これが流行した背景には、黒紫の果皮が夜の邪気を吸うとする民間信仰と、収穫後も傷みにくいという実務上の利点が重なったことがある。
また、神職のが記したとされる『権現茄子縁起』では、茄子のヘタを頭頂に見立てて奉納する作法が定められた。もっとも、同書は現存する写本が二本しかなく、しかも互いに奉納回数が二回ずつ食い違うため、後世の加筆が濃厚である。
栽培法と形態[編集]
大権現オリハルコンなすびは、一般のに比べてやや小ぶりで、果実の先端が鈍く閉じるのが特徴である。平均果長は11.4センチメートル、重量は1株あたり年間約2.8キログラムとされ、供物としては「手に収まるが、掌で包み込むには少し重い」ことが好まれた。
栽培には、灰を一握り、米ぬかを七割、古釘を三本という特殊な土壌配合が用いられたという記録がある。実際に古釘を入れる必要はなかったとみられるが、文政期の園芸家たちは「金気を宿すため」として鉄くずを好んで混ぜた。なお、過剰な金属粉は根腐れの原因になったとされ、12年には神田の苗床で37鉢が同時に枯死する事故が起きた。
社会的影響[編集]
商家の縁起物としての普及[編集]
期には、神田の呉服商や米問屋が店先に乾燥した権現茄子を吊るし、商売繁盛の印とした。特にの紙問屋「濱田屋」では、年末の棚卸しよりも先に茄子の交換日を定めており、これが近隣商家の慣例になった。交換時には必ず9個を一組とし、10個にすると「値が張るが実が詰まりすぎる」と嫌われた。
この風習は一時、下の大工組にも広がり、梁の上に茄子の小枝を挿す習俗が見られた。幕府の町奉行所が黙認したのは、少なくとも書類上は祈願であり、迷信取締りの対象になりにくかったためとされる。
近代園芸への影響[編集]
20年代には、東京府農事試験場の技師・が、金属光沢を品種固定できるか実験した。彼は5年間で412株を交配し、うち18株に「権現斑」と呼ばれる薄い金色の筋を確認したが、最終報告書では「再現性に乏しい」と結論づけた。
それでも一部の園芸愛好家は、これを観賞用ナスの祖型として扱い、の博覧会では「金殻蔬菜」として小さな展示区画が設けられた。来場者アンケートの自由記述欄には、「焼くには惜しいが、眺めるには少々頼もしすぎる」との感想が残っている。
民俗学上の再評価[編集]
後期になると、民俗学者のが、神田周辺の古老23人への聞き取りを基に、本種を「野菜信仰の都市型変種」と位置づけた。彼女は、収穫された茄子が実際に食卓へ上る前に家内安全の儀礼を経る点に注目し、これを「食べられる御神体」と記述している。
ただし、上村の調査票には「オリハルコンを見たことがあるか」という設問が含まれており、回答の大半が「金色の夢ならある」となっていたことから、調査設計の妥当性には疑義がある。
批判と論争[編集]
大権現オリハルコンなすびをめぐっては、早くから「品種名ではなく商売上の看板である」との批判があった。とりわけ末期、青果商組合は「見た目が派手なだけの高値茄子」として市場価格の吊り上げを問題視し、の一部では露店販売が三日間停止された。
また、近年の研究では、現在「原種」とされる系統の少なくとも一つが、実際にはの別系統との交雑である可能性が示されている。これに対し、保存会側は「系統の純粋性よりも、祈りの連続性が重要である」と反論している。なお、2017年の保存会総会では、記念切手の色味をめぐって会場が30分以上紛糾した[4]。
現代の保存と利用[編集]
現在、大権現オリハルコンなすびの系統はとの二か所で細々と維持されているとされる。年間の栽培株数は公称で約640株、実際の出荷可能数はその半数程度であるが、保存会はむしろ「半数残れば御の字」と説明している。
には、の共同研究班が、低光量下で光沢が増す「夜光皮相」現象を報告し、学会で小さな話題となった。もっとも、発表スライドの最後に「観賞用としては、冷蔵庫の上に置くと映える」と書かれていたため、研究者の一部は真面目に受け止めきれなかったという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 柏木宗圀『神田青物市場雑記』神田講社出版部, 1836年.
- ^ 田所為吉『金工と蔬菜のあいだ』下町文化研究会, 1842年.
- ^ 岡本平左衛門「権現茄子見聞録」『江戸風俗集成』第12巻第3号, pp. 41-58, 1861年.
- ^ 黒瀬真巳『権現茄子縁起』湯島神職会, 1844年.
- ^ 三浦徳次郎「黒紫果皮における金属光沢の固定試験」『東京府農事試験場報告』Vol. 7, No. 2, pp. 113-129, 1894年.
- ^ 上村しず枝『都市民俗における食用御神体』民俗書房, 1978年.
- ^ H. A. Whitcombe, 'On the Luminescence of Domestic Eggplants', Journal of Applied Horticultural Folklore, Vol. 14, No. 1, pp. 9-31, 1956.
- ^ Margareta F. Baehr, Orichalcum and the Edible Shrine, University of Leipzig Press, 1968.
- ^ 『神田権現茄子保存会会報』第23号, pp. 4-19, 2017年.
- ^ 東京農業大学植物文化共同研究班「夜光皮相現象の観察」『園芸民俗学紀要』第5巻第1号, pp. 77-90, 2021年.
- ^ 石原清一『茄子塔と商家儀礼の変容』関東民俗叢書, 2009年.
外部リンク
- 神田青物市場資料館
- 権現茄子保存会
- 園芸民俗学アーカイブ
- 東京下町縁起物研究所
- 武蔵野植物文化センター