後ドパ天皇
| 称号 | 後ドパ天皇 |
|---|---|
| 在位(推定) | 不明(後付けで補正されたとされる) |
| 時代区分 | 中世末期風の系譜として扱われる |
| 即位儀礼の特徴 | 「後」が付く儀礼運用 |
| 中心地 | の仮御所とされる |
| 関係機関 | 系の儀礼監査局(後年編纂の形) |
| 主な功績(伝承) | 香料税の“後払い”制度 |
| 異説の多さ | 系図の異同が多い |
(ごどぱてんのう)は、の系譜として記録される日本の天皇であるとされる。特に「即位儀礼の一部が“後”(あと)にずれ込む」珍しい慣行で知られている[1]。
概要[編集]
は、文献上は「後(あと)を受けて補われる天皇号」とされる存在である。具体的には、即位直後に完成させるはずの儀礼手順が、何らかの理由で“後になって”追補されることがあり、それを象徴する天皇号として扱われたと説明される[1]。
この天皇号が生まれた経緯は、後世の編纂者の手癖と、地方の帳簿行政がぶつかった結果だとする見解が有力である。とりわけ、御所関連の文書を所管した「儀礼監査」の役人が、遅延分を正当化するために「後ドパ」という俗称を天皇家の儀礼文脈へ持ち込んだとされる[2]。なお、「ドパ」の語源は諸説があり、香料(ど)と“償(ぱ)”が混ざったという説や、口誦儀礼の節の読み違いだという説などが挙げられている[3]。
成立と記録のされ方[編集]
系図編集という技術[編集]
が実在したかどうかは、そもそも系譜の編成様式が「原典の保存」ではなく「行政上の整合」を優先していたことから論じられるとされる。実際、後世の資料では、空白になった即位日を埋める際に、儀礼手順の遅延を“日にちの後ろへ回す”ことで解決した痕跡が見られるという[4]。
この作業はに置かれたとされる仮御所の文書係が中心となり、遅延した帳簿を「○月○日分として計上するのではなく、○月の“後”へ付け替える」手法が採用されたと伝えられている[5]。さらに、儀礼監査の文書には「追補分は合計でちょうど12行分」といった異様に具体的な決まりが残っているとされ、研究者を困惑させている[6]。
「後」をめぐる制度設計[編集]
制度面では、即位儀礼に必要な香料・紙・燭台の調達について「後払い」を前提にした運用が導入されたとされる。香料税は本来、調達の翌月に徴収する建て付けであったが、ある年に限って催促記録が行方不明になり、監査局が“回収済みに見える形”へ修正したのが契機だと説明される[7]。
このとき監査局は、支払い期限を「通常の期日」から「期日+後三十六日」とする規則をこっそり記したとされる。しかも、実務上は三十六日ではなく「三十九日と書き、後で三日を削って辻褄を合わせた」という噂があり、系の監査史料に「後(あと)三つ」を示す記号が残っているとされる[8]。ただし、その史料の系譜番号は判読が困難で、真偽は未確定だとされている[9]。
歴史的背景(物語としての起源)[編集]
中世末期の“儀礼遅延”と行政の摩擦[編集]
の発想は、天皇そのものというより「儀礼の遅延をどう説明するか」という実務的な課題から生まれたと推定されている。中世末期に近い雰囲気の時代、周辺では、御所の儀礼用具を運ぶ河川輸送が天候で止まりやすかったとされる。すると、供給契約の履行日がずれ込み、調達書類の“日付”が空白化したとされる[10]。
そこで、文書係の一人であるは、空白を埋める代わりに「空白を“後ろへ移す”」という編集方針を提案したと伝えられる[11]。同時に、監査役のが“遅延しても破綻しない見せ方”として、天皇号に「後」を抱き合わせる方法を仕立てた、という筋書きが採られたとする説がある[12]。
関与した人々(それっぽく仕立てられた共同体)[編集]
この共同体には、宮廷儀礼に詳しい写経僧、会計に強い下級役人、そして地方の商人が混在したとされる。特に商人側は、香料の仕入れが遅れると利益が落ちるため、「税を後払いにしてくれれば、次の仕入れが回る」と交渉したという逸話が残る[13]。
その交渉記録として、の近郊で作られたとされる「香料の粒数台帳」が引用されている。そこには、香料一包を“ちょうど214粒”にそろえるという妙な厳密さが書かれているとされ、研究者の一部が「粒数を合わせる暇があるなら儀礼も前倒しできたのでは」と指摘している[14]。もっとも、台帳は後年の増補で、誤差が混入した可能性もあるとされる[15]。
社会的影響[編集]
にまつわる制度伝承は、当時の社会に「言い訳の正統性」を供給したと説明されることがある。すなわち、遅れた事実を否定するのではなく、「後(あと)へ回した」という形で制度に組み込むことで、責任を個人ではなく運用へ分散できたとする見方である[16]。
また、儀礼の遅延を“追補”として扱う発想は、後にの商人組合で会計監査のテンプレートに取り入れられたとされる。たとえば組合の規約には「遅延は3段階に分け、第一遅延は“仮”、第二遅延は“後”、第三遅延は“再後”」といった語が残るとされる[17]。この三段階は、遅れの度合いを符号で処理するため、帳簿の差し替えが統一され、監査が通りやすくなったとも言われている[18]。
ただし、ここには副作用もあった。運用を使い慣れると、遅延そのものが“イベント”として消費されるようになり、当事者が前倒し努力を怠るようになったという批判が生じたとされる。実際、後年の訴状には「儀礼が遅れたのは天候ではなく、後(あと)を使うための計画だったのでは」との趣旨が見られると報告されている[19]。
批判と論争[編集]
は、実在性よりも「編集の癖」が目立つことから論争の対象になっている。主要な批判は、系譜の空白を埋めるために、行政文書の作法が天皇家の儀礼にまで持ち込まれた結果、歴史叙述が制度説明の文章に近づいたのではないか、という点にある[20]。
たとえば、学者は「後三十六日」の規則があまりに制度的で、しかも実務の細部(“三日を削る”)が入っているため、後から作られた痕跡を疑うべきだと論じたとされる[21]。一方で、擁護側は「口誦儀礼の節の読み違い」説を採り、語源の“ドパ”も含めて誤記が歴史に勝手に定着しただけだと主張する[22]。
さらに、批判の中には笑いどころもあるとされ、ある編集者は「これが史料なら、献上の数が毎回“きっちり割り切れる値”で統一されているはずだ」と述べたという[23]。実際に、後ドパ天皇の伝承では米の奉納量が“割り切れ仕様”で語られ、ある年だけ「1,024束」という表現が出てくるとされるが、当然ながら後年の増補である可能性も高いとされている[24]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 榊原 朔弥『後払い儀礼の文書学』東京儀礼研究会, 2011.
- ^ 北畠 瑛梨『系譜における“後”の編集技術』学術出版局, 2014.
- ^ E. K. Marwood『Administrative Postponement in Court Rituals』Journal of Archival Imagination, Vol. 9 No. 2, pp. 33-58, 2017.
- ^ 小竹 眞門『香料税と帳簿の微調整』文書学院叢書, 第3巻第1号, pp. 101-139, 2016.
- ^ 王 瑞衡『Ritual Delay and Narrative Legitimacy』Kyoto Comparative Governance Review, Vol. 22, pp. 1-24, 2019.
- ^ ハドソン・レンツ『The “Dopa” Sound and Court Origins』Occasional Papers of Semiotics, pp. 77-96, 2020.
- ^ 飯田 蒼太『仮御所の機構:上京区文書の読み解き』【架空】史料館刊行物, 2008.
- ^ 伊達 稜太『儀礼監査の実務と追補手順』儀礼監査局出版部, 2012.
- ^ 荒巻 九郎左『粒数214の約束:香料台帳の研究』粒数研究所, 第1巻, pp. 12-45, 2015.
- ^ 北条 朱紗『後ドパ天皇は誰が書いたのか』国際系譜学会, 2023.
外部リンク
- 上京区仮御所文書データベース
- 儀礼監査局コレクション
- 香料税の粒数アーカイブ
- 追補系譜研究フォーラム
- 帳簿増補術メモ