東京宇宙大学
| 名称 | 東京宇宙大学 |
|---|---|
| 種類 | 大学キャンパス(教育・研究・打上げ訓練棟を含む) |
| 所在地 | 潮界地区 |
| 設立 | 66年(1981年) |
| 高さ | 主要ドーム 214 m / 観測塔 97 m |
| 構造 | 二重殻複合ドーム(セラミック炭化物ライナー+制振格子) |
| 設計者 | 設計統括:堀川紋次郎、構造監修:カリーナ・ヴァン・ローゼン |
東京宇宙大学(とうきょううちゅうだいがく、英: Tokyo Space University)は、にある[1]。
概要[編集]
現在ではは、宇宙機の姿勢制御研究を中核に据える教育機関として知られている一方で、学内に打上げ訓練と通信実験の設備を同居させるという点で、他大学との差異が大きいとされる。
本施設は、海風による腐食に耐えるように設計された複合ドームと、軌道上模擬信号を生成する低遅延通信室を特徴としており、見学者向けには「ドームの逆光展示」が常設されている。なお、設計思想には“学びは疑似重力で進む”という理念が強く反映されたとされる[1]。
このようには、学術的価値だけでなく、都市工学・防災教育・観光動線の設計まで含めた総合施設として語られることが多い。もっとも、同大学の創設過程には、後述するように複数の政治的・財政的な圧力が絡んだとも指摘されている。
名称[編集]
「東京宇宙大学」という名称は、当初は仮称として「東京軌道教育団(とうきょうきどうきょういくだん)」が検討されていたが、語感の調整のために最終的に現名称へ整理されたとされる。
当時の資料では、略称にあたる「東宇大(とううだい)」が広報で先行使用され、社内規程上は“宇宙”を単なる比喩語として扱わない方針が明記されたという[2]。また、学章は二等辺三角形の頂点に細い軌道環を重ねた意匠であり、背景の色は「潮界夜光(ちょうかいやこう)」と呼ばれる微光性顔料が使われたと記録されている[3]。
名称の固有性は、大学の所在地が単なる都心部ではなく、の沿岸再開発に連動して整備された点とも結び付けられている。つまり、宇宙を語る場所を“都市の縁”へ移すことで、教育の心理的距離を縮める狙いがあったと説明されている。
沿革/歴史[編集]
創設の経緯と謎の補助金[編集]
創設は55年(1980年)前後から始まったとされ、当時の研究費配分は「重力模擬シミュレータ」の研究会が主導したとされる。しかし、実際には“海上避難訓練”と“通信難民対策”を同時に満たす設備要件として組み立て直され、その結果として大学設置へ発展したというのが、後年まとめられた通説である[4]。
当初の申請では、建設費が総額「214億円(端数処理のため再計算で216億円)」とされ、さらに消耗品費が「年間3,200単位(旧単位:3,240)」と記載されていたことが、内部監査記録で見つかったとされる。監査側は“単位の揺れは研究計画の揺れ”と批判したが、設計側は「ドーム内環境の可変性を反映するため、あえて端数を残した」と回答したという[5]。
この時期、政治家の視察が相次いだ結果、見学動線の整備が先行し、学内に設けられた「逆光展示室」は、研究成果ではなく広報向けの計画として建てられたと伝えられる。のちに研究でも活用されたが、起点がPRであった点は“宇宙教育の原罪”として一部に残っている。
二重殻ドームの完成と運用開始[編集]
主要設備である二重殻複合ドームは、海塩粒子の付着を想定し、内側にライナーを、外側に制振格子を配置する構造として提案された。設計統括のは、構造計算の提出期限を三度延期し、そのたびに提出物が“潮位”と“波周期”の観測結果へ差し替えられたという[6]。
運用開始は66年(1981年)とされ、最初の教育カリキュラムは「軌道力学入門」を含みつつも、全学生が最初の半年間は通信室で“疑似遅延読み上げ”の訓練を受けたとされる。これは、のちに通信実験で使われる“遅延耐性”を人の側で養うという発想に由来する[7]。
また、学内に設置された観測塔は、当初は高さ90 m級の計画だったが、風の計測値が想定より安定していたため、最終的に97 mへ引き上げられたとされる。高さの増加は“見栄”ではなく、観測窓の視野調整に必要だったという説明が残っている。
施設[編集]
のキャンパスは、教育区画・研究区画・訓練区画に分けられているとされるが、動線はあえて混ぜて設計されている。例えば、一般見学は「逆光展示室」→「疑似重力講義ホール」→「低遅延通信室」の順で案内されることが多い。
主要建造物としては、直径が示されない代わりに「地図上の円弧が3,141.6 m相当」という説明が残っており、円周の取り方で記述が変わることがあるとされる[8]。この表現は、測量データの公開範囲に配慮したとも、設計者の遊び心と結び付けられたとも語られる。
さらに、訓練棟には“静音型”の模擬噴射装置が設けられているとされ、騒音値は「距離20 mで38 dB(ただし夜間は36 dB)」と掲示された時期があるという[9]。もっとも、この数値は装置の更新によって上下したため、掲示の方が先に更新されるという妙な運用が続いたと指摘されている。
交通アクセス[編集]
は潮界地区に所在するため、鉄道利用者には“海風側の連絡動線”が案内されている。最寄りの交通結節点としては「潮界臨港駅」が挙げられることが多く、構内通路からは徒歩約12分(雨天は14分)とされる[10]。
また、キャンパス専用のシャトルバスは、運行本数が「平日6往復、土日8往復」として告知されることがあるが、冬季のみ臨時便が加わり“合計10往復”となった年があるという。これは、低遅延通信室の換気効率を維持するために、講義開始時刻が微調整されたことに連動したと説明されている。
自家用車の場合は、入口付近に「減速リング」が設置され、車両の走行速度を一定範囲に保つことで、ドーム外壁への塵付着を抑える設計だとされる。ただし、観光シーズンには来訪者が増え、リングの運用が“半自動”から“現場誘導”へ切り替わることもある。
文化財[編集]
は、建造物自体が文化的価値を持つものとして扱われることがある。たとえば、二重殻ドームのうち北側の外殻パネル群が「潮界防災建築群」として登録され、維持管理方針が定められているとされる[11]。
また、大学の創設期に使用された観測塔の基礎杭の一部が、教育資料として保全されており、触れることはできないが、ガラス越しに年輪状の微細加工が見えると説明されている。ここでは“加工面の微振動が研究に使える”とする主張があり、保全と研究を両立する方針が取られたとされる[12]。
一方で、登録の基準が「材料の希少性」よりも「運用ノウハウの伝達可能性」を重視している点は、批評家からは“文化財の範囲が技術寄りすぎる”と受け止められることもある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 伊達縁二『潮界地区再開発と高耐食ドームの設計』港湾都市工学会, 1984.
- ^ モニク・レヴァン『Educational Satellites and Ground-Based Analogues』Springer, 1991.
- ^ 佐伯琢磨『低遅延通信室の環境制御(第1報)』日本宇宙工学誌, 第12巻第3号, pp. 41-58, 1986.
- ^ 堀川紋次郎『二重殻ドームにおける制振格子の経験則』建築構造研究報告, Vol. 7, No. 2, pp. 9-27, 1979.
- ^ 田坂真朱『学びは疑似重力で進む—東京宇宙大学の初期カリキュラム分析』教育技術年報, 第5巻第1号, pp. 101-129, 1983.
- ^ K.ヴァン・ローゼン『Sea-Salt Deposition Modeling for Composite Domes』Journal of Coastal Structures, Vol. 18, No. 4, pp. 210-233, 1990.
- ^ 松下涼『港湾臨港駅から逆光展示室までの観光導線設計』観光建築学会誌, 第3巻第2号, pp. 77-96, 1988.
- ^ 『東京宇宙大学施設要覧(昭和六十六年版)』東京宇宙大学出版局, 1981.
- ^ E. Tanaka『Training Noise Levels in Quiet Nozzle Simulators』Proceedings of the Quiet Systems Symposium, pp. 1-12, 1994.
- ^ 林楓『文化財登録制度と技術伝達—潮界防災建築群の事例』日本文化資源学会紀要, 第22巻第1号, pp. 33-49, 2002.
外部リンク
- 東京宇宙大学公式アーカイブ
- 潮界夜光ライブラリ
- 低遅延通信室デモ記録
- 二重殻ドーム測量データ室
- 北海浜市 港湾観光ナビ