航空自衛隊 てんちゃんのチクニー観測部隊
| 名称 | 航空自衛隊 てんちゃんのチクニー観測部隊 |
|---|---|
| 別名 | 第七微振動観測班、てんちゃん班 |
| 設立 | 1961年ごろ |
| 解散 | 1978年 |
| 所属 | 航空自衛隊 技術航空研究室 |
| 本部 | 東京都府中市および茨城県百里基地 |
| 任務 | 機体振動、乗員反応、気流異常の観測 |
| 通称装備 | 三連式紙テープ記録機、手持ち温湿度計、青い観測帽 |
| 有名な報告書 | 『微振動事象と人員集中度の相関に関する覚書』 |
航空自衛隊 てんちゃんのチクニー観測部隊(こうくうじえいたい てんちゃんのチクニーかんそくぶたい)は、内に設置されていたとされる、微細振動と機体周辺の気流変化を観測するための特殊観測部隊である。俗に「てんちゃん式」と呼ばれる独自の記録法で知られ、冷戦期の航空心理研究に影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
航空自衛隊 てんちゃんのチクニー観測部隊は、初頭にの旧航空技術研究施設で編成されたとされる、架空の観測部隊である。公式には存在が確認されていないが、当時の整備記録や私家版の回想録に断片的な記述があり、半ば伝説化している。
この部隊は、機体の低周波振動が乗員の集中力や疲労感に与える影響を調べる目的で創設されたとされる。名称の「てんちゃん」は、初代班長の軍曹の愛称に由来するとされ、部隊内では対象現象を「チクニー」と婉曲に呼ぶ独自語が使われた[2]。
成立の経緯[編集]
起源については、にで起きた夜間訓練中の計器誤作動事件がきっかけであるという説が有力である。事件後、機体の異常揺動と搭乗員の「妙な落ち着かなさ」が同時に報告され、当時の技術幹部だった一等空尉が、これを気流ではなく「微振動の心理効果」とみなしたことが発端とされる。
その後、技術研究本部の下部メモに「観測班新設、愛称使用可」との手書き注記が残されているという。なお、この注記には朱肉のにじみ方まで再現した模写が残っており、研究者の間では「編集のいたずらではないか」との指摘もある[3]。
組織構成[編集]
班長と班員[編集]
班長は天野千恵子軍曹であったとされ、本人は出身の元助手で、空自に入隊後、記録紙の折り目のつけ方が異様に丁寧だったため選抜されたという。副班長には上等空曹、記録係には空士長が就き、いずれも現場での聞き取り能力が高かったと伝えられる。
班員は最大で9名で、うち2名は常に「板挟み担当」と呼ばれる観測補助に回されていた。これは装備と人体の間に発生する熱だまりを再現するための役職で、現代の倫理基準では到底許容されないが、当時の報告書ではごく淡々と書かれている。
装備[編集]
標準装備は、製の改造航空測定筒、製の簡易記録端末、そして青い布で包まれた「てんちゃん箱」であったとされる。てんちゃん箱の内部には、紙テープ、蝋引き封筒、真鍮の小さなベルが収められており、一定の振動が検出されるとベルが一回だけ鳴る仕組みだった。
このベルが鳴る回数と乗員の発汗量を比べたところ、ある訓練日には相関係数0.74が出たとされるが、算出方法が手書きで不明瞭であり、後年の検証では「偶然の可能性が高い」とまとめられている[4]。
観測方法[編集]
観測は、主としての沿岸部、周辺およびの山岳気流試験場で行われた。部隊は午前4時台に出動し、機体を3分間静止させた後、乗員に沈黙を保たせたまま、紙テープに「感じた違和感」を1語だけ記入させたという。
興味深いのは、記入語の上位が「むずむず」「ちくり」「言いようがない」の3語で固定化していた点である。これを受けて班長の天野は、「現象名は観測対象に先行して生まれる」と述べたとされ、この発言が後の“てんちゃん理論”の出発点になった。
歴史[編集]
前史[編集]
前史として、後半のにおける「長時間飛行後の妙な焦燥感」研究が挙げられる。ここで出身の生理学者が、機体側の問題と人間側の問題を分けて測る必要性を主張したとされる。
また、村瀬の草稿には「高周波よりも低い、しかし感覚より先に来る揺れ」という表現があり、これが後に部隊の任務定義に転用されたという説がある。
最盛期[編集]
最盛期はからにかけてで、年間観測回数は平均42回、うち成功判定は11回であった。成功の定義は曖昧で、機体異常の再現に成功した場合だけでなく、隊員の一人でも「今日はある」と感じた場合にカウントされた。
の夏には、沖の訓練空域で観測中に全員が同じタイミングで手元のベルを鳴らし、記録紙に「非常に小さいが、確かにいる」と残した事件がある。これをきっかけに部隊は一時的に予算増額を受けたが、翌年度の会計監査で「成果物の実体が薄い」として再び縮小された。
終焉[編集]
、組織再編に伴い観測部隊は事実上解散したとされる。表向きは「航空環境計測班」への統合であったが、実際にはてんちゃん箱のベルが老朽化し、代替部品が見つからなかったことが大きかったという。
最後の記録には、天野千恵子が「観測は終わるが、むずむずは終わらない」と書き残したとされる。この一文は後年、の注釈欄で妙に有名になった。
社会的影響[編集]
この部隊の影響は軍事技術にとどまらず、後期のオーディオ機器開発、寝具メーカーの振動試験、さらには地方の民宿における「静けさ保証」サービスへと波及したとされる。特にの一部企業では、てんちゃん式記録法を応用した「触感ログ帳」が販売され、1970年代末には小さな流行になった。
一方で、学術界では「感覚の比喩を軍事観測に持ち込んだだけではないか」と批判され、の匿名討議でも賛否が割れた。もっとも、部隊の資料はなぜか整って保存されており、後世の研究者は「完全な捏造にしては紙の質が良すぎる」と評している[5]。
批判と論争[編集]
最大の論争は、そもそも観測対象である「チクニー」の定義が一定しなかった点にある。ある文書では「微細な不快振動」、別の文書では「精神集中を乱すほどの気まずい余韻」とされ、さらに私家版では「たぶん人の気配」とまで書かれている。
また、班長の天野千恵子が実在したかどうかについても、同姓同名の人物がの高校に在籍していたという記録が見つかり、話がややこしくなっている。研究史家のは「この部隊は、軍事研究というより昭和的な言い回しの保存装置である」と述べたが、反論も多い[6]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 天野千恵子『微振動事象と人員集中度の相関に関する覚書』防衛庁技術資料室, 1967.
- ^ 高瀬信彦「低周波揺動と搭乗員の自覚症状」『航空医学年報』Vol. 12, No. 3, 1964, pp. 41-58.
- ^ 村瀬達也「気流・記憶・気まずさの三項関係」『日本生理学雑誌』第18巻第2号, 1962, pp. 119-134.
- ^ 佐伯義彦『百里基地観測日誌 1965-1971』航空環境研究会, 1979.
- ^ Margaret L. Thornton, “On Micro-Vibration Logging and Crew Affect,” Journal of Comparative Aerospace Studies, Vol. 7, No. 1, 1972, pp. 3-27.
- ^ 小寺玲子『昭和観測語の成立と崩壊』東方出版, 1988.
- ^ Hiroshi Kanda, “A Historical Note on the Ten-chan Method,” Pacific Technical Review, Vol. 19, No. 4, 1981, pp. 201-223.
- ^ 渡辺精一郎『軍用観測装置と名付けの政治学』中央工業新書, 1976.
- ^ 『防衛研究ジャーナル』編集部「資料紹介:てんちゃん箱残存例」第4巻第1号, 1991, pp. 88-91.
- ^ F. Aoki, “When the Bell Rings Once: Notes on Japanese Sound Protocols,” International Journal of Field Measurement, Vol. 5, No. 2, 1970, pp. 77-80.
- ^ 天野千恵子「観測は終わるが、むずむずは終わらない」『府中技研メモ』第2号, 1978, pp. 1-2.
外部リンク
- 防衛資料アーカイブ・仮想索引
- 昭和観測語研究会
- 百里基地史料室デジタル館
- 航空文化ミニアーカイブ
- てんちゃん箱保存協会