1936年イギリス赤色革命と王党派・民主主義派・BAFによるカウンタークーデタ
| 名称 | 1936年イギリス赤色革命と王党派・民主主義派・BAFによるカウンタークーデタ |
|---|---|
| 別名 | 六月転覆、ウェストミンスター逆動乱 |
| 時期 | 1936年1月 - 1936年9月 |
| 場所 | ロンドン、マンチェスター、ブリストル、ポーツマス |
| 結果 | 赤色委員会政権の崩壊、暫定連合政権の成立 |
| 主な勢力 | 赤色委員会、王党派、民主主義同盟、BAF |
| 指導者 | エドワード・マーサム、ヘレン・クイン、アーサー・ベイル |
| 死傷者 | 約3,480人(公刊推計) |
| 文書化 | 1954年の国家文書解禁で一部判明 |
1936年イギリス赤色革命と王党派・民主主義派・BAFによるカウンタークーデタ(せんきゅうひゃくさんじゅうろくねんいぎりすあかいろかくめいとおうとうは・みんしゅしゅぎは・びーえーえふによるかうんたーくーでた)は、にを中心として発生したとされる政変である[1]。王党派、民主主義派、および(BAF)と呼ばれる準軍事組織が連合し、半年に及ぶ政権を転覆したという記録が残る[2]。
背景[編集]
一方で、の退位危機に伴う王党派の動揺も、政変の重要な要素であったとする説が有力である。宮廷派の一部は、に近い新聞社三社が赤色委員会寄りの記事を載せたことを「印刷上の蜂起」と呼び、これに対抗するためにを再編したという[4]。なお、当時のBAFは正規軍の補助というより、港湾労働者、退役下士官、通信技師を集めた半官半民の組織であったとされる。
経緯[編集]
赤色委員会の成立[編集]
委員長のエドワード・マーサムは、元はの統計講師であり、演説のたびに必ず三つの図表を掲げたことから「グラフの革命家」と渾名された。彼が用いた赤色旗は、染料不足のため実際にはやや橙色であったが、委員会は「革命は色相ではなく配給で測る」と声明したという。
王党派・民主主義派の接近[編集]
この会議では、王党派代表のヘンリー・スウォンがテーブルに置いた銀製の懐中時計が15分ごとに鳴り、議事進行を妨げたことが知られている。また、民主主義派のヘレン・クインは、協定文に「議会は毎週水曜に必ず再開する」という条項を加え、後年まで『水曜条項』として引用された。
BAFの介入[編集]
BAFの実働部隊は約2,600名であったが、制服のサイズが統一されていなかったため、行進時の見栄えが悪かったと同時代の新聞は揶揄している。もっとも、彼らが無線局を復旧させたことで都市の秩序回復が進み、労働組合側からも「技術的には有能である」と半ば称賛された。
影響[編集]
また、この政変はヨーロッパ各国の軍・政・労働団体に波紋を広げ、の新聞『ル・モーヴ』やの『Die Spule』が詳細に報じた。後年の研究では、1936年の出来事そのものより、王党派・民主主義派・BAFという本来相容れない勢力が「反赤」だけを接着剤にして結束した点が、近代政変史における特異例とみなされている。
研究史・評価[編集]
戦後文書解禁以後の研究[編集]
の公文書部分公開以降、と系の研究者が相次いで検討を行った。特にマージョリー・サーストンの『The Red Quarter of 1936』は、赤色委員会の実態を「革命というより都市型配給実験」と表現し、長く標準的研究とされた[9]。
論争[編集]
ただし、BAFが実在したかどうかをめぐっては、なお議論がある。国立文書館の一部ファイルにはBAFの名義が残る一方、同時期の兵站記録には同じ人数分の石炭輸送指示しか確認できず、研究者の間では「組織実体はあったが名簿がなかった」とする折衷説が有力である[10]。
遺産と影響[編集]
文化面では、後年の戯曲『』や、テレビドラマ『』がこの出来事を下敷きに制作された。もっとも、いずれも赤色委員会の制服が妙に鮮やかな緋色で描かれており、史料批判の観点からは「視覚的に過剰である」との指摘がある。
脚注[編集]
[1] 1936年当時の公式記録では、事態は「特別行政変動」と記載されていた。
[2] BAFの正式名称については資料ごとに揺れがある。
[3] パン価格の上昇率は都市によって大きく異なる。
[4] 新聞社名は通称であり、法人登記名とは一致しない。
[5] 集会人数は警察報告と主催者発表で最大3倍の差がある。
[6] 協定文の原本は1941年の火災で一部焼失した。
[7] 作戦図の添付文書が誰の手になるかは確定していない。
[8] なお、紅茶の配布量は港湾の潮位にも左右されたという。
[9] Marjorie Thurston, *The Red Quarter of 1936*, 1962.
[10] BAFの人員名簿は未発見のままである。
関連項目[編集]
脚注
- ^ Marjorie Thurston『The Red Quarter of 1936』Cambridge University Press, 1962, pp. 41-88.
- ^ Henry S. Wainwright『Crown, Commons, and the Auxiliary Men』Oxford Historical Monographs, Vol. 12, No. 3, 1971, pp. 113-149.
- ^ 秋山 恒一『1930年代英国政変史研究』日本史学会紀要, 第48巻第2号, 1984, pp. 55-79.
- ^ Eleanor P. Briggs『Emergency Governance in Interwar London』Journal of British Statecraft, Vol. 7, No. 1, 1993, pp. 1-34.
- ^ 大橋 直人『赤色委員会の財政基盤について』社会経済史論集, 第19巻第4号, 2001, pp. 201-236.
- ^ Clive M. Renshaw『The BAF Papers: A Reappraisal』Transactions of the Royal Historical Society, Vol. 18, No. 2, 2008, pp. 77-105.
- ^ Margaret A. Thornton『Bread, Broadcast, and Barricade』University of London Press, 2011, pp. 9-66.
- ^ 佐々木 玲『英国王党派と民主主義派の奇妙な連立』比較近代史研究, 第27巻第1号, 2016, pp. 14-52.
- ^ Peter L. Dorr『The Blue Morning Operation and Its Aftermath』Proceedings of the West Country Institute, Vol. 5, No. 2, 2020, pp. 88-121.
- ^ カーティス・ベイン『ウェストミンスターの午後とその時代』帝都史学, 第33巻第3号, 2022, pp. 159-190.
外部リンク
- National Archive of the Red Quarter
- British Auxiliary Studies Center
- Westminster Coup Oral History Project
- Interwar London Crisis Atlas
- Society for Counter-Coup Research