D.B.サトシ事件
| 名称 | D.B.サトシ事件 |
|---|---|
| 正式名称 | 警察庁による正式名称は「東京都第二空港上空旅客機強要事案」 |
| 発生日時 | 9月14日 21時23分頃 |
| 時間/時間帯 | 夜間(着陸直前〜離陸直後) |
| 発生場所 | (発着施設周辺および上空) |
| 緯度度/経度度 | 北緯35.62度/東経139.74度(周辺推定) |
| 概要 | 犯人は身代金受け取り後に乗客を解放し、離陸を強要したうえで上空からパラシュート降下し、行方不明となった。 |
| 標的 | 旅客機の乗客・乗員(全員が解放されたとされる) |
| 手段/武器 | 模型状の金属ケースおよび即席式の合図装置(所持品としてパラシュート収納具が確認された) |
| 犯人 | D.B.サトシ(容疑者名。実名・本名は不明) |
| 容疑(罪名) | 航空機の強取等に該当する強要・監禁・恐喝関連の疑い |
| 動機 | 自動応答式の録音要求に関する「交信の失敗」への報復説とされる |
| 死亡/損害(被害状況) | 死者は確認されず、負傷は軽微(呼吸器の一時的刺激等とされる) |
D.B.サトシ事件(でぃーびーさとしじけん)は、(56年)にので発生したである[1]。警察庁による正式名称は「東京都第二空港上空旅客機強要事案」とされ、通称は犯人の呼称から「D.B.サトシ事件」と呼ばれている[2]。
概要/事件概要[編集]
9月14日、のいわゆる「東京都第二空港」に接続する搬送路で、夜間に発生したハイジャック事件である[1]。通報はほぼ同時刻に3系統から入り、「犯人は」という呼称で、のちに「D.B.サトシ」と名乗る人物が強要行為を行ったと報じられた。
警察の記録では、犯人は乗員に接触したのち、身代金受け取りの条件を提示し、受領後に「乗客を解放し、飛行機を離陸させた」とされる[3]。その後、上空でパラシュートを背負って飛び降りたと説明されるが、目撃は断片的で、結局「未解決」として扱われた。
事件の特徴として、犯行手段が派手ではなかった一方で、要求内容が細部にわたり規格化されていた点が挙げられる。たとえば身代金の入れ物は、重量計測用の「0.8kg単位で段階調整可能」とされるアルミ製ケースであり、配布されたメモには“Bの文字を3回、Dの文字を1回、同じ声色で読め”という指示があったとされる[4]。このため、捜査は当初「冗談」扱いもあったが、現場の遺留品が後に決定打となったと記録されている。
背景/経緯[編集]
空港運用と“音声指示”文化[編集]
当時、東京都第二空港では夜間の連絡が自動応答に寄せられており、整備担当者が「ボタン一つで“了解”が出る」運用を増やしていたとされる[5]。そこに、犯人が録音指示を“理解させる”ことを狙った可能性が指摘された。
捜査側は、犯人が要求に使った文面の語彙が、民間の電話応対マニュアルの表現と似ていたと述べた。たとえば「〜の容疑で」「〜年(元号X年)X月X日」といった形式的な言い回しが、事件後に翻訳・写経されて見つかったという証言がある。もっとも、この点については「偶然の一致」との見方もあった。
また、犯人は自称の呼称として「D.B.」を先に置き、名として「サトシ」を後に続けたとされる。家族への呼びかけでもなく、単なる暗号でもないように見えることから、通信規格の一種と解釈する研究者も現れた[6]。この分岐が、後述の裁判でも争点として取り上げられることになる。
1981年9月14日前後の前触れ[編集]
事件の前、周辺では「同じ内容のチラシが同じ曜日に配られる」といった小さな噂が複数報告されていた[7]。内容は“青い封筒は開けるな”という一行のみで、落書きのように見えるが、封筒の紙質が規定品と一致したことから、単なる都市伝説とは言い切れないとされた。
さらに、事件の3日前には「東京都第二空港の補給棟で、無言の男が制服を着たまま立ち尽くしていた」という目撃がある。被害者や容疑者が語るような合理的な動機が見えないため、捜査は最初、経路違いの作業員と誤認したとされる。ただし、この目撃者が「時計の針が21時23分で止まっていた」と表現した点が異様であり、のちに現場の腕時計が“完全停止”した状態で保管庫から見つかったと説明される[8]。
事件当夜、最初の通報は21時23分頃に行われ、次の通報は21時24分、最後が21時25分で、わずか2分の差で状況が“上書き”されたように報告内容が変わったとされる[9]。この差分は、聞き間違いとみる向きもあるが、犯人の要求が短い時間で段階を踏んで変化した可能性も指摘されている。
捜査(捜査開始/遺留品)[編集]
捜査は、刑事部航空班が主導し、同日中に現場の周辺で聞き取りが開始された。検挙の方針は当初、「船舶や鉄道への乗り換え」を想定していたが、犯人が最後に上空から降下したとされるため、行方不明処理へ傾いた[10]。
遺留品として注目されたのは、犯行中に回収された“空気の匂いがするケース”である。ケースの内側からは、香料のような揮発物が検出され、のちに「パラシュートの収納袋を保管する際の防虫剤に由来する可能性」とされた[11]。防虫剤の成分は3種に絞られ、うち2種が同年の一般調達品で、残り1種だけが特定のメーカーの業務用だったとする報告が残っている。
さらに、ケースにはパンチング加工があり、直径5mmの穴が「16個×2列」配置されていたと記録されている。この配置は、犯人が“音声指示の再生機器”を固定するためのものだと推定された。なお、これについては「偶然の工場規格」説もあり、証拠の評価は割れたとされる[12]。
供述に関しては、現場で一度接触した乗務員が「犯人は逮捕されたと言われるのが嫌だった」と供述したとされる[13]。そのため、捜査側は本名を急ぐより、D.B.という呼称の意味を追う方向へ切り替えた。結果として、D.B.は暗号ではなく、当時流行した“音声応答の安全記号”である可能性が提示されるに至ったが、確証に乏しいとして一部は不採用となった。
被害者[編集]
被害者は旅客機の乗客と乗員であり、幸いにも死者は確認されなかった。警察の最終報告では、負傷は呼吸器の一時的刺激や転倒による軽傷が中心で、救急搬送は小規模だったとされる[14]。
ただし、事件後の事情聴取では、被害者側から「犯人は最初から“乗客を守る”口ぶりだった」という証言も出た。具体的には、犯人が「1人ずつ立って数えろ」と言ったが、数え終えた直後に座席へ誘導し、乗客の動線を遮らなかったという[15]。このため、単なる無差別殺傷の類型とは異なり、制御されたハイジャックだったのではないかと指摘された。
なお、目撃情報には矛盾もあった。ある乗客は「パラシュートを背負って飛び降りた瞬間、爆発音がした」と語り、別の乗客は「爆発はなく、静かに落ちた」と述べている[16]。音がしたとしても爆発ではなく、上空での布の擦れ音だった可能性があるが、どちらにせよ、犯人の最終行動が乗客の不安に直接つながったことは共通していた。
刑事裁判(初公判/第一審/最終弁論)[編集]
本事件は、当時の捜査資料に基づき「犯人不詳の強要事案」として処理が進められたが、のちに“容疑者としてD.B.サトシ”が指定された。初公判は事件から約10か月後の7月に東京地方裁判所で開かれたとされる[17]。
第一審では、起訴状が「〜の容疑で」として強要、監禁、航空機強取に相当する行為が列挙された。裁判で争点となったのは、(1)犯人が本名を隠したことの意味、(2)身代金後に乗客を解放した行為が“計画的”だったか、(3)上空からの降下が自発的か、制御不能だったかである[18]。
最終弁論では、弁護側が「犯人は逮捕されたのではなく、行方不明になった。よって本人特定と動機認定は未確定」と主張した。さらに、検察は「供述の断片から、D.B.は安全記号であり、交信の失敗に対する復讐である」と述べたと記録されている[19]。ここで微妙にかみ合わないのが、犯人が解放したという事実と、復讐という語の組み合わせであるとして、傍聴人からは「判決の語り口が妙だ」と評された。
判決は最終的に、犯人の死亡や身柄確保を前提にしない“管理不能による特殊判断”としてまとめられたとされる。ただし、死刑や懲役の具体的年数が一切書かれない異例の文書も残っており、「時効」以前の問題として扱われたのではないかという解釈もある[20]。この点は、のちの報道でも「要出典」級に説明が不足していたと指摘される。
影響/事件後[編集]
事件後、航空機運航の安全マニュアルに“音声応答の誤読防止”が追加されたとされる。理由は単純で、犯人の要求が短い言い回しで段階化されていたため、運用側の判断が揺れると危険が増すと考えられたからである[21]。
また、の周辺では、夜間の人員配置と巡回経路が見直された。特に身代金受け取りの動線に相当する区画で、照明が一部落ちていたことが判明し、「21時台の照度は最低◯◯ルクス」という基準が新設されたと報じられた[22]。この数値は“最低59ルクス”とする資料と、“最低61ルクス”とする資料が並存しており、編集段階での転記ミスなのか、測定器の差なのか議論が残る。
社会的には、D.B.サトシという呼称が独り歩きし、「名乗らない犯人の記号化」が話題になった。一方で、事件をエンターテインメント化する風潮も生まれ、学生の間では“D.B.を名乗るなら何を要求するか”を遊び半分に組み立てる企画が流行したとされる[23]。この現象が、当局の啓発活動の弱さも露呈させたと指摘されている。
評価[編集]
事件の評価は、犯行が結果的に乗客の安全に寄った点と、最後に行方不明となった点の両方に引きずられている。安全に寄ったという見方では、犯人が単に恐怖を与えたのではなく、制御された“段取り”を求めていた可能性があるとされる[24]。
逆に、未解決であることが最大の評価不能要因になった。捜査側はパラシュート降下後の回収痕を追ったが、降下地点が上空のため特定が困難だった。地上での回収物がないわけではないが、“パラシュートの端材のような布”が複数地域で見つかったとされ、関連性が確定できなかった[25]。
このため、学術的には「犯人は生存している」とする説と、「降下直後に何らかの理由で行動不能になった」とする説が併存した。さらに、D.B.が音声応答の安全記号という解釈に寄せる論者は「犯人は交信の失敗を取り戻したかった」とするが、動機の証明が難しいとして批判もある。加えて、起訴・公判の記録に矛盾があるとする指摘も一部で出ている。
関連事件/類似事件[編集]
類似事件として扱われることがあるのは、(1)身代金は受け取るが被害者を解放するタイプ、(2)通信・音声の“誤作動”を背景に持つタイプ、(3)最後に行方不明になるタイプ、の3分類である[26]。
まず、1979年の「夜間管制室封鎖事案」(横浜海側)では、犯人が身代金を受領後に客室を点検させ、数分後に退去したと報じられた。次に「札幌周波数要求事件」では、犯人が“周波数を正しく読め”という録音を要求し、応答が1回でもずれると要求を変えたとされる[27]。
最後に、1984年の「崖上無言脱出事件」(長野県内)では、犯人がロープを用意しているのに、結局“誰にも見られないまま”消えたとされる。これらはD.B.サトシ事件と同じく、証拠の連結が難しく、未解決になりやすい構造を共有していると分析される。
関連作品(書籍/映画/テレビ番組)[編集]
本事件は、未解決かつ“乗客解放”という意外性を持つため、創作物で繰り返し参照されてきた。たとえば小説『沈黙の安全記号』(架空、全3巻)は、D.B.を通信規格の比喩として扱い、上空脱出の場面だけを“説明不能の詩”として残した点が評価されたとされる[28]。
映画『第二空港・夜の21時23分』(架空)では、被害者ではなく管制員の視点が中心に据えられ、判決文の誤記を物語の鍵にする構成が採用された。なお、配給会社のプレス資料では「実在の地名に似せつつ架空の港湾機構を導入した」と説明されており、観客に“現実味”を与えたと評される[29]。
テレビ番組としては、報道バラエティ『記号で読む未解決』(架空)が挙げられる。番組では、D.B.サトシの呼称を“口癖”として再現し、スタジオが要求文を読み上げる演出があったとされる。もっとも、制作側は「再現は演出であり、捜査情報とは無関係」と注記したが、視聴者の中には“当時のマニュアル文面そのままでは?”と感じた者もいたとされる[30]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 松元縫次『航空強要事案の運用論—音声応答の誤読を中心に』東京大学出版会, 1983.
- ^ Dr. エリザベス・カーソン『Aerial Compliance and Narrative Gaps』Cambridge Security Press, 1986.
- ^ 田代練蔵『身代金受領局面の行動分析』警察研究叢書, 1984.
- ^ K.ナカムラ『Symbolic Calls in Hijacking Negotiations』Journal of Aviation Criminology, Vol.12 No.3, pp.141-176, 1987.
- ^ 高城綾乃『未解決事件の証拠評価—供述の断片と例外判決』中央法学会, 1990.
- ^ 佐伯真琴『航空班捜査の実務記録(昭和期)』青葉書房, 1992.
- ^ M.ハートリー『Parachute Evidence and Ground Recovery Uncertainty』International Review of Forensic Studies, Vol.5 No.1, pp.33-58, 1994.
- ^ 警察庁『東京都第二空港上空旅客機強要事案 速報集(非公開扱い)』警察庁警務資料室, 1981.
- ^ 山吹ユリ『安全記号の社会史—“D.B.”の意味をめぐって』音声社会学研究, 第8巻第2号, pp.9-27, 1998.
- ^ (要検討)『21時23分の逸脱—D.B.サトシ事件の再構成』文潮書林, 2001.
外部リンク
- 東京都第二空港アーカイブ
- 航空保安資料センター
- 未解決事件検証ファイル
- 昭和刑事裁判記録データベース
- 音声応答誤読研究会