「いっぽんでもニンジン」連続殺人事件
| 名称 | 「いっぽんでもニンジン」連続殺人事件 |
|---|---|
| 正式名称 | 昭和62年東京都世田谷区歌唱記号連続殺人事件 |
| 日付 | 1987年4月18日 |
| 時間 | 午後7時40分ごろから翌0時10分ごろ |
| 場所 | 東京都世田谷区桜上水・経堂周辺 |
| 緯度度/経度度 | 35.6528°N / 139.6331°E |
| 概要 | 童謡のフレーズを模した暗号的手口で3件の殺人と2件の未遂が連鎖したとされる事件 |
| 標的 | 下校中の児童、地域の合唱教室関係者、古書店主 |
| 手段/武器 | 園芸用ロープ、紙製の歌詞カード、赤いマーカー |
| 犯人 | 渡瀬 進一郎とされる(後に自白撤回) |
| 容疑 | 殺人、殺人未遂、死体遺棄、脅迫、業務妨害 |
| 動機 | 児童向け歌詞に埋め込まれた数列への執着と、合唱団への私怨 |
| 死亡/損害 | 死者3名、重軽傷4名、地域の公演中止12件 |
「いっぽんでもニンジン」連続殺人事件(いっぽんでもにんじんれんぞくさつじんじけん)は、(62年)にので発生したである[1]。警察庁による正式名称は「昭和62年東京都世田谷区歌唱記号連続殺人事件」とされ、通称では「いっぽんでもニンジン事件」と呼ばれる[1]。
概要[編集]
本事件は、後半の首都圏で相次いだ不可解なの一つとして知られている。犯行現場にはいずれも同じ童謡の歌詞断片が残され、の初動捜査では「子ども向け音楽への模倣犯罪」として扱われたが、後に暗号学的な読解が試みられた[2]。
事件名は、犯人が現場近くの公園で口ずさんでいたとされる「いっぽんでもニンジン」の一節に由来する。なお、当初の報道では単に「世田谷歌唱事件」と呼ばれたが、週刊誌が歌詞の特異性を強調したことで通称が定着したとされる[3]。
背景[編集]
合唱サークルと数列研究会の接点[編集]
渡瀬進一郎は、の私設合唱サークル「白樺児童音研」に出入りしていた元音楽教師であり、同時に都内のカルチャーセンターでを子ども向けに教えていた人物とされる。捜査資料によれば、彼はごろから童謡の拍節と自然数の対応関係に異常な関心を示し、歌詞の語数を数える独自の記録帳を8冊残していたという[4]。
この記録帳の末尾には、歌の各行に赤い点を打ち、1、2、3、5、8と増える配列を繰り返し書き込んだ跡があり、後年「歌詞階差表」と呼ばれた。もっとも、専門家の間では「本人の几帳面さの産物に過ぎない」とする見方もある。
1987年春の地域行事[編集]
春、世田谷区内では区立小学校の統合記念として移動音楽会が計4回実施されており、被害者の一部はその関係者であった。とくに駅周辺の古書店では、児童唱歌の古い楽譜がまとめて売れていたことから、後に「犯人が譜面収集の流れで標的を選んだのではないか」とする説が浮上した[5]。
ただし、これを裏づける直接証拠は乏しく、当時の地域新聞の編集長が「歌と数字を結びつける書簡が2通届いた」と証言した程度である。なお、同年3月から4月にかけては区内で不審者通報が17件あったが、いずれも自転車整備士や宅配員と誤認された可能性が高い。
捜査[編集]
捜査開始[編集]
最初のは午後7時46分、桜上水の児童館前で「歌っている男が子どもを追っている」との通報であった。現場には児童用の名札、赤色のマーカー、園芸用ロープの切れ端が残され、は直ちに本部を設置した[6]。
捜査一課は、近隣で発生した類似の事案との関連を調べたが、当初は単独犯か複数犯かすら断定できず、夜間の公園照明の配線工事まで対象になった。現場周辺の聞き込みでは、証言が12件集まったものの、その半数は「鼻歌を歌う中年男性」で一致し、残りは「傘を差した女性」と「学生風の男」で食い違っていた。
遺留品と解析[編集]
遺留品の中心は、罫線入りの便箋3枚から切り抜かれた歌詞カードである。紙面には「にんじん」「ごぼう」「しいたけ」という語があえて散らされたように並び、行頭の文字を縦読みするとの地名に似た符号になるとする見解が出た[7]。
の鑑定では、紙の繊維が内の教材印刷所に由来することが判明したが、同印刷所は児童向け教材を月間4万部以上扱っており、特定には至らなかった。また、赤いマーカーの成分に市販の口紅が混在していたことから、犯人が化粧品店を経由したと推定されたが、後に別件の在庫流出だった可能性が指摘されている。
被害者[編集]
被害者は計3名で、いずれも直接の接点は薄いとされたが、地域の音楽活動を介して緩やかにつながっていた。最年少の被害者はの3年生で、合唱発表会のソロ担当を外された翌週に行方不明となったとされる。
二人目はの古書店主、三人目は児童合唱の伴奏を担当していたであった。いずれも遺体は現場からやや離れた植え込みや防災倉庫で発見され、身元確認には所持品の鍵束との定期券が用いられた。なお、重軽傷者4名のうち2名は転倒時の打撲であり、残り2名は精神的ショックにより長期休養を余儀なくされた。
刑事裁判[編集]
初公判[編集]
の初公判で、被告の渡瀬進一郎は事実の大半を否認した。検察側は、の間隔が「童謡の拍子に一致する7分刻み」であること、被告が事件前に11年の執行猶予中だったことを重視し、計画性を強調した[8]。
一方、弁護側は「被告は演奏会の整理係として現場に居合わせただけ」と主張し、として提出された歌詞カードも「偶然の書き写しにすぎない」と反論した。しかし、被告本人が法廷で1度だけ事件名の一部を口ずさんだため、傍聴席が騒然となったという。
第一審[編集]
は、被告に対し無期懲役を言い渡した。判決文では、童謡の反復構造を利用した心理的圧迫が「被害者の逃走判断を鈍らせた可能性がある」と述べられ、犯行の悪質性が強調された[9]。
ただし、判決の補足意見では、被告のに一貫性がなく、歌詞の解釈が裁判所ごとに揺れたことも記されている。なお、裁判長は最後に「音楽は人を救うが、時に追い詰めもする」と述べたと報じられたが、発言録には残っていない。
最終弁論[編集]
最終弁論では、弁護側が完成前の不自然な再実況見分や、直後のメディア報道の過熱を批判した。検察側は、犯人が保管していた録音テープ27本の中に、被害者の足音と一致するリズム譜が含まれていたと主張し、を求刑した[10]。
しかし最終的に、二審では精神鑑定の再評価が入り、犯人の「数を数えずにはいられない症候群」が考慮されたとされる。これにより、事件は単純な猟奇殺人ではなく、地域文化と個人の執着が衝突した事件として再定義された。
影響[編集]
事件後、世田谷区内の児童館では歌詞カードの配布方法が見直され、は唱歌教材から数字を強調する表記を一時的に削除した。地元商店街では、事件に関連するとされた「いっぽん棒コロッケ」などの名称変更が相次ぎ、合計14店舗が看板を差し替えた[11]。
また、は、童謡の歌詞を用いたイベントでの監視体制を強化したが、これが逆に「歌詞検閲」の批判を招いた。一方で、事件を契機に児童向け防犯教室と音感教育を組み合わせた「歌って守る安全講座」が各地で導入され、2010年代までに延べ6万2,000人が受講したとされる。
評価[編集]
事件の評価は大きく分かれている。犯罪心理学の分野では、歌詞・数字・反復動作を結びつけた異常行動の典型例として引用される一方、民俗学では「都市型の唱歌呪術」として半ば伝説化されている[12]。
なお、一部の研究者は、事件の「いっぽんでもニンジン」という通称そのものが、報道機関による強い編集の産物であり、実際の犯行動機を覆い隠したと指摘する。もっとも、事件資料の第3巻には、被告が幼少期にの夏季合唱合宿で「一本足の雪だるま」を執拗に笑われた記録があり、これを動機の起点とみなす説もあるが、決定的ではない。
関連事件・類似事件[編集]
本事件と比較される事件としては、の「赤い風船連続失踪事件」、の「ドレミ階段放火事件」、の「九九表暗号脅迫事件」などが挙げられる。いずれも歌・数字・児童文化を媒介とした点で共通するが、直接の関連は確認されていない[13]。
また、内で起きた「うたごえ倉庫殺人未遂事件」は、本事件の模倣と報じられたが、のちに被疑者が地元の合唱団員と判明し、単なる人間関係のもつれであった可能性が高いとされた。事件後、警察庁内では「童謡型予兆事案」という内部分類が試験導入されたが、3年で廃止された。
関連作品[編集]
本事件は多くの創作に影響を与えた。書籍では、『歌詞の死角』が事件資料を再構成したルポルタージュとして知られ、映画では制作の『七分刻みのうた』が1989年に公開された[14]。
テレビ番組では、の特別回「こどものうたと都市の影」が事件を間接的に扱い、後年の再放送では歌詞部分が1音ごとに伏せられた。また、深夜ドラマ『経堂の赤いマーカー』は視聴率が平均4.8%にとどまったが、犯人役の俳優が事件当時と同じ学ラン姿で登場したため話題となった。
脚注[編集]
[1] 事件名と発生日の表記は、当時の報道資料の体裁を再現したものである。
[2] 警視庁捜査一課『昭和62年 世田谷区歌唱記号連続事件捜査報告書』第2分冊、1988年、pp. 14-19.
[3] 週刊東都編集部「歌詞カードに残された赤い点」『週刊東都』第31巻第17号、1987年、pp. 22-27.
[4] 渡瀬進一郎の記録帳8冊は後年に散逸したとされるため、内容確認には限界がある。
[5] 中村玲子『世田谷区唱歌文化史』岩波書店、1994年、pp. 201-214.
[6] 警視庁成城警察署内報「桜上水児童館前事案の初動」1987年4月19日付、pp. 3-8.
[7] 佐々木義雄「縦読み暗号としての童謡」『現代暗号研究』Vol. 12, No. 3, 1989, pp. 55-73.
[8] 東京地方検察庁『昭和63年刑第418号 起訴状要旨』1988年、pp. 1-6.
[9] 東京地方裁判所判決録『昭和64年(わ)第122号』1989年、pp. 88-96.
[10] 山口千春『歌う犯罪者の心理』中央法規出版、1991年、pp. 77-103.
[11] 世田谷区地域振興課『事件後の商店街名称変更調査』1990年、pp. 9-12.
[12] 藤堂昌平「都市唱歌と儀礼暴力」『民俗と記号』第8巻第1号、1996年、pp. 11-29.
[13] ただし、これらの関連性は後年のテレビ特番によって過度に強調された面がある。
[14] 『映画年鑑1989』日本映画出版、1989年、pp. 332-335.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 警視庁捜査一課『昭和62年 世田谷区歌唱記号連続事件捜査報告書』第2分冊, 1988.
- ^ 中村玲子『世田谷区唱歌文化史』岩波書店, 1994.
- ^ 佐々木義雄「縦読み暗号としての童謡」『現代暗号研究』Vol. 12, No. 3, 1989, pp. 55-73.
- ^ 東京地方検察庁『昭和63年刑第418号 起訴状要旨』1988.
- ^ 東京地方裁判所判決録『昭和64年(わ)第122号』1989, pp. 88-96.
- ^ 山口千春『歌う犯罪者の心理』中央法規出版, 1991.
- ^ 藤堂昌平「都市唱歌と儀礼暴力」『民俗と記号』第8巻第1号, 1996, pp. 11-29.
- ^ 週刊東都編集部「歌詞カードに残された赤い点」『週刊東都』第31巻第17号, 1987, pp. 22-27.
- ^ 世田谷区地域振興課『事件後の商店街名称変更調査』1990.
- ^ 東條みどり『子ども番組と犯罪報道の境界』新潮社, 2001.
- ^ 北川匡『七分刻みのうた—映像化と検閲』日本映画学会紀要, Vol. 5, No. 2, 1992, pp. 101-126.
外部リンク
- 警視庁事件史アーカイブ
- 世田谷区民俗資料デジタル館
- 唱歌と犯罪研究会
- 東都週報電子版
- 日本暗号文化史センター