あかう
| 分野 | 聴覚計測・地域環境行政 |
|---|---|
| 導入時期 | 1960年代末〜1970年代前半(民間運用) |
| 主な運用主体 | 自治体の環境課と大学付属の計測サークル |
| 測定対象 | 音の周波数帯ではなく「聴取時の色覚想起」 |
| 呼称の由来 | 聴取者が報告する「赤い感じ」の頭文字から |
| 標準化状況 | 法令上の正式規格ではないが、通達では参照されたことがあるとされる |
あかう(Akau)は、で発達したとされる「赤い周縁音(せきいしゅうえんおん)」を測定・記録するための民間式聴覚規格である。昭和後期に一部の自治体と研究サークルが共同運用し、騒音政策の現場で一時的に用いられたとされる[1]。
概要[編集]
は、音を「聞こえ」だけでなく、聞いた人の主観的な色覚想起と結びつけて数値化する概念として語られた。すなわち、同じ音でも「赤い」「緑がかっている」と感じた人の比率を、環境ノイズの指標に見立てる枠組みであるとされる。
この規格は、家庭用の簡易計測器と、紙の記録票(通称「あかう札」)を組み合わせて運用される形が多かった。記録票には、周囲の音を10秒単位で観測したうえで、聴取者が「赤い周縁音」を連想したかどうかを○×で残す欄が設けられ、最終的に割合を換算する仕組みとされた。
一見すると民俗的な手法に見えるが、運用者らは「色覚想起は音刺激の心理的残響であり、再現性がある」と主張していた。なお、再現性の担保として「観測者の視力区分」や「観測場所の壁面色(白・生成り・灰)」まで記録することが推奨された点が特徴とされる[1]。
歴史[編集]
誕生:港湾の苦情から生まれた“赤い数式”[編集]
の起源は、の港湾地区で頻発した苦情にあるとされる。1970年前後、荷役時間帯に聞こえる断続音について、「音がするのは分かるが、なぜか“目の縁が赤い”」という訴えが複数出たとされる。
この訴えを受け、当時の横浜市の担当課である「環境・騒音対策係」が、民間の聴覚研究者である(あくつ みらい、仮名)に連絡したとされる。阿久津は、港の見張り小屋で観測したところ、断続音の直後に視覚的な補色が立ち上がる被験者が一定割合で出ることを見出し、その割合を“赤い周縁音率”として採点する試みを始めたとされる。
なお、阿久津は「赤い」を感情語として扱わず、記録票上で“赤い周縁音(A)”と定義したとされる。ここから、観測結果の集計単位が「あかう」と呼ばれるようになった、という説明が広く流通した[2]。
制度化:通達にだけ顔を出した“準規格”[編集]
あかうは学術的な標準化を経たというより、行政の現場が欲しがった「説明しやすい指標」として整理されたとされる。特に、の「環境行政資料室」が、苦情処理の内部文書で簡易指標を求めたことが契機になったとされる。
1972年、室内で回覧されたとされる覚書では、あかう札の記録欄が「観測者1名あたり最低5枚」「各札の観測は10秒×6回(合計60秒)」と明文化された。さらに、観測者の人数については「最低3名、ただし地域の高齢層比率が高い場合は4名」と記されていたとされる[3]。このようなやけに具体的な数字は、後に“怪しいが現場は回る”と評され、むしろ採用を後押しした。
一方で、法令上の正式規格ではなかったため、自治体ごとに集計係数が異なり、比較が難しくなったとも指摘される。ここから、運用者の間で「係数の統一こそが未来の課題」と繰り返し語られたが、結局は統一に至らなかったとされる。
衰退と残響:学校の“色”測定会へ派生した説[編集]
あかうは1970年代後半に急速に勢いを失ったとされる。理由は、騒音測定がより客観的な機器(周波数分析など)へ移ったこと、そして色覚想起が個人差を持ち込むと批判されたことにあるとされる。
ただし衰退したのちも、運用文化の一部は学校の授業や地域イベントに“派生”したとされる。たとえばの一部で「環境聴取と色の学習」なる短期講座が開かれ、あかう札に似た記録様式が配られたという証言があるとされる。
さらに、衰退の影で「赤い周縁音率が高い地域ほど、住民の健康自己申告が増える」というデータが出たという噂もあった。もっとも、当時のデータは観測者の選び方に偏りがあった可能性が高いとして、後年になって“都合の良い相関”だったのではないかと述べる研究者もいるとされる[4]。
仕組みと運用実態[編集]
あかうは「測定」と名乗りつつ、実態としては集団での聴取報告を統計処理する手順として知られている。典型的な運用では、まず観測場所の壁面色を申告させ、「白(光学反射率の高いもの)」「生成り(中間)」「灰(吸収多め)」の3区分に分けることが求められたとされる。
次に、音源が連続か断続かを簡易分類し、断続音である場合は10秒観測を6回繰り返して記録した。記録票には、観測者が「赤い周縁音」を感じたかどうかを「赤A」「無色0」のような記号で残す欄があり、集計では(赤Aの回数)÷(総回数)をパーセント換算するとされる。
この指標は、単純に“危険の強さ”を決めるものではなく、「地域の説明責任を果たすための翻訳」と位置づけられた。たとえば、漁港の早朝荷役が原因と思われる苦情について、あかう率が一定以上のときは行政が「住民が実際に不快を感じる音」として扱う、という運用が一部でなされたとされる。ただし、機器測定と一致しないケースも多く、そこが後述の論争点になったとされる。
批判と論争[編集]
あかうには、批判が複数存在した。第一に、色覚想起が個人の体調・光環境・過去の連想に影響されるため、再現性が崩れる可能性があるとされた。第二に、観測者の訓練の度合いが結果に反映され、統計的な盲検が成立していないのではないかとする指摘があった。
また、あかう札の運用マニュアルでは観測者の前日に「赤色系の衣類を着ないこと」が推奨されていたという逸話があり、これが“本末転倒”と見なされた。さらに、ある内部文書で「赤の感覚が強すぎる観測者は除外する」と書かれていたとする証言があり、恣意性の疑いを招いたとされる[5]。
一方で擁護側は、あかうが根本的に“人がどう感じるか”を対象にしている以上、主観を排除すること自体が誤りだと反論したとされる。ここから、あかうは「客観の代用品」ではなく「説明のための翻訳装置」として評価される局面もあったが、やがて標準化の筋が通らずに姿を消したとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 阿久津 実頼「赤い周縁音率の提案と自治体運用」『環境聴覚季報』第12巻第4号, 1973年, pp. 41-58.
- ^ 横浜市環境・騒音対策係「苦情処理における簡易指標(あかう)の試験導入報告」『自治体事務研究』Vol. 9, 1972年, pp. 3-19.
- ^ 中村 玲於「色覚想起を介した断続音の記録手順に関する試論」『日本心理環境論叢』第7巻第1号, 1974年, pp. 77-96.
- ^ 田島 久遠「住民説明と測定のギャップ:準規格あかうの位置づけ」『行政技術レビュー』Vol. 15, 1978年, pp. 112-136.
- ^ Margaret A. Thornton「Subjective Color-Cued Auditory Indices in Local Policy」『Journal of Community Acoustics』Vol. 3, No. 2, 1976年, pp. 201-223.
- ^ 小野寺 清志「壁面色区分が結果に与える影響:あかう札の統計検討」『環境計測年報』第5巻第2号, 1975年, pp. 55-73.
- ^ 『あかう運用マニュアル(内部回覧)』大阪市環境行政資料室, 1972年, pp. 1-44.
- ^ 高城 明里「観測者除外基準の妥当性についての再検討」『社会指標研究』第2巻第3号, 1981年, pp. 9-24.
- ^ Satoshi Nishikawa, “Aka-u and the Myth of Replicable Feeling” 『Proceedings of the Sound-Feeling Symposium』Vol. 1, 1980年, pp. 1-17.
- ^ 藤堂 ひかり「地方制度としての“赤い数式”」『地方行政史叢書』第21巻, 中央官庁出版社, 1990年, pp. 233-251.
外部リンク
- 赤い周縁音率アーカイブ
- 自治体騒音記録資料室
- 聴覚計測と主観の交差点
- あかう札コレクション展示室
- 横浜港湾苦情史料館