いもてんハムスター
| 分類 | 齧歯目 ハムスター科風俗称 |
|---|---|
| 起源 | 1928年頃、千葉県銚子市周辺の甘藷加工場 |
| 保護管理 | 農林省畜産試験場旧湾岸系統保存班 |
| 分布 | 日本各地の食品工場、研究施設、展示用温室 |
| 標準体長 | 11.4 cm前後 |
| 寿命 | 2年8か月から4年2か月 |
| 主食 | 干し芋くず、天かす、麦芽糖粕 |
| 特徴 | 耳縁の金色化、頬袋の高密度繊維化 |
| 関連事業 | 戦後の学校給食残渣再資源化計画 |
いもてんハムスターは、末期にのさつまいも油天ぷら工場で偶発的に確認されたとされる、の一系統である。甘藷澱粉の発酵残渣を常食とし、薄い衣状の体毛をもつ個体が多いとされている[1]。
概要[編集]
いもてんハムスターは、沿岸部の食品加工史と飼育文化が交差して生まれたとされる家畜化亜系統である。名称は、甘藷の「いも」と、工場内で揚げ物粕の上を走る姿が天ぷら衣に似ていたことから「てん」を合わせたもので、1920年代の銘柄帳にすでに記載があるとされる[2]。
もっとも、学術的には通常のの変種というより、飼育環境によって被毛と体脂が極端に変化した「工場適応型個体群」として扱われることが多い。ただしの旧資料には「油煙に馴化した齧歯類」との記述があり、当時の担当官が何を見ていたのかは今なお議論がある。
歴史[編集]
発見と命名[編集]
1928年、の甘藷蒸留副産物処理場で、若い職工のが排気口付近の樽に巣を作る小型齧歯類を見つけたのが起点とされる。個体は天ぷら油の飛沫を浴びたためか毛先が薄く硬化しており、作業員の間で「衣をまとった鼠」と呼ばれたが、後に場長のが「いもてんハムスター」と帳簿に書き入れたことで定着した[3]。
命名の背景には、当時流行していたの天ぷら屋台文化と、農村部で広まっていた甘藷再利用運動があるとされる。なお、一部の文献では「芋天鼠」「甘藷衣鼠」とも記されるが、いずれも同一系統を指すと考えられている。
軍需期の保護指定[編集]
16年以降、揚油と澱粉粕の統制により個体数は急減したが、の港湾倉庫で発生したネズミ被害対策の一環として、逆に保護価値が見いだされた。1943年にはの検疫所が、いもてんハムスターを「残渣処理の補助動物」として暫定登録している[4]。
この時期、頬袋に油分を蓄える習性が注目され、軍需工場の弁当油紙回収に利用しようとする試みまであった。もっとも実効性は低く、記録には「三日で全個体が油揚げの匂いに慣れすぎた」とある。
戦後の展示化[編集]
戦後、のに設けられた簡易展示施設で一般公開が始まり、子ども向け科学雑誌『月刊どうぶつと機械』が特集を組んだことで一躍知られるようになった。1957年には農学部のらが、被毛表面の微細油脂層が平均で通常個体の1.8倍あると報告し、これが「天ぷら適応説」の基礎となった[5]。
一方で、見た目の愛らしさから土産物化が進み、菓子店が「いもてんハムスター最中」を販売するなど、学術と商業が早い段階で混線した。展示室の案内板には「触ると衣がはがれるため厳禁」と書かれていたが、実際に剥がれるのは毛であり、注意書きのほうが半ば寓話化していった。
特徴[編集]
いもてんハムスターの最も知られる特徴は、耳の縁に金色の帯状斑が出やすいことである。これは油煙中の微粒子が成長期の毛根に沈着した結果とされ、の観察記録では、冬季にその比率が標本84匹中67匹に達したとされる[6]。
また頬袋の繊維化が進んでいるため、通常のハムスターよりも細長い形状の小片を好んで運ぶ傾向がある。飼育者の間では、干し芋を三角形に切ると収納成功率が上がる、という経験則が知られているが、再現性は低い。なお、夜間に天かすの上を走る際、足音がほとんどしないことから「無音の工場長」と俗称されたこともある。
飼育と利用[編集]
家庭飼育[編集]
1950年代後半から1960年代にかけて、の玩具店が輸入ケージと一緒に販売したことで家庭飼育が広がった。推奨飼料は干し芋くず、麦芽糖粕、無塩天かすであり、特に梅雨時の保存管理にはの簡易指針が流用された。
ただし、家庭での飼育成功例は少なく、原因としては「人間側が揚げ物を食べすぎて餌の区別がつかなくなる」ことが挙げられる。これにより、家庭内での扱いはペットというより、卓上の小さな食品循環装置に近かったとする回想録もある。
研究利用[編集]
1972年にはの生態材料研究班が、いもてんハムスターの被毛から抽出した脂質膜を防湿紙の試作に転用しようとした。試作品は一応撥水性を示したが、香ばしい匂いが強すぎて会議室での使用に耐えなかったという[7]。
この失敗にもかかわらず、同系統は「匂いで保存状態を判定できる生体センサー」として一部企業に関心を持たれた。1980年代には食品工場のクリーンルームで警戒個体として飼育された例があり、出入口に近づくと勝手に回し車が高速回転するため、設備点検の目安になったとされる。
社会的影響[編集]
いもてんハムスターは、戦後日本における「残渣を捨てない」という倫理観の象徴として語られてきた。特にの港湾地区では、揚げ油の廃棄量削減キャンペーンのマスコットに採用され、年間約3,200件のポスターが掲示されたとされる[8]。
また、児童文学やキャラクター産業にも影響を与え、1964年の絵本『ころがる衣の国』では、主人公が工場の裏手で芋を集める姿が描かれた。もっとも、原画を確認した研究者のあいだでは「主人公が半分以上ただの天かすである」との指摘もある。こうした曖昧さが、かえって広い支持を生んだともいわれる。
批判と論争[編集]
1978年のでは、いもてんハムスターを独立亜種として扱うべきか、単なる飼育改変個体群として整理すべきかで激しい議論が起きた。特にのは「油の匂いを進化と呼ぶのは拡大解釈である」と批判し、これに対して側は「文化的選抜の結果として十分成立する」と反論している[9]。
さらに、展示個体の一部が実際には通常のゴールデンハムスターであったのではないかという疑義も根強い。これについては、当時の飼育記録が「見分けはほぼ鼻の好みである」としか書いておらず、検証が困難である。なお、2021年に公開されたオイルシミ付き飼育日誌には、同一個体が週ごとに「芋寄り」「天寄り」と記されており、分類学上の混乱を象徴する資料とされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎「銚子甘藷工場における小型齧歯類の被毛変化」『千葉県生物研究誌』Vol. 12, No. 3, pp. 41-58, 1931.
- ^ 三浦定作「工場残渣と小動物の共生に関する覚書」『農林省畜産試験場報告』第7巻第2号, pp. 9-27, 1934.
- ^ 久保田ユキ「いもてんハムスターの皮脂層厚と撥水性」『東京大学農学部紀要』Vol. 5, No. 1, pp. 113-129, 1957.
- ^ R. H. Morton, “Adhesive Fur Adaptation in Industrial Rodents,” Journal of Applied Mammalogy, Vol. 8, No. 4, pp. 201-219, 1961.
- ^ 中沢芳郎『油煙に馴化した齧歯類の分類学的限界』北方書房, 1979.
- ^ 市川早苗「残渣再資源化と児童向け啓発図像」『日本食品環境史研究』第14巻第1号, pp. 77-96, 1983.
- ^ A. P. Bell, “The Sweet Potato Residue Model in Urban Husbandry,” Proceedings of the East Asia Zoological Forum, Vol. 19, pp. 55-73, 1975.
- ^ 千葉県立生物博物館編『いもてんハムスター飼育日誌集成』県博資料叢書, 1994.
- ^ 岡村里枝「展示個体の同定不能性について」『上野科学館年報』第22号, pp. 145-151, 2004.
- ^ 『オイルシミ付き飼育日誌 2021年度版』銚子工業史料室, 2022.
外部リンク
- 千葉県立生物博物館デジタルアーカイブ
- 銚子工場残渣文化研究会
- 上野科学館 特別展示案内
- 日本残渣再資源化協会
- 東日本齧歯類文化史資料室