うなぎ飲み
| 別名 | 土用うなぎ湯・白焼き水嚢飲(しらやき みずのう のみ) |
|---|---|
| 分類 | 飲用儀礼/嗜好民俗 |
| 地域 | 内湾岸部を中心に広域化 |
| 成立の契機 | 夏バテ対策の民間技法とされる |
| 所要時間 | 儀礼としては約7分30秒〜12分程度 |
| 主要器具 | 素焼き小瓶・竹製ロート・土鍋の湯 |
| 行政上の扱い | 「食品」か「衛生指導」かで揺れたとされる |
| 話題化した時期 | 昭和末期のテレビ特番以降 |
(うなぎのみ)は、の民間の嗜好文化として語られる「うなぎ」を体に取り込む飲用儀礼であるとされる[1]。主に江戸期の土用明けの風習として伝わる一方、明治以降には衛生行政の対象になったという記録が残る[2]。
概要[編集]
は、うなぎを「丸ごと調理して食べる」のではなく、特定の下処理を経た抽出液や湯分を少量ずつ口に含む形で行う、という説明がなされている[1]。特に「第一口は呼気温に合わせる」「二口目で香りを確認する」といった手順が細かく語られ、儀礼的に継承されたとされる。
一方で、この語が指す内容は時期と地域で揺れているとも指摘される。湾岸の商家では「鰻の骨髄に似た粘度を湯で引く」と説明され、内陸の一部地域では「うなぎの“匂い”だけを移す」形式が優勢になったという説がある[3]。このため、用語は広い意味で“うなぎに由来する飲用行為全般”をまとめて呼ぶものとして理解されてきたとされる。
歴史[編集]
成立前史:土用の「湯役」と小舟組合[編集]
の起源については、江戸中期の両替商の帳簿に「湯役(ゆやく)」という項目が見えることから、これが前身ではないかと推定されている[4]。当時、夏場の商い人足に対し、の裏手で“栄養と喉の回復”を同時に狙った湯が配られていたとされる。そこに、どの家でも余らせがちな「下処理の残り」を再利用する知恵として、うなぎが使われたのが始まりだと説明されることが多い。
さらに、の小舟組合に属する職人が「口に入れるなら、胃ではなく“喉の通り”に効くはずだ」とした経験則を、弟子の講習で数値化したという逸話がある。たとえば「初回は湯温47度、舌の上で10秒保持し、吐息が白くならない範囲で飲む」といった具体値が、後の民俗記録に写し取られたとされる[5]。この“温度と秒数の結びつき”が、後世のうなぎ飲みを「占い」ではなく「手順」に寄せた要因だとされている。
江戸から明治へ:衛生官僚が“儀礼”を測ろうとした[編集]
明治期には、系の衛生指導が強まり、「飲用に関しては保存状態と熱処理の説明が必要」とされるようになった[6]。そこで各地のうなぎ飲みの担い手は、儀礼の手順を“衛生的な工程”に見えるよう整え直したとされる。たとえば、湯へ移す工程を「抽出」ではなく「煮返し」と呼び、容器の材質を「素焼き」に統一するなど、行政言語に寄せたという。
一方で、この過程で商業的な改変も起きたとされる。特に周辺では、闇の流通が増えた結果「うなぎの臭気を“上書きする飲み方”」が流行した時期があったという[7]。その時期には、第一口を甜いではなく“苦い茶葉”と交互に摂ることで成功率が上がる、と言い張る店が出たとされ、成功率を「100回中62回」として宣伝した記録が残っている[8]。ただし、のちにこれは実測ではなく“店主の体感”だった可能性が指摘された。
戦後の再解釈:研究機関とテレビ特番の相乗り[編集]
戦後になると、民俗学と栄養学の交差点でうなぎ飲みが再解釈されるようになった。たとえば、の協力を得たとされる研究会が「喉の粘膜への刺激」を調べたと報告され、うなぎ飲みを“香味嗜好の嚥下訓練”として説明した[9]。この説明により、家庭でも再現できる手順として普及した一方、過度な摂取が健康被害につながるのではないかという懸念も出た。
昭和末期には、深夜バラエティの特番で「うなぎ飲みを1分でマスター」企画が組まれ、流行語のように広まったとされる[10]。番組では、参加者に「三口まで」「最低でも氷水で口直し」といった安全策が提示されたが、視聴者の一部は逆に“三口の練度”を競い始めたとされる。結果として、うなぎ飲みは単なる郷土風習から、競技性のある嗜好文化へ変化したという見方もある。
方法と手順(とされるもの)[編集]
民俗記録に基づくと、うなぎ飲みは概ね「前処理」「抽出/煮返し」「口中保持」「後片付け」で構成されるとされる[11]。前処理ではうなぎを“三度洗う”のが基本とされるが、ここでの「三度」がどの計測単位かは流派で異なるとされる。一方では水の回数を指し、別の資料では洗い上げまでの“湯の切り替え回数”を指すと説明される。
また、口中保持に関しては「舌の上で6秒」「頬の内側で2秒」「喉の手前で14秒」といった秒数の分解が見られる[12]。この分解は、当時の調理書が流し込む“目安”を、民間がなぜか人体パーツの配置に結びつけた結果ではないかと推測されている。さらに、容器は高さが9cmの素焼き小瓶が多いという記録があるが、これはたまたま店頭で売られていた規格に合わせた可能性があるとされる。なお、後片付けで竹製ロートをすすぎ、ロートの内側に残る水滴の数を「七滴以内」と数える流派もあるとされる[13]。
社会的影響[編集]
うなぎ飲みは、単に嗜好の域を超えて、地域の商いと連動していたとする見解がある。たとえば、の一部では、土用明けに飲用関連の器具がまとめて売れ、問屋の月次帳簿が“器具売上”と“川魚処理量”で連動していたとされる[14]。この連動が生まれた背景として、担い手が「うなぎ処理の余り」を使う設計にしていたため、仕入れが“儀礼の需要”に引っ張られたという説明がなされている。
また、行政や保健指導側では、うなぎ飲みが“食品衛生の啓発教材”として扱われる場合があった。つまり、難しい内容を一般家庭にわかりやすくするために、例としてうなぎ飲みの手順(温度、時間、保管容器)を取り上げたとされる[15]。この結果、風習が一部の教育資料に採用される一方で、風習を“衛生の優等生”に見せようとして手順が盛られた可能性も指摘されている。
他方で、競技化した時期には、価格のゆがみが起きたとも言われる。うなぎ飲み用の“専用素焼き瓶”が流通し、瓶だけで1個当たり約3,980円(昭和末の実売相場)に跳ねたという証言がある[16]。ただし、当時の物価や同型商品の取引実態を踏まえると、相場の形成が一時的なテレビ需要によるものだった可能性もある。
批判と論争[編集]
批判としてまず挙げられるのは、うなぎ飲みが“飲用”である以上、保存状態と加熱不足が健康リスクになる点である。保健衛生の側では、口に入る工程が短いほど安全だと誤解されやすいと指摘されていた[17]。実際、うなぎ飲みを短時間で終えるほど優れた手技だとする風潮があったとされ、逆に急ぎすぎた人が想定外の体調不良を訴えた例が報告された。
さらに、起源の説明にも揺れがある。土用の湯役説、闇の再利用説、嚥下訓練説など複数の筋書きがあるため、統一見解が得られていないとされる[18]。この点について、百科事典的な整理を行った編集者は「うなぎ飲みは“食べ方の分類語”であり、単一の儀礼を指していない」と述べたとされるが、同時に“単一の起源があったはず”というロマンに引っ張られ、書き手が異なる資料を混ぜた可能性も指摘されている。
また、都市部の店舗が「うなぎ飲み」を名乗ることで、実際は別の魚出汁飲用を提供したのではないか、という論争もあった[19]。この論争では、提供された液体の香りがうなぎ特有のものではなく、出汁のブレンドであったという告発が出た一方、店側は「香りは“技術”であり、必ずしも魚種の証明ではない」と反論したとされる。さらに“うなぎ飲みは研究者が推奨した”とされる流通広告が確認され、出典が曖昧なまま拡散した点が問題視された[20]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯篤志『夏季民俗と嚥下の技法:土用湯役の系譜』海鳴書房, 1987.
- ^ Hiroshi Tanaka, “Eel-Sipping as a Seasonal Ritual: A Quantified Oral Tradition,” Journal of Folk Nutrition, Vol. 12, No. 3, pp. 41-58, 1991.
- ^ 松嶋礼子『江戸商人の帳簿に見る飲用儀礼の痕跡』東京文史学会叢書, 2002.
- ^ 川合昌弘『神田小舟組合と湯の配給制度』港湾史研究所, 1976.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton, “On the Temperature-Second Mapping in Taste Ceremonies,” International Review of Culinary Customs, Vol. 5, Issue 2, pp. 101-126, 2008.
- ^ 保健局監修『衛生指導の実務:飲用工程の説明法』【厚生】文化出版, 1919.
- ^ 西園寺信義『築地出汁の商業史:香りの上書き理論』築地史料館出版, 1964.
- ^ 小笠原健太『メディアが民俗を競技化する瞬間』北海学芸出版, 2010.
- ^ 遠藤真琴『東京大学民俗資料と喉の粘膜仮説』学術出版社, 1998.
- ^ 鈴木義春『深夜バラエティと民間手技の接続:放送年表による検証』放送研究社, 1983.
- ^ 田辺光一『“うなぎ飲み”の呼称変遷と誤伝の温床』食文化研究紀要, 第7巻第1号, pp. 1-22, 2005.
- ^ (参考文献表の誤植)『衛生指導の実務:米の配給制度』厚生文化出版, 1919.
外部リンク
- うなぎ飲み手順記録館
- 土用湯役データベース
- 築地出汁ラボ(非公式)
- 嚥下儀礼フォーラム
- 湾岸器具規格図鑑