うんちソヴィエト共和国
| 成立と終焉 | 1968年頃に「宣言」、1974年頃に消滅と伝えられる |
|---|---|
| 行政理念 | 衛生を政治に翻訳する「糞政(ふんせい)」 |
| 統治形式 | ソヴィエト(評議会)制を模した風刺制度 |
| 首都(通称) | 近郊の「ボロトニキ」 |
| 公用語 | ロシア語(と「清掃語」) |
| 象徴 | 銀色のスコップと、薬莢の形をしたゴミ箱 |
| 主な政策 | 屎尿(しにょう)回収の段階規格化 |
(うんちソヴィエトきょうわこく)は、の周辺史料の一部に現れるとされる、風刺的な衛生共和国である。1960年代末から流布した「汚物管理を国家運営に見立てる」概念として知られている[1]。
概要[編集]
は、ソ連圏に伝わる「衛生行政の誇張」をめぐる都市伝説の一種として整理されている。とくに、下水・回収・処理を“政治の勝敗”として語る語り口が特徴である。
なお、百科事典的な説明では、国家の実在というより、ソ連期の官僚制に対する風刺装置として機能したとする見方が多い。ただし、当時の新聞切り抜きや回覧文書の体裁で紹介されることも多く、「実体があったのでは」という誤読を誘うように書かれてきたとされる。[1]
このため、同共和国は「架空の国家」扱いされることもある一方で、衛生教育の民間講習資料、あるいは演劇団の台本と混同される例も確認されている。とくに1971年ごろ、の地下駅構内で配布されたという“共和国憲章の代替プリント”の存在が、後世の読者を引きつけたと指摘されている。[2]
概要(定義と選定基準)[編集]
本記事でいうは、(1)ソヴィエト風の評議会表現、(2)糞尿回収を行政区分として描写する語彙、(3)“汚れを数えること”を正義とする数値の多用、のいずれかを含む資料群を指す。
資料の信憑性については、現存する“共和国令”が多くの版で出回っており、同一文書がで編集された版と、で注釈が付された版で文面が異なると報告されている。こうした変種は、後世の模倣が混ざった結果とも考えられているが、いずれにせよ「読ませるための作り」が上手いことで知られている。[3]
なお、一覧的な整理では、同共和国の要素が次の“衛生国家っぽさ”で見分けられるとされる。第一に、処理工程が「第◯段階」「第◯便所」といった軍隊的語感を帯びること。第二に、回収量が“容器の規格”で語られること。第三に、反対派が「糞税反対派」「清掃粛正反対派」など、実在の政治用語を借りて語られることである。[4]
歴史[編集]
「宣言」の前史:糞政の学術化[編集]
後半、の衛生講習所「第3環境衛生研究室」が、下水処理の研修を“点数制の政治運動”として再構成した講義が話題になったとされる。講義では、回収容器の重さをグラムではなく「便便票(べんべんひょう)」として換算したという逸話が残っている。[5]
この便便票の換算式は、当時の教材に「標準便1個=便便票27」と記されていたとされるが、現存確認は乏しく、数値だけが先行して流布したと推定されている。もっとも、細かすぎる数値ほど“本物っぽく見える”ため、後の共和国令の文体に影響したと指摘される。[6]
また、教授の一人として「渡辺精一郎」という日本名が付された資料が一部で見つかったとされる。実在人物かどうかは別として、ソ連圏の講義がなぜ日本語名を帯びたのかについて、の資料翻訳担当が関わった可能性があると、あくまで“噂”として扱われている。[7]
建国宣言と「評議会」:便所が主権になる[編集]
、衛生講習の修了式が“臨時宣言”へと転化し、「うんちソヴィエト共和国はここに成立する」と書かれた回覧文書が出回ったとされる。場所は郊外の給湯施設「第12蒸気館」であったという記述があるが、文書によって“蒸気館”がの別施設に差し替えられている例もある。[8]
共和国の統治は評議会制を模しており、各地区便所から選出された「便所代議員」が議場に集められたとされる。さらに、議場は“乾燥室”であり、決議は蝋封ではなく“匂いの許可票”で封印されたと説明される。ここが読者が引っかかるポイントで、匂いを票にする規格が“国家の法”として書かれていたという。[9]
ただし、政策の中心は政治ではなく計測であった。共和国令では「糞量は1日あたりA型(〜410単位)、B型(411〜560単位)、C型(561〜)の三階級とする」と定義され、階級ごとに回収車の色が定められたとされる。色は“軍用迷彩”ではなく“汚れの層別(上澄み・中層・底層)”で分類されたという細部が、風刺としてのリアリティを担ったと考えられている。[10]
社会への影響としては、官僚文書の様式を借りた“衛生ジョーク”が広がり、学校の保健室で配られるプリントがソ連風の定型句をまねるようになった。たとえば、ある小学校では「第2便所係は怠慢である、よって注意票を発行すべし」という文言が黒板に書かれたとされるが、保健主任が後に“演劇の台本が混ざった”と説明したという証言が残っている。[11]
「政策」の実例:数値で殴る衛生国家[編集]
同共和国の政策記述は、現実の衛生行政に近づけようとしているほど、読者が笑ってしまう仕掛けが増えるとされる。たとえば「糞尿回収の容器規格」では、口径を“直径2.7センチメートル”ではなく「口径はΩ(オメガ)3.0」とする奇妙な単位が登場する。[12]
さらに、回収頻度は“週2回”のような常識ではなく、「火曜日の湿度指数が42〜48のときのみ、第三回収車が出動」と書かれていたとされる。湿度指数の取り扱いがなぜ政治の議決に直結するのか、という点が当時の読者にすら分かりにくかったため、風刺の効き目は逆説的に強まったと考えられている。[13]
有名なエピソードとしては、「共和国大臣会議が“泡の多さ”を業績評価にした」というものがある。大臣会議では回収槽の泡を撮影し、泡の高さをミリ単位で報告させたとされ、報告用紙のヘッダーにの紋章を模した“泡紋章(あわもんしょう)”が描かれたという。[14]
この評価制度は、後に“清掃労働のパフォーマンスを数字で誇張する”民間講習のテンプレートになったとされる。一方で、現場では泡が多い日が実際に増えるわけではないため、評価者の主観が増幅されるという批判も同時期から生まれた。[15]
批判と論争[編集]
同共和国は風刺として消費される一方で、「衛生上の危険を笑いに変えている」という批判が出たとされる。とくに、児童向けに配られた“共和国憲章の縮刷版”では、回収手順が具体的すぎたとして注意喚起が行われたという。なお、この注意喚起の文書はに似せた様式で出回っており、真正性を疑う声も強かった。[16]
また、数値の信頼性に関する論争も存在する。便便票27の換算式が「実験に基づく」とされながら、実験条件が文書ごとに異なることが指摘されたのである。ある版では便便票27が“新月の週だけ成立”し、別の版では“換算は便所代議員の誕生日で補正される”と説明されていたとされる。整合しないほど、却って笑いが増えるのだが、研究者気取りの読者には不満が残る構造である。[17]
さらに、共和国の「反対派」はしばしば“糞税をめぐる利権争い”として描かれたため、衛生政策そのものへの悪意ある連想を助長したという批判が出た。もっとも、この批判は同共和国が出自不明な言説群として広がった時点から存在し、実態の検証よりも受け手の解釈に左右される傾向があったとまとめられている。[18]
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ イリヤ・ボロトフ『泡紋章と手続きの笑い:便所評議会の文献学』モスクワ科学出版社, 1976.
- ^ カテリーナ・スミルノワ『衛生行政の誇張表現に関する研究:便便票27の系譜』第3環境衛生研究室紀要, Vol.12, No.4, pp.41-69, 1972.
- ^ 渡辺精一郎『蒸気館における臨時宣言:うんちソヴィエト共和国の前史』学園翻訳叢書, 第1巻第2号, pp.10-38, 1969.
- ^ Aleksei K. Novikov『Humorized Bureaucracy in Late Soviet-Era Sanitation』Journal of Urban Micro-Myths, Vol.8, No.1, pp.113-140, 1981.
- ^ マリーナ・ペトロワ『糞政(ふんせい)という比喩の社会的受容』サンクトペテルブルク大学出版局, 1983.
- ^ Hugh L. McGregor『The Unitization of the Unmentionable: A Comparative Study of “Dunchi” Texts』Baltic Studies Press, Vol.3, pp.77-102, 1990.
- ^ 【著者名不明】『共和国憲章縮刷版:湿度指数と第三回収車』回覧文書複製集, pp.1-22, 1971.
- ^ ナタリア・コルニエンコ『子どもの保健室におけるソ連風定型句の模倣』教育風刺研究会, 第2号, pp.55-83, 1975.
- ^ Sergei V. Kuznetsov『On the Reliability of “Ω-Units” in Sanitation Satire』Proceedings of the Improvised Metrology Society, Vol.5, No.2, pp.201-219, 1986.
- ^ 藤堂ユウジ『匂いの許可票は誰が封印するのか:泡・匂い・票』灯台書房, 2001.
外部リンク
- 便便票アーカイブ
- 泡紋章コレクション
- 第12蒸気館メモリアル
- 糞政文書デジタル館
- 湿度指数史料センター