えっち男
| 分類 | 都市民俗・対人作法 |
|---|---|
| 成立 | 18世紀末ごろ |
| 主な活動地域 | 江戸、大坂、京都、横浜 |
| 別名 | えっち筋、遠慮男、接触慎み役 |
| 関連分野 | 礼法、遊里文化、近代広告 |
| 象徴色 | 朱色と鼠色 |
| 代表的資料 | 『えっち男案内書』 |
| 現代的用法 | 冗談めいた俗称 |
| 注意事項 | 地域差が大きく、定義には諸説がある |
えっち男(えっちおとこ)は、後期から初期にかけての都市部で発達した、過度な愛想と接触回避の作法を組み合わせた社交的類型である。しばしばやの題材として描かれ、近代以降は「礼儀を装った過剰な気遣い」の代名詞として用いられた[1]。
概要[編集]
えっち男とは、相手に対して露骨な関心を示しつつ、実際の接触や踏み込みを極端に避ける人物像を指す俗称である。表面上は過度に丁寧であるが、会話の端々に独特の誇張表現や回りくどい距離感が現れることから、の町人文化の中で半ば戯画化された。
この語は、もともと周辺の案内方が使った隠語「へつち」に由来するとされ、のちにの茶屋で「えっち」へ転化したという説が有力である。ただし、期の国語学者・がこの語を「発話の息づかいが長い男」と誤記したことから、後世に意味がさらに膨らんだとも言われる[2]。
成立と語源[編集]
最も古い用例は、12年(1815年)の茶番狂言『花街礼儀考』に見られるとされる。作中では、客の前で扇子を三回だけ開閉し、そのあいだに七度も「いやはや」と言う男が「えっち男」と呼ばれている[3]。この所作が、後に「相手を意識しすぎるあまり動きが遅い男」の型として定着したのである。
一方で、の古い口承では、えっち男は「縁知り男」の転訛であるとされる。これは、誰とでも知り合いのように振る舞うが、肝心の場面では責任を取らない人物を指したと説明される。なお所蔵とされる『町語拾遺』には、えっち男を「会うほどに遠くなる客」と記した箇所があるが、書写年代に不一致があり、真偽は定かでない[4]。
語源論争は期にいったん沈静化したが、の外国人居留地で流行した紳士作法書の翻訳語「H-man」が逆輸入されたことで再燃した。これにより、えっち男は単なる滑稽な人物像ではなく、近代社交における「過剰な自己監視」の象徴として再解釈されるようになった。
歴史[編集]
江戸期の町人文化[編集]
江戸後期のえっち男は、主に芝居小屋、長屋の寄合、夜更けの蕎麦屋で観察されたとされる。『江戸細見附録』によれば、年間には・界隈で「えっち男講」が月三回開かれ、参加者は畳一枚分の距離を保ちながら恋愛談義をしたという。講の規約は全12条あり、第5条には「手を出す前に湯呑みを置くべし」と明記されていた[5]。
当時の師・は、えっち男を羽織の襟を必要以上に立てた長身の男として描き、これが後の典型像を決定づけた。なお、政景の弟子が描いた版下では、人物の周囲に妙に大きい間合いが空けられており、版元が「紙が余るので売れない」と苦情を述べたという逸話が残る。
明治から大正への転換[編集]
に入ると、えっち男は「文明開化に適応しすぎた男」として新聞の風刺欄に現れるようになった。の社交倶楽部では、握手の前に三度名刺を眺める習慣が流行し、これを実践する会員が「えっち男流」と揶揄された。『東京日日新聞』明治34年7月18日付には、外交官の送別会で全員が相手の肩先だけを見つめながら挨拶を続け、開始から19分間、誰も席に着かなかったと報じられている。
期には、が「えっち男向け背広」と称する肩幅の狭いスーツを短期間販売した。広告文には「近づきたいが近づけぬ紳士に」とあり、初週で84着が売れたとされるが、うち31着は袖丈が左右で3センチずれていたため返品されたという。これが逆に「不完全さこそえっち男の美学」と解釈され、関連商品の流通を促した。
昭和の大衆化と衰退[編集]
10年代には、えっち男は紙芝居やラジオドラマで頻繁に用いられた。特にの深夜番組『慎み夜話』では、えっち男が毎回最後の一言だけを言わずに終わる形式が人気を博し、聴取率が17.8%に達したとされる[6]。この頃には、えっち男は「恋愛に弱い男」よりも「気配りが過剰で何も決められない男」の意味で定着していた。
しかしになると、都市生活の高速化により、えっち男的な間合いは「回りくどい」「効率が悪い」とみなされるようになった。のバーでは1954年頃まで名残が確認されたが、ウイスキーを注ぐたびに相手へ許可を取り直す作法が嫌われ、徐々に姿を消した。もっとも、期の商社マン文化の中で一時的に再評価され、接待芸として細々と残ったとも言われる。
社会的影響[編集]
えっち男は、単なる俗称にとどまらず、近代日本の対人距離感を測る比喩として広く使われた。家庭教育では「えっち男になるな」という戒めが時折用いられ、相手の意図を読みすぎて行動しないことへの反省語として機能した。
また、の初期研究では、えっち男は「過剰同調型人物」として分類され、のらが1928年に12名の学生を対象に聞き取り調査を行ったという[7]。ただし、調査票の一部が講義ノートの裏紙に書かれていたため、学術的信頼性には疑問がある。
一方で、えっち男は広告業界にとって有用な概念でもあった。化粧品、和装小物、喫茶店チェーンなどが「えっち男も安心」「えっち男歓迎」といった婉曲的な訴求を行い、相手に迫らない上品さを売りにした。結果として、えっち男は嫌悪の対象であると同時に、洗練された慎みの象徴として二重に利用されたのである。
批判と論争[編集]
えっち男概念には、当初から「男性像を過度に類型化している」との批判があった。特に後期の女性運動家は、えっち男が「相手に触れないことで無害を装う一方、心理的圧迫を与える」と指摘し、1971年の講演で大きな反響を呼んだ。
また、関東と関西で語感の受け取り方が異なることも混乱を招いた。では「気が長い人」を意味する婉曲表現として受容されたのに対し、では「店に3回通っても注文しない客」を指す用法が優勢であったという。方言差が大きすぎるため、では1963年に「えっち男は単一概念として扱うべきではない」とする分科会報告をまとめたが、採択は見送られた。
さらに、以降の俗語研究では、えっち男が本来は恋愛作法ではなく「茶席での沈黙演出」を指していた可能性も指摘されている。もしこれが正しければ、現代の理解はかなり後世の拡大解釈ということになるが、決定的な資料は見つかっていない。
現代における用法[編集]
現代では、えっち男は主としてネットスラング的に再流通している。特に上では、過剰に遠慮深いメッセージや、送信ボタンの前で何度も文面を削る行為を指して用いられることがある。
には、内の大学サークルが「えっち男研究会」を名乗り、会話における間合いの可視化を目的として全長2.4メートルの座席パネルを制作した。展示は3日で終了したが、来場者の7割が「ただの長いベンチではないか」と書き残したという。
なお、近年の辞書類では、えっち男は「礼儀正しさの過剰化が生んだ都市的ユーモア」と説明されることが多い。ただし、若年層の一部では語の意味が再び変質し、単に「妙に丁寧で距離感のある人」という広い意味で使われている。
脚注[編集]
[1] 山本一之『都市俗語の系譜』青葉書房, 1998年.
[2] 渡辺精一郎『近代語彙誤読史』国文堂, 1936年.
[3] 斎藤春雄『花街礼儀考注釈』東洋文庫出版局, 1974年.
[4] 国立国語研究所編『町語拾遺影印集』第2巻第3号, 1961年, pp. 44-47.
[5] 竹内寛『江戸の間合い文化』港北社, 2009年, pp. 118-121.
[6] 『大阪朝日放送年鑑 昭和11年度』大阪朝日放送資料室, 1936年.
[7] 木村宗一・中川澄子「過剰同調型人物の類型化」『心理民俗学雑誌』Vol. 4, No. 2, 1928年, pp. 201-219.
[8] 篠原美沙子『距離を取る倫理』新潮思想選書, 1972年.
[9] 田辺義信『えっち男の社会史』関西評論社, 1987年.
[10] Margaret L. Thornton, The Etiquette of Withdrawal, Cambridge Urban Studies Press, 2004年, pp. 77-104.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山本一之『都市俗語の系譜』青葉書房, 1998年.
- ^ 渡辺精一郎『近代語彙誤読史』国文堂, 1936年.
- ^ 斎藤春雄『花街礼儀考注釈』東洋文庫出版局, 1974年.
- ^ 国立国語研究所編『町語拾遺影印集』第2巻第3号, 1961年, pp. 44-47.
- ^ 竹内寛『江戸の間合い文化』港北社, 2009年, pp. 118-121.
- ^ 『大阪朝日放送年鑑 昭和11年度』大阪朝日放送資料室, 1936年.
- ^ 木村宗一・中川澄子「過剰同調型人物の類型化」『心理民俗学雑誌』Vol. 4, No. 2, 1928年, pp. 201-219.
- ^ 篠原美沙子『距離を取る倫理』新潮思想選書, 1972年.
- ^ 田辺義信『えっち男の社会史』関西評論社, 1987年.
- ^ Margaret L. Thornton, The Etiquette of Withdrawal, Cambridge Urban Studies Press, 2004年, pp. 77-104.
外部リンク
- 国立えっち男資料館
- 江戸社交作法アーカイブ
- 都市俗語研究会
- 近代礼法データベース
- 関西間合い文化センター