おこもり事件
| 名称 | おこもり事件 |
|---|---|
| 正式名称 | 豊島区雑居ビル内立入制限事案 |
| 日付 | 1994年11月18日 |
| 時間 | 午前3時40分ごろ - 翌日午後2時ごろ |
| 場所 | 東京都豊島区東池袋四丁目の雑居ビル |
| 緯度度/経度度 | 35.7291 / 139.7169 |
| 概要 | 複数名が約19時間にわたり建物内へこもり、外部との接触を絶ったまま不可解な要求を行った事件 |
| 標的 | ビル管理会社・立入関係者 |
| 手段/武器 | 施錠封鎖、警報停止装置、携帯灰皿に偽装した通信遮断器 |
| 犯人 | 元設備管理員の男ほか2名とされる |
| 容疑 | 監禁、威力業務妨害、建造物侵入 |
| 動機 | 賃貸契約更新をめぐる怨恨と、独自の『退去儀式』要求 |
| 死亡/損害 | 死者0名、軽傷3名、設備損害約480万円 |
おこもり事件(おこもりじけん)は、(6年)にので発生したである[1]。警察庁による正式名称は「豊島区雑居ビル内立入制限事案」であり、通称では「おこもり事件」と呼ばれる[1]。
概要[編集]
おこもり事件は、の都心部にある雑居ビルで、関係者らが一室に立てこもるように滞在し、外部への応答を断ったことから始まったとされる事件である。事件名の「おこもり」は、当初は単なる籠城を意味する俗称であったが、報道各社が一斉に用いたことで定着した[2]。
当初はが単純な事案として把握していたが、現場で確認された筆跡、食料の配置、そして毎時きっちり更新される張り紙の内容から、計画性の高いへ発展したとみなされている。なお、現場がの再開発地区に近かったため、地域の立入制限ルールをめぐる抗議行動と誤認した住民も少なくなかった[3]。
この事件の特異性は、被疑者側が外部と接触しないまま、室内の簡易生活を極端に整えていた点にある。捜査資料には、3種類の使い捨てスリッパ、温度管理された湯呑み、計算表付きの菓子袋などが記録されており、後年には「日本的な自己隔離文化の逸脱例」として研究対象になったとされる。
背景[編集]
再開発と管理規約[編集]
事件の背景には、1980年代末から進んだ東部の再開発と、テナント入れ替えを急ぐ建物管理の慣行があったとされる。対象となったビルは、昼は事務所、夜は小規模倉庫として用いられており、共用部の鍵管理が複数業者に分散していたため、実質的な責任の所在が曖昧であった。
この曖昧さを突いたのが、元設備管理員のとされる人物である。佐伯は更新停止通知を受けた翌月から、夜間巡回の際に通用口の部品を少しずつ交換し、合計27日間で「外から見れば通常営業、内側では実質閉鎖」という状態を作ったと証言されている。
『おこもり』という内部用語[編集]
関係者の供述によれば、彼らは当初この行動を「おこもり」と呼んでいた。これは、会議室の予約が取れないときに事務作業を一室へ集約する社内用語から転じたもので、次第に「外部の要求を受けずに、全員で同じ部屋に閉じこもること」を指す隠語になったという[要出典]。
後年の分析では、彼らが事件前に残していたメモに「おこもり三原則」「退去は朝礼後」などの文言があり、これが犯行計画の骨格だったとされる。ただし、これらの文書の一部はの押収記録と媒体報道で文言が異なっており、現場保存の粗さが批判された。
経緯[編集]
発生[編集]
午前3時40分ごろ、東池袋の雑居ビル1階警備室で異常が発見された。警備会社の巡回員が、内側から施錠されたはずのシャッター前に「本日より全館おこもり」の張り紙を見つけ、したことで事件が発覚した。
その後、内部からは1時間ごとに「静粛に願います」「会議は午後に延期」「茶葉が不足」といった短文が投函口に差し込まれた。午前7時台には、被疑者側が独自に作成したと思われる“在室名簿”が投下され、そこには実名3名のほか、なぜか「空席1」と記されていた。
籠城の進行[編集]
午前9時ごろから、周辺道路にはの機動隊車両が配置され、現場は一時的に通行止めとなった。被疑者側は拡声器に対して「昼食後に応じる」「窓際は寒いのでやめてほしい」などと返答し、交渉が微妙に生活感のある方向へ逸れたことが記録されている。
午後0時15分には、ビル3階の窓から小さな紙束が落下し、その中に賃料明細、冷蔵庫内の在庫表、そして「退出条件:原状回復ではなく原状説明」と書かれた文書が含まれていた。これにより、単なる立てこもりではなく、管理会社への抗議性が強いと判断された。
捜査[編集]
捜査開始[編集]
は同日午前8時過ぎに捜査本部を設置し、を中心に約110名体制での対応を開始した。初動では、被疑者の人数や武装の有無が不明であったため、事件はに準じる慎重な扱いを受けた。
また、事件現場がオフィス街と住宅地の境界にあったため、聴取対象が通勤者、清掃員、近隣住民、さらには深夜営業の自販機補充員にまで及んだ。目撃証言は54件提出されたが、その多くは「妙に静かだった」「湯気が見えた」など曖昧なものだったという。
遺留品[編集]
現場からは、使い残しの緑茶パック32袋、鉛筆で書かれた室内見取り図、ビルの避難経路図を裏返しに貼り合わせた紙片が押収された。特に注目されたのは、携帯灰皿を改造した小型の通信遮断器で、これが建物内の一部無線を不安定にしていたとみられる。
さらに、机上には「おこもり認定証」と書かれたラミネートカードが置かれていた。カードには発行日として6年11月17日、発行者として「自主管理委員会」と記されていたが、この委員会の実在は確認されていない。
被害者[編集]
被害者は直接的には発生しなかったが、建物内にいた事務員2名、清掃員1名、会計担当者1名が長時間の拘束状態に置かれた。彼らはいずれも軽度の脱水と疲労を訴え、うち1名は事件後もしばらく「室内での沈黙時間が長すぎる」として通院したとされる。
また、被害は人的被害にとどまらず、ビル内のテナント6社が営業停止を余儀なくされた。とくに3階の印刷所は、未発送の請求書8,400通が滞留し、年末決算に深刻な影響を受けた。なお、当時の報道では、周辺住民が「被害者なのか加害者なのか分からない」と戸惑ったことも記録されている。
刑事裁判[編集]
初公判[編集]
被疑者3名は、、の容疑で起訴され、1995年春にで初公判を迎えた。検察側は、事前準備として押収したメモ、鍵の改造部品、張り紙の筆跡鑑定を提出し、犯行の計画性を主張した。
一方、弁護側は「共同生活の延長にすぎない」「外部との接触を絶ったのは健康上の配慮である」と反論したが、被告人質問で主語が頻繁に「私たち」から「部屋」が先行するなど、責任主体が不明瞭な点が不利に働いた。
第一審と最終弁論[編集]
第一審では、主犯格とされた佐伯義夫に、共犯2名にそれぞれおよびが言い渡された。裁判所は、物理的な被害の規模は限定的である一方、被害者らの拘束時間と業務妨害の悪質性を重くみたと説明した。
最終弁論では、検察官が「この事件はドアを閉めたのではない。社会との協定を閉じたのである」と述べたとされ、法廷記録の引用としてしばしば紹介される。ただし、この発言の正確な文言については、新聞紙面ごとに差異がある[要出典]。
影響・事件後[編集]
事件後、内の雑居ビル管理会社では、夜間施錠の責任者を1名から3名へ増員する慣行が広がった。また、テナント契約書には「長時間の室内滞留をもって意思表示とみなさない」条項が追加された事例が複数確認されている。
社会的には、「おこもり」という語が一時的にネガティブな意味で定着したが、その一方で、在宅勤務や少人数会議の普及により、後年には半ば冗談として再評価された。2000年代にはの生活行動調査において、単独作業の集中時間を「おこもり」と俗称する若年層が増えたとされる。
なお、事件現場となったビルは2002年に解体され、跡地には小規模なコインパーキングが設けられた。駐車区画の番号が「3」「4」「5」を欠いていたことから、近隣では「未回収の名残」と呼ばれ、半ば都市伝説化している。
評価[編集]
法曹関係者の間では、事件は「都市型籠城の初期類型」として参照されることがある。特に、暴力の誇示ではなく、生活動線そのものを犯行手段として用いた点が珍しいと評価された。
一方で、研究者の中には、この事件が実際には労務交渉の拗れを過剰に演出した“半ば儀式的抗議”だったとみる者もいる。もっとも、犯行時刻、封鎖手順、遺留品の整合性が妙に高いことから、完全な即興ではなかったとする見解が有力である。
関連事件・類似事件[編集]
類似例としては、ので発生した「夜明け待ち立入拒絶事件」、ので確認された「自主管理会議室封鎖事案」などが挙げられる。いずれも、閉鎖空間を交渉の場として転用した点で共通するとされる。
また、海外ではの「ストーンブリッジ・ルームイン事件」がしばしば比較対象となるが、こちらは食料確保の方法が極端であったため、本件よりもサバイバル色が強い。日本の事件史では、暴力よりも規則書の文面が注目された点で異色である。
関連作品[編集]
書籍[編集]
・『おこもりの社会学』、2004年。
・『立てこもらないための建物学』、2008年。
・『雑居ビルの夜間規約』、2013年。
映画[編集]
・『窓を開けないで』、1999年。
・『おこもり、午後二時』、2006年。
・『封鎖の茶葉』、2018年。
テレビ番組[編集]
・「都市はどこで止まるのか」、2007年放送。
・『事件の部屋』、2011年放送。
・『未明の管理室』、2020年放送。
脚注[編集]
1. 警視庁刑事部『平成六年雑居ビル立入制限事案記録』内部資料、1995年。 2. 『朝日新聞』1994年11月19日朝刊、社会面。 3. 佐々木一郎「都市籠城事案における生活空間の再編」『現代都市犯罪研究』Vol. 12, No. 3, pp. 41-63. 4. 田中美佐子「“おこもり”語義の転換と報道表現」『言語社会学紀要』第8巻第2号, pp. 115-132. 5. 木村達也『雑居ビル管理と危機対応』中央法規出版、2001年, pp. 88-91. 6. Margaret H. Blake, "Contained Protests in Dense Urban Blocks", Journal of Asian Criminology, Vol. 7, Issue 1, pp. 9-28. 7. 中野誠『封鎖と協議の戦後史』岩波書店、2010年, pp. 203-210. 8. 小泉和弘「張り紙が先にある事件」『都市表象研究』第4巻第1号, pp. 77-80. 9. A. R. Whitfield, "Administrative Siege and Everyday Compliance", Public Order Review, Vol. 19, No. 4, pp. 201-219. 10. 村上由里子『立入禁止の文化史』新曜社、2016年, pp. 54-57.
脚注
- ^ 佐々木一郎「都市籠城事案における生活空間の再編」『現代都市犯罪研究』Vol. 12, No. 3, pp. 41-63.
- ^ 田中美佐子「“おこもり”語義の転換と報道表現」『言語社会学紀要』第8巻第2号, pp. 115-132.
- ^ 木村達也『雑居ビル管理と危機対応』中央法規出版、2001年, pp. 88-91.
- ^ Margaret H. Blake, "Contained Protests in Dense Urban Blocks", Journal of Asian Criminology, Vol. 7, Issue 1, pp. 9-28.
- ^ 中野誠『封鎖と協議の戦後史』岩波書店、2010年, pp. 203-210.
- ^ 小泉和弘「張り紙が先にある事件」『都市表象研究』第4巻第1号, pp. 77-80.
- ^ A. R. Whitfield, "Administrative Siege and Everyday Compliance", Public Order Review, Vol. 19, No. 4, pp. 201-219.
- ^ 村上由里子『立入禁止の文化史』新曜社、2016年, pp. 54-57.
- ^ 石橋礼子『現場保存と都市の記憶』法政大学出版局、2009年, pp. 144-149.
- ^ 『東京都治安年報1995』東京都総務局、1996年, pp. 31-34.
外部リンク
- 警視庁事件資料アーカイブ
- 都市犯罪研究センター
- 雑居ビル安全管理協会
- 東日本事件年表データベース
- 報道表現史研究所