おせちんこ
| カテゴリ | 年始儀礼・余興文化 |
|---|---|
| 発祥とされる時代 | 明治末期 |
| 主な舞台 | 商店街の店頭、座敷、町内会館 |
| 道具 | 小槌状の飾り(任意)、白い紙札、記録帳(任意) |
| 参加人数 | 3〜12人が目安とされる |
| 所要時間 | 5〜18分とされる |
| 地域差 | 関東式・東海式・西日本式の呼称があるとされる |
| 論争の種 | 名称の性的含意と、迷惑行為の線引き |
(おせちんこ)は、の「年始挨拶の余興」として半ば儀礼化された、即席の触れ合いゲームであるとされる[1]。元はとが語感的に結びついた俗称から始まり、明治後期の商家の寄り合い文化に吸収されたと説明される[2]。
概要[編集]
は、年始の席で「挨拶の言葉」を起点に、短い手順で勝敗や“役割”を決める余興であるとされる。ルールは地域・家ごとに細部が異なるが、「最初に言った人が“正月の持ち札”を受け取る」という形式が共通項として挙げられている[1]。
民俗学的には、の各品目が象徴する縁起(長寿・繁栄・無病)を、その場の会話運用へ写像したものだと説明される。一方で言葉の語感が強いため、戸惑いが起きやすい名称としても知られており、役場や学校の配布文書で“表記の揺れ”が問題視された経緯が記録されている[3]。
概要(成立経緯と特徴)[編集]
名称の成立は「おせち」と「ちんこ」をそのまま結びつけたという説が有力だとされるが、言い換えれば、商家の寄り合いで発生した滑稽な連想語が、いつしか余興の名称として固定されたものだとする指摘がある[4]。特に周辺では、店先の呼び込み文句が韻を踏んだため、子どもの間で“それっぽい言葉”が増殖し、最終的に「年始の儀礼」へ格上げされたと語られる。
実施手順は、(1) 白い紙札を配る、(2) 札に短い決まり文句を書かせる、(3) 順番抽選の口上を挟み、(4) 決められた回数だけ掛け声を重ねる、の4段階に整理されることが多い。掛け声は「めでたい」「たのしい」などの通常語が使われる一方、地方では“音だけ似せた禁句”を混ぜる慣習もあったとされる[5]。
また、勝敗よりも“場の温度”を上げることが主目的とされ、記録帳をつける家では、掛け声1回あたりの平均声量を「14〜19デシベル相当」と見積もる遊び心の統計が残っているという。もっとも当時の計測機器の誤差が大きく、後年の語り手が盛った可能性が指摘されている[6]。
歴史[編集]
商家の寄り合いから町内会の規格へ[編集]
が実在の概念だと仮定した場合、その原型は「正月寄り合いの“発声割当”」にあったとする説がある。すなわち、の船場周辺で、正月に売れ残りを減らすために店頭の来客へ短い言い回しを言わせる習慣があり、その言い回しが“札”と“順番”で管理されるようになった、という筋書きである[7]。
明治末期、寄り合いが大きくなると、司会役が毎回説明に追われたため、ルールを削って短くした結果、「おせちんこ」という韻のある呼称が採用されたとされる。なお当時の帳簿には「年始余興・口上7種、札配布3回、終了合図2回」といった記載があったとされるが、後の研究者は“分類の書式が昭和期の町内会令に似すぎている”として、実際には別の余興が混ざった可能性を述べている[8]。
明治大正の“表記騒動”と法的グレー[編集]
大正期には、学校の校内掲示での表記が焦点となったとされる。たとえばのある中等教育機関で、年始行事の案内に「おせちんこ」とだけ書かれ、保護者が“固有名詞だと読めない”と抗議した事件があったと語られている[9]。学校側は「余興の名前であり、内容とは無関係」と回答したが、同時に代替表記として「おせち縁こ」「おせちのちんこ(仮)」などの案が検討されたとも記録されている。
この騒動は、系の通達文書で“性的連想を強めうる語”として注意喚起の対象になった、と説明されることが多い。ただし通達の原文は所在不明とされ、後年の編集者が複数の講演録から抜き出して再構成した可能性がある。この点については、編集史を追った研究で「原典が一つにまとまっていないのに、語数だけが揃っている」という観察が示され、いわゆる“書き換えられた出典”ではないかと論じられた[10]。
昭和に入ると、余興が“地域の記号”として定着し、逆に言い換え問題が表面化した。関東式では呼び声中心、東海式では札運用中心、西日本式では小道具(紙札に押す小印)中心とされ、名称だけが統一されないまま文化が共有されていったとされる[11]。
社会的影響[編集]
は、年始の会話を“単なる挨拶”から“参加型の行為”へ変える装置として機能したと評価されることがある。とりわけ、客が少ない商店では、余興があることで時間帯の滞在率が上がると見積もられ、「正月三が日での店頭停留は平均9.6分増」という数字が、後の地域誌でしばしば引用された[12]。
一方で、過熱すると“押し売りに近い参加強要”へ転ぶことがあり、記録帳をつける家庭では参加回数のカウントが行われたという。そこでは「参加者が断った回数が0の人ほど縁起が良い」という迷信が生まれ、結果として断りづらさが固定化したとする指摘もある[13]。なおこの種の統計は、後年の語り手によって“参加者総数に対する断り率”が都合よく整えられている疑いがあるとされ、学術的には慎重に扱われている。
その後、町内会行事が標準化されるにつれ、余興の“強制力”を下げるために、札配布を任意にする改良型が広まったとされる。たとえば「札配布が1回、口上が3回、終了合図が1回」の“短縮規格”が各地の会則に似た形でまとめられた、という証言が残っている[14]。
批判と論争[編集]
批判の中心は名称の性的含意と、子どもの前での運用である。実際、表記を伏せても語感が伝わるため、イベントの掲示物が炎上しやすいとされる。また、参加を促す声かけが強い場合には、迷惑行為やハラスメントに近いとする意見がある。
さらに、実施手順の“札”が、宗教的な護符のように振る舞われた例が問題視されたことがある。ある地方の記録では、札に「無病息災」「家内安全」を書き込ませる運用があり、結果として“おせちんこが祈祷に転化した”とする指摘がある[15]。一方で運営側は「祈祷ではなく、言葉のゲームである」と反論したとされるが、記録帳には一部で供物めいたものが添えられていたという。
この論争は、言葉の適切性だけでなく、出典の作り方にも及んだ。百科風の解説記事では、明治期の寄り合いの描写が必要以上に精密化される傾向があり、たとえば「札を配る手の角度は“右手30度”」といった描写が何度も転用されたため、オリジナル性の欠如が批判された[16]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『正月余興の言語運用:札・口上・合図』青葉書房, 1937年, pp. 41-58.
- ^ M. A. Thornton『Ritualized Small Talk in Early Japanese Communities』Oxford University Press, 2012年, Vol. 3, pp. 77-103.
- ^ 田中鶴次郎『年始の儀礼と商家文化の接点』山桜堂, 1956年, 第2巻第1号, pp. 12-29.
- ^ 鈴木範人『掲示文書における禁句回避の慣行』日本学校文化研究会, 1989年, pp. 203-219.
- ^ Kwon Seong-joon『Soundplay and Social Pressure: A Comparative Note on New-Year Games』Journal of Folk Communication, Vol. 18, No. 4, pp. 1-19, 2009年.
- ^ 松本ハル『記録帳が語る集団行為:おせち周辺の測定幻想』東京民俗学会, 1998年, pp. 88-95.
- ^ 伊藤典子『語感が制度になる瞬間:町内会規格の作られ方』風見書店, 2006年, pp. 60-83.
- ^ 石井直人『明治末の口上統計と“誤差のある伝承”』学芸出版社, 2017年, pp. 144-171.
- ^ (タイトルが微妙に誤植されている)佐伯信也『年始余興の法的グレーゾーン:内務省通達の再解釈』法政刊行会, 2001年, pp. 9-31.
- ^ Nguyen Minh『Community Signage, Moral Panic, and the Politics of Names in Japan』Kyoto Global Studies Press, 2015年, pp. 210-236.
外部リンク
- 年始余興研究会アーカイブ
- 町内会資料データベース
- 日本語の禁句・連想辞典
- 地域誌スキャンセンター
- 民俗行為ルール集(閲覧用)