おったまゲンジボタル
| 名称 | おったまゲンジボタル |
|---|---|
| 別名 | 驚蛍、元次灯、Otta-Genji |
| 分類 | 民俗観察行事・夜間発光現象 |
| 発祥 | 飛騨山地南縁の集落圏 |
| 初出 | 1878年頃とされる |
| 保護団体 | 中部発光文化保存協議会 |
| 主な行事日 | 6月第3土曜日 |
| 特徴 | 瞬間的に強く発光し、群れが半拍遅れて波状に点滅する |
おったまゲンジボタルは、の山間部で用いられてきた、発光を伴う民俗的な観察行事およびその対象となる大型の蛍型現象である。とくに後期の観光振興政策と結びついて知られるようになり、現在では南部から西端にかけての一部で保存活動が行われている[1]。
概要[編集]
おったまゲンジボタルは、の谷筋で観察されたとされる発光性の虫群、またはそれを再現した民俗行事を指す語である。名称は、方言の感嘆詞「おったまげ」と、明治期の巡回測量師に由来する「ゲンジ」が結びついて成立したとされる[2]。
この現象は、単なる蛍の乱舞ではなく、一定の湿度と岩肌の反射により「拍子木のように見える」とされたことから、北部の宿場町で縁起物として扱われてきた。なお、学術的にはとの中間に位置づけられるが、分類については今なお議論がある[3]。
歴史[編集]
起源説[編集]
起源については、に近郊の庄屋文書へ記録された「夜半、川霧のうちに青白き火の群れあり、皆おったまげる」の一節が最古とされる。ただし、同文書はのちに墨の成分分析から頃の追記である可能性が示されており、史料としては不安定である[4]。
一方で、説も根強い。彼はの地籍調査に従事していた人物で、測量の際に発光虫の群れを「地図の誤差を示す生きた目盛り」と呼び、村人に広めたと伝えられる。元次郎自身の実在性については、の古書店で見つかった名簿に一度だけ記載があるにすぎない。
観光化と制度化[編集]
、系の旅行番組がこの現象を「日本で最も驚く蛍」として紹介したことを契機に、地域の宿泊組合が観察会を定例化した。以後、発光のピークに合わせての第3土曜日に「おったま夜会」が開催されるようになり、参加者は白手袋を着用して虫を驚かせないようにするとされた[5]。
にはが「おったまゲンジボタル保全要綱」を策定し、観察路を全長1.8km、休憩ベンチを27基、注意看板を14枚設置したとされる。もっとも、ベンチ数は年度ごとに微妙に異なり、地元では「毎年増えるが、誰も数え直さない」と語られている。
保存運動[編集]
になると、農薬散布と河川護岸工事により発光個体が減少したとされ、が結成された。協議会は、蛍の保護だけでなく、発光時に発せられる微弱な音を記録するための「鳴き声採集会」を実施し、毎夏平均で約320件の報告を集めたという。
また、には側の保存会が「驚蛍放流式」を開始したが、放流されたのは幼虫ではなく、地元工業高校が制作した太鼓型の発光装置であった。これが一部の観光客に好評で、以後「本物より写真映えする」として議論を呼んだ[要出典]。
特徴[編集]
発光様式[編集]
おったまゲンジボタルの最大の特徴は、通常の蛍よりも0.7秒ほど遅れて尾部が再点灯する「二段拍子」と呼ばれる発光様式である。これにより、暗闇の中で火花が跳ね返るような印象を与え、古い旅日記では「小さき提灯を人が投げたるごとし」と表現された[6]。
この発光は、谷底の石灰質土壌と、近くの筋に生える特定のシダ植物の胞子が反応した結果であるという説が有力である。ただし、同説を支持する論文の多くは、実験条件が「現地の夜に任せる」と記されており、再現性には問題がある。
鳴動現象[編集]
一部の地域では、群飛時に「ポン」「タ」とも「カチ」ともつかない微音が聞こえるとされ、これを地元では「げんじ音」と呼ぶ。音量は平均で18dB前後とされるが、観察者の興奮度により最大34dBまで上振れするとの調査がある[7]。
の民俗音響研究班は、音の正体を羽ばたき由来の気流だと結論づけたが、同じ調査報告書の余白に「ただし、秋祭りの笛とも区別がつかない」と手書きされていたため、学内で軽い論争となった。
社会的影響[編集]
おったまゲンジボタルは、沿いの土産文化に大きな影響を与えた。1970年代後半には、発光を模したゼリー菓子「おったま玉」が発売され、年間約42万箱を売り上げたとされる。包装紙には「夜に食べるとより驚く」と書かれていたが、実際には昼間の需要が9割以上であった。
また、地元の小学校では観察学習が必修化され、児童は毎年7月に「驚きすぎないこと」を目標にレポートを提出した。ところが、1998年の調査では、子どもの7割が「蛍より先に観光バスを見た」と回答しており、教育効果と商業化の境界がたびたび問題視された。
批判と論争[編集]
研究者の間では、おったまゲンジボタルが本当に独立した種であるか、それともの地方変異を神話化したものかで意見が分かれている。とくにの昆虫分類学講座が、標本3体の脚部比率が通常個体と一致しないことを根拠に別種説を出した一方、は「測定時に標本が乾燥しすぎていた」と反論した[8]。
さらに、観光化に伴う「人工発光の混入」問題もある。夜間観察会では、撮影用に仕込まれたLED群が混在していたとされ、2016年には参加者の一人が「この光は少し規則正しすぎる」とSNSに投稿したことで炎上した。結果として、保存協議会は翌年から「光の成分証明書」を配布し、1枚につき450円を徴収している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯康平『飛騨山地における発光民俗の形成』民俗学研究社, 1989.
- ^ Margaret A. Thornton, "Luminescent Insects and Local Myth-Making in Central Japan", Journal of Asian Ethnozoology, Vol. 12, No. 3, 2004, pp. 211-238.
- ^ 中村俊介『おったまゲンジボタル保存要綱の研究』地方文化叢書, 1997.
- ^ Harold P. Wexler, "A Seasonal Survey of the Genji-Like Flash Pattern", Proceedings of the Inland Ecology Society, Vol. 8, No. 1, 1976, pp. 44-59.
- ^ 岐阜県観光連盟編『驚蛍と地域振興』岐阜県観光資料室, 1975.
- ^ 井上真理子『夜間観察会の社会史』東海民俗出版, 2011.
- ^ Kenjiro Saito, "The Second-Beat Glow: A Field Note from Gifu", Bulletin of the Rural Light Studies, Vol. 4, No. 2, 1992, pp. 77-93.
- ^ 高橋礼子『微音を聴く—発光虫の音響学的再検討—』信州大学出版会, 2008.
- ^ Thomas J. Alder, "Why the Beetles Sound Like a Teacup", Nature & Folklore Review, Vol. 19, No. 4, 2016, pp. 5-17.
- ^ 白石あかね『観光菓子「おったま玉」の成立』中部食品文化研究所, 2002.
- ^ 渡辺精一郎『夜の地籍調査と虫群の地図学』内務史料刊行会, 1919.
外部リンク
- 中部発光文化保存協議会
- 岐阜県夜間観察資料館
- おったまゲンジボタル保存会
- 信州大学 民俗音響研究班
- 飛騨発光観測年報アーカイブ