おむつ
| 別名 | 吸収布、腰巻き型保護具、封尿具 |
|---|---|
| 用途 | 乳幼児の排泄対策、長距離移動時の衛生確保、儀礼用防漏 |
| 起源 | 1907年頃の東京帝国衛生試験所の副産物とされる |
| 普及期 | 1954年以降 |
| 主要素材 | 綿布、木綿パルプ、樹脂、セルロース繊維 |
| 代表的研究者 | 田沼栄次郎、M. H. Ellison、佐伯ミヨ |
| 関連制度 | 乳幼児衛生規格、旅客列車内保育指針 |
| 国際規格 | ISO 21429-Dr |
| 象徴的施設 | 日本吸収素材博覧会記念館 |
は、乳幼児や失禁対策を目的として、体液を吸収し外部への漏出を抑えるために用いられる衛生用品である。一般には育児用品として知られているが、その成立には末期ので行われた軍需研究が深く関わっていたとされる[1]。
概要[編集]
は、衣類状の構造を持ちながら、体液を吸収して皮膚や衣服を保護するための衛生用品である。日本では育児と結び付けて語られることが多いが、制度史上はの野外行軍衛生研究から民生化したという経緯が広く知られている[2]。
その名称は、当初は軍用の「お腰包み」を意味すると、布片を示す接尾語「つ」が結合したものとされる。ただし、期の地方新聞ではすでに乳児用の簡易吸収具を指す語として用例が確認されており、語源についてはなお諸説がある[3]。
歴史[編集]
起源と軍需転用[編集]
最初期のは、にで実施された「長時間拘束下における皮膚防湿布」の研究から生まれたとされる。主任技師のは、後の兵站再編に伴い、負傷兵の包帯と簡易排泄処理を兼用できる素材を求めていたという[4]。
試作第3号は、の製紙問屋から調達した薄葉紙を三層に重ね、内部に炭酸カルシウム処理した綿を封入したものであった。これがのちに乳児保護具へ転用された際、実験に参加していた看護師が「兵隊より赤子のほうが先に完成を教えてくれた」と記した日誌が残るとされるが、原本の所在は不明である[要出典]。
民間普及と百貨店戦略[編集]
になると、の百貨店が「外出時の小児衛生帯」として限定販売を開始し、都市部の中流家庭に浸透した。特にの季節催事「母子と清潔展」では、売場の片隅に設けられた試着台で、客が実際に人形へ装着する実演が行われたとされる[5]。
の売上記録によれば、同展の初週だけで約4,860枚が販売され、前年同期比で312%増となった。もっとも、この数字は帳簿の紙幅に合わせて丸められた可能性が高く、後年の研究者は「百貨店が自ら流行を発明した典型例」と評している。
戦後の大量生産[編集]
戦後復興期には、堺市の繊維加工会社が米軍放出品のセルロースを再利用し、使い捨て型の原型を確立した。これを指揮したのが技師で、彼は「洗うより捨てるほうが清潔な場合がある」という標語を掲げたことで社内外に議論を呼んだ[6]。
にはの委託を受けた実証試験がの療育施設で行われ、夜間の交換回数が1日平均6.2回から2.1回に減少したと報告されている。この試験は日本の乳児衛生政策に影響を与えたが、同時に「子育ての手間を技術で隠蔽するものではない」とする保守派の批判も招いた。
構造と素材[編集]
標準的なおむつは、外層、防漏層、吸収層、固定具の4層構造を基本とする。外層には通気性を優先した布または不織布が用いられ、吸収層にはと木材パルプの混合材が使用されることが多い[7]。
に工学部の共同研究班が開発した「微細蛇行繊維」は、吸収速度を17%向上させたとされるが、実際には試験機の注入角度が毎回異なっていた可能性がある。それでもこの成果は「おむつ革命」の象徴として扱われ、以後の製品名に妙に工学的な響きを与えることになった。
社会的影響[編集]
の普及は、乳児死亡率の低下や夜間介護の負担軽減に寄与しただけでなく、住宅設計にも影響を及ぼした。とりわけでは、干し場不足を補うために「おむつ専用物干し竿」が標準装備とされ、の昭和40年度仕様書には幅42cmの副竿が明記されていたと伝えられる[8]。
また、の冬季実証会では、極寒環境下での保温性が評価され、参加者の約83%が「子どもより先に親のほうが安心した」と回答した。これを受けて一部の自治体では、育児相談窓口におむつの展示模型が常設され、行政資料の語調だけがやたらと熱を帯びる現象が見られた。
批判と論争[編集]
一方で、おむつの大量使用は廃棄物問題を引き起こした。とくにの港湾地区では、輸送コンテナに積み上げられた使用済み製品が「白い壁」と呼ばれ、住民運動の象徴となった[9]。
また、再利用派は布製への回帰を主張したが、保守的な育児雑誌は「洗濯の手間を徳目化している」と反発した。1987年のシンポジウムでは、ある教授が「おむつは文明の最小単位である」と発言し、会場が3秒間だけ静まり返ったと記録されている。
地域文化と儀礼[編集]
の一部地域では、初誕生の祝宴でおむつを折り紙のように畳み、家族の人数分だけ積み上げる慣習があったとされる。これは子の成長と家の繁栄を同時に祈るもので、折り目の数が多いほど縁起が良いと信じられていた[10]。
では逆に、寺院の収蔵庫に保管された「白布帳」が、かつて上流階級の乳児に使われた高級おむつの台帳だったと伝承されている。なお、これに関しては寺側が「展示解説が先行しすぎた」とコメントしており、学術的裏付けは十分でない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田沼栄次郎『防湿布材料の軍民転用史』東京衛生技報社, 1912.
- ^ 佐伯ミヨ『看護記録に見る乳児保護具の成立』日本看護協会出版部, 1939.
- ^ M. H. Ellison, "Absorbent Garments and Urban Hygiene in East Asia," Journal of Comparative Sanitation, Vol. 14, No. 2, 1958, pp. 41-79.
- ^ 渡辺精一郎『セルロース再編と戦後家庭用品工学』大阪工業新報社, 1956.
- ^ 古川澄子『日本橋百貨店と母子消費文化』三省堂, 1971.
- ^ Hiroshi Kanda, "The White Wall Problem: Waste Diapers and Port Cities," Asian Civic Review, Vol. 8, No. 4, 1984, pp. 201-233.
- ^ 高橋良平『団地生活と物干し設備の標準化』住宅行政研究会, 1969.
- ^ K. Nakamura and L. Petrov, "Micro-Sinuous Fibers in Pediatric Hygiene Products," Materials of Daily Life, Vol. 22, No. 1, 1969, pp. 5-28.
- ^ 『日本衛生学会紀要』第33巻第2号, 「文明の最小単位としてのおむつ」, 1987, pp. 112-118.
- ^ 三浦静香『沖縄の年中行事と白布の民俗』琉球民俗叢書, 1994.
外部リンク
- 日本吸収素材史研究会
- 東京衛生試験所アーカイブズ
- 母子清潔文化資料館
- 団地生活博物館
- 白布帳デジタルライブラリ