お花見税
| 制度名 | お花見税 |
|---|---|
| 別名 | 桜場附加税、花見占有料 |
| 区分 | 地方附加税・景観利用 शुल्क |
| 主管 | 内務省花景課(後の環境文化調整局) |
| 制定年 | 1912年(大正元年) |
| 適用対象 | 花見宴席、仮設座敷、樽酒搬入、長時間場所取り |
| 税率 | 1人1時間あたり3銭から、繁忙期は12銭まで |
| 廃止 | 1948年(自治再編に伴い停止) |
| 関連法令 | 桜景観保全条例、仮設宴席登録規則 |
お花見税(おはなみぜい、英: Hanami Tax)は、の開花期における公園・河川敷・名所周辺での滞在、飲食、座席占有に対して課されるとされたの地方附加税制度である。もともとは末期の花卉景観保全策として構想されたが、のちに宴席の規模管理と観光収益の調整を兼ねる制度へと変質したとされている[1]。
概要[編集]
お花見税は、の名所で行われる宴席や場所取りに対し、利用密度に応じて課税する制度である。課税の名目は「景観維持」であったが、実際にはや沿いでの過密化を抑える目的が強かったとされる。
制度の運用はきわめて細かく、ブルーシートの面積、持ち込みの量、提灯の数まで申告対象とされた。なお、申告書には「花見中に歌唱を行う場合は二割増」とする欄があり、当時の役所文書にしては妙に音楽的であると指摘されている[2]。
成立の経緯[編集]
起源はの府内で発生した「花見渋滞事件」に求められるとされる。これは周辺に三万七千人規模の行楽客が集中し、弁当業者の荷車がで立ち往生したことを受け、警察と衛生当局が臨時に宴席の登録票を配布した出来事である。
当初は単なる交通整理にすぎなかったが、翌年、の試算で「一日の花見需要は米価一俵分に相当する」と報告されたことから、財源化の議論が始まった。これに強く関与したのが、当時の官僚であるで、彼は桜を「都市の静かな発電所」と呼び、利用者負担の原理を応用すべきだと主張した[3]。
制度設計[編集]
課税対象[編集]
課税対象は、座敷の敷設、飲食、香具の設置、そして「桜の木を見上げるための長時間の沈黙」にまで及んだとされる。特に沈黙課税は批判も多かったが、は「感傷の独占」に対する正当な対価であると説明した。
また、の一部では、花見客が持参したを「撮影用仮設建築」とみなし、追加の記録料を徴収した記録が残る。これにより、花見税は単なる宴会税ではなく、景観行動全体への課税として発展した。
税率と徴収方法[編集]
標準税率は1人1時間あたり3銭で、午後6時以降は夜桜加算として2銭が上乗せされた。満開日には「花密度係数」が導入され、周辺では最大4.1倍、地方の名所では0.8倍まで変動したという[4]。
徴収は、の臨時職員と「桜場監理嘱託」が行い、座席票には枝ぶりの等級まで印刷された。税額の納付を忘れた場合、団子一串ごとの現物納付も認められたが、これは後に脱税の温床になったとして廃止された。
拡大と社会的影響[編集]
1920年代に入ると、お花見税は、、にも拡大し、各地で独自の「桜場附加税」が設けられた。とくに沿いでは、川床文化と混同された結果、宴席の床面積ではなく「笑い声の音量」で課税する町内会が現れたという。
一方で、制度は景観保全に一定の効果を示したとされる。税導入後、の一人当たりゴミ排出量は平均で18%減少し、代わりに高級折りたたみ椅子の売上が急増した。これにより「花見は庶民の行事から申告制のレジャーへ変質した」と批判され、新聞各紙は連日、徴税吏の立つ桜並木を風刺漫画で描いた[5]。
批判と論争[編集]
最大の論争は、花見の定義そのものが恣意的であった点にある。税務当局は「桜を背景に握り飯を食べた時点で花見」とした一方、納税回避を狙う一部市民は、梅や桃の下で同様の宴会を開き、これを「春季静坐」と称した。
また、にはで「夜桜提灯税」をめぐる暴動が発生し、提灯を2個以上吊るした宴席に対し追加徴税を行う通知が混乱を招いた。なお、県庁は後に「提灯は景観を照らす公共電灯に準ずる」と説明したが、この理屈は議会でほとんど理解されなかったとされる[6]。
終焉とその後[編集]
制度は後の自治再編で停止され、に事実上廃止された。もっとも、廃止後もしばらくは旅館組合が独自に「場所取り保管料」を徴収しており、花見税の亡霊は1970年代まで残ったといわれる。
現在では、の一部町内会や観光協会が「協力金」として類似の仕組みを採ることがあるが、これは税ではなく寄付であると強く説明される。ただし、申込書の書式が旧花見税の様式に酷似していることから、研究者の間では「名前を変えた再来」とする見方もある[7]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『桜場附加税の理論と実務』内務省花景課資料室, 1913年.
- ^ 山岸千代『都市祝祭と徴収技術』東京文化経済研究所, 1921年.
- ^ Margaret A. Thornton, "Fiscalization of Cherry-Viewing in Early Modern Tokyo", Journal of Urban Tax Studies, Vol. 8, No. 2, pp. 114-139, 1932.
- ^ 小林夏彦『花見渋滞事件報告書』大蔵省臨時調査局, 1911年.
- ^ Hiroshi Kanda, "Petal Density Coefficients and Seasonal Revenue", The East Asian Public Finance Review, Vol. 12, No. 4, pp. 201-228, 1938.
- ^ 佐伯みどり『提灯課税と夜間景観の管理』警視庁行政史編纂室, 1928年.
- ^ George W. Ellison, "Taxing Silence Under Blossoms", Proceedings of the Society for Recreational Governance, Vol. 3, pp. 55-77, 1930.
- ^ 『桜景観保全条例と仮設宴席登録規則』自治制度研究会, 1949年.
- ^ 田所俊一『花見税廃止後の民間徴収慣行』地方慣習史紀要, 第7巻第1号, pp. 9-31, 1962年.
- ^ Suzanne P. Miller, "From Leisure Levy to Civic Ritual: The Hanami Tax", Comparative Municipal History, Vol. 5, No. 1, pp. 1-26, 1955.
- ^ 黒田一馬『春の納付書—お花見税の書式変遷—』財政書式研究, 第2巻第3号, pp. 88-102, 1974年.
外部リンク
- 花見税史料アーカイブ
- 帝都税制博物館デジタル展示
- 桜場附加税研究会
- 季節課税年報
- 市民行楽と徴収の会