か
| 字形 | か |
|---|---|
| 発音 | ka |
| 分類 | 仮名 |
| 成立 | 10世紀頃とされる |
| 起源 | 平安京の符牒体系 |
| 関連文字 | カ、が、か゚ |
| 用途 | 表音、符牒、祓詞 |
| 異体 | 花形、罫書形、印相形 |
| 伝承地 | 京都府京都市、奈良県天理市 |
かは、日本語のの一つであり、音節 /ka/ を表す文字である。平安期のに由来する記号を簡略化して成立したとされ、後世には「刃を納める音」として武家社会にも広く受容された[1]。
概要[編集]
かは、現代日本語で最も使用頻度の高い仮名の一つであり、助詞・接続・感動のいずれにも用いられる文字である。ただし、字形の単純さに反して、その成立にはの官人たちが行った秘匿的な記録法が深く関わったとする説がある。
この説によれば、かは当初、で用いられた「火除け札」の略号であり、帳簿の余白に付された小さな曲線が次第に独立した文字へ変化したという。また、早い時期から寺社の祈祷札や市井の商人の勘定符にも転用され、音価よりも先に「止める」「区切る」「控える」という意味を帯びたとされる[2]。
歴史[編集]
成立伝承[編集]
成立伝承では、かは末にの勅命で設けられた「仮記院」において整序されたとされる。院の記録係であった藤原守景は、文書の秘匿のために漢字の偏旁を分解し、火・風・殻の三要素を重ねた印を考案したが、そのうち最も書きやすかった一筆がかとして残ったという[3]。
なお、同院では同様の試作があったが、筆運びが遅くなるとして却下された。うち「えにし型」「まじなひ型」と呼ばれる案が『延喜秘録』に記されているが、現存写本はのみであり、真偽は確定していない。
中世の拡散[編集]
鎌倉時代に入ると、かはの検断文書に現れ、関東武士のあいだで「可」と同音であることから許可印として扱われたとされる。特にの周辺で流通した木簡には、かを朱で囲んだ「可可印」が多く見つかるという[要出典]。
には、の商人が輸送札にかを多用し、荷の最終確認を示す符号として定着した。『堺算用帳』には、かの字を三つ重ねると積荷が無事に着くという俗信が載せられており、雨天時には書き手がわざと曲線を太らせて「加護」を強めたともいう。
近世から近代[編集]
には寺子屋教育の普及に伴い、かは最初期に習う仮名の一つとして広まったが、教本『かな手習正伝』では「か」を書き損じる児童が多いことから、罰として同字を百回書かせる規定が設けられていたという。これは結果として、かの形状を全国的にほぼ標準化する要因になったと考えられている。
期にはが「仮名統一審査会」を設け、かの字形を活字に適するよう再設計した。この際、旧来の花形に残っていた小さな返し筆が「装飾的で読みにくい」として削られ、かわりに右肩の開きが2度調整された。改定案はに公布されたが、地方の印刷所では初期まで旧字形が混在していた。
構造と書法[編集]
かは、左上から右下へ抜く主画と、中央で折れ返す副画から成ると説明されることが多い。ただし、古写本の分析では、もともと二画目は「火」を象った補助線であり、現行の滑らかな曲線はの料紙職人が墨溜まりを避けるために省略した結果であるという。
書法上は、武家流・公家流・町人流の三系統が区別される。武家流は角張り、町人流は丸みが強く、公家流は一見優美であるが実際には筆圧の変化が激しい。書道家のは「かは性格を暴く文字である」と述べ、特に左のはねが1ミリ短いだけで書き手の出自が分かるとした[4]。
また、江戸後期の識字教育では、かの右側をわざと太く書く「加太り法」が各地で流行した。これは紙の節約のため、1字で複数の意味を含ませる民間技法であったが、幕末には軍用暗号に転用され、薩摩藩の連絡帳ではかが「集合」「延期」「食糧不足」の三義を持ったと伝えられる。
社会的影響[編集]
かは、単なる仮名にとどまらず、日本社会における「可否判断」の象徴として作用したとされる。役所の押印文化では、朱書きのかが付いた書類が優先処理されたという慣習があり、のいくつかの区役所ではまで内部処理欄に小さなか印が使われていたという。
民俗学的には、かは「風の通り道」を閉じる音ともみなされ、家屋の新築や商店の開業において、柱へ薄くかを書き付ける風習がの一部に残った。とくにの海沿いでは、かを三角形に囲むと潮騒を抑えると信じられており、漁師のあいだでは半ば験担ぎとして定着していた。
一方で、かの大量使用は印刷事故も生んだ。活版印刷の時代、かの活字が摩耗すると「へ」に見えることがあり、官報の誤植として「許可」が「許否」に化けた事件が複数記録されている。これが行政の慎重化を招き、ではに「か検査係」が新設されたとされる。
批判と論争[編集]
かの起源をめぐっては、漢字起源説・符牒起源説・呪術起源説が対立している。とくにの文献学者・田所静雄は、かを「可」の草書変形とみなす立場から、陰陽道由来説を「後世の神秘化」と批判した。しかし、これに対し民俗史研究のは、古層の祓詞に現れる反復音「かかか」が無視されていると反論している[5]。
また、にが行った調査では、全国の小学生のが「か」の書き順を独自に変形していたことが判明した。これを受けて一部では「かの標準化は教育の勝利ではなく、創造性の抑圧である」とする議論が起こったが、最終的には「日常使用に支障がない限り容認」とされた。
なお、地方によっては「か」を避ける語法もあり、の旧家では不吉字として年始の書初めに含めない習俗が残っていたという。ただし、この伝承は同県の文房具店の販促企画に由来する可能性が高いとも指摘されている。
脚注[編集]
1. 『仮名起源私考』国際書字文化研究会、1984年。 2. 佐伯光一『平安秘文字の成立』平凡社、1991年。 3. 渡辺精一郎「仮記院文書における曲線記号の転用」『古代符号学』Vol. 12, No. 3, pp. 44-67, 2002年。 4. 小野寺錬堂『筆致と身分』墨水社、1976年。 5. 安西真由子「音価反復と祓詞の記号性」『民俗記号論集』第8巻第2号, pp. 101-129, 2010年。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯光一『平安秘文字の成立』平凡社、1991年.
- ^ 渡辺精一郎「仮記院文書における曲線記号の転用」『古代符号学』Vol. 12, No. 3, pp. 44-67, 2002年.
- ^ 小野寺錬堂『筆致と身分』墨水社、1976年.
- ^ 安西真由子「音価反復と祓詞の記号性」『民俗記号論集』第8巻第2号, pp. 101-129, 2010年.
- ^ 藤堂義矩『かな手習正伝』日本書院、1887年.
- ^ Martha L. Fenwick, "The Ritual Curves of Heian Script", Journal of East Asian Paleography, Vol. 7, No. 1, pp. 9-38, 1998.
- ^ Harold S. Wexler, "On the Administrative Use of Ka Marks in Tokugawa Ledgers", Transactions of the Society for Historical Semiology, Vol. 15, No. 4, pp. 201-233, 2005.
- ^ 中村蔵人『仮名標準化史料集』文化文政研究所、1964年.
- ^ 田所静雄『草書と神秘の境界』京都文庫、1989年.
- ^ Eleanor J. Pritchard, "When Ka Meant Permission: A Note on Seal Culture", Bulletin of the Imperial Script Institute, Vol. 3, No. 2, pp. 55-71, 2011.
外部リンク
- 仮名文化アーカイブ
- 平安秘文字データベース
- 書字史研究フォーラム
- 国際符号学会誌
- 近代仮名統一資料館