かなかな
| 名称 | かなかな |
|---|---|
| 分野 | 民俗音声学、都市擬音学 |
| 初出 | 1908年頃(とされる) |
| 提唱者 | 渡辺精一郎、マルグリット・A・ソーン |
| 発祥地 | 東京都文京区、本郷一帯 |
| 主な用途 | 蝉声の分類、夏季儀礼の合図、感情符号 |
| 流行期 | 1920年代 - 1950年代 |
| 関連組織 | 帝都音声文化協会 |
| 現在の扱い | 学術用語としては廃れたが一部方言圏で残存 |
かなかなとは、日本の近代都市圏で発達した擬音由来の呼称であり、もとはの鳴き声を記録するためのとして用いられた用語である。のちにの民俗音声学研究から独立し、夏季の感情表現や地方祭礼の合図を指す語として広く流通したとされる[1]。
概要[編集]
かなかなは、における夏季の聴覚文化を象徴する語として扱われる概念である。一般にはの鳴き声を模した擬態語として知られるが、都市民俗学の文脈では、むしろ「聞こえ方そのものを規格化する試み」として理解されてきた。
この語は末期、本郷の下宿街で流行していた観測記録帳に由来するとされ、当時の学生たちが蝉の鳴き始めと日没の感覚を一致させるために用いた略記法が発端である。なお、後年の研究では、実際には3種類の音節体系が混線していたとの指摘もある[2]。
起源[編集]
本郷標本帳[編集]
1908年、理科大学の準講師であった渡辺精一郎は、構内の樹木に集まる蝉の鳴き分けを記録するため、『夏季音声標本帳』を作成したとされる。ここで彼は、鳴き声を「かな」「かなかな」「かんなかな」の三相に分類し、最も短い反復形を便宜上「かなかな」と呼んだ。
この命名は、当初は仮符号にすぎなかったが、同じ下宿にいた新聞記者や速記練習生のあいだで「短く、書きやすく、しかも少し切ない」として定着した。帝都の若者文化において、音を文字に置き換える流行と結びついたことが大きかったとされる。
ソーンの渡日と再定義[編集]
1912年には、ロンドンから来日した言語学者マルグリット・A・ソーンがの講演会でこの語に注目した。ソーンは、かなかなを単なる擬音ではなく「夏季における共同注視のための合図語」と再定義し、蝉の鳴き声を通じて人々が同じ夕暮れを共有する現象を論文化した。
この再定義によって、かなかなは生物音声学の周辺語から、都市の時間感覚を測る尺度へと変化した。ソーンの論文はの紀要に掲載されたが、本文中に掲載された標本図の一部が、実際にはの松の枝を逆さに描いたものだったため、後に美術史家からも引用されることになった[3]。
発展[編集]
1920年代になると、かなかなはを中心に一般向けへ普及した。同協会は、蝉の声を三つの速度で聴き分ける「かなかな式聴覚訓練」を小学校教員向けに配布し、内の23校で試験導入を行ったという。
さらにでは、寺院の夕刻鐘と蝉声の同期を測る「かなかな時刻表」が作られ、観光案内所で無料配布された。これは当時の旅行者に好評で、後に鉄道時刻表の余白欄にも影響を与えたとされる。
一方で、農村部ではこの語が「泣き止まぬ子どもを落ち着かせる子守唄の前置き」として独自進化した。特にの一部では、祭礼で太鼓を打つ前に「かなかな、かなかな」と二度唱える習慣があったと記録されているが、統計的裏付けは乏しい[4]。
社会的影響[編集]
教育現場への浸透[編集]
1934年、は一部の国語副読本にかなかなを掲載した。内容は、蝉の鳴き声を聞いて季節の移ろいを記述させるというもので、採点基準には「余韻のある反復」「都市性の有無」など、今日から見るとやや曖昧な項目が含まれていた。
当時の教員の回想では、児童の作文に「かなかなは祖父の背中の音でもある」といった比喩が頻出し、地域差が顕著だったという。教育学の分野では、この現象は「擬音の社会化」と呼ばれ、後年の音読指導法にも影響を与えた。
放送と広告[編集]
の前身にあたる試験放送局では、夏季の時報前にかなかなを模した電子音を挿入する案が検討された。実験用の音源は当初、蝉の腹部に小型マイクを接続して収録する方式だったが、昆虫の個体差が大きすぎたため断念された。
その後、の清涼飲料メーカーが「かなかな味」という季節限定商品を発売し、緑茶とレモンを混ぜたような味として話題を集めた。売上は初年度だけで推定17万4,000箱に達したとされるが、伝票の大半が焼失しており、正確な数字は不明である。
批判と論争[編集]
かなかなは便利な概念として歓迎される一方、音声の恣意的な分類を助長したとして批判も受けた。とりわけ1930年代後半には、民俗学者の青木留次が「かなかなは蝉を説明しているのではなく、都市人の寂しさを蝉に仮託しているにすぎない」と述べ、学会で一時的な論争を引き起こした。
また、の一部では、かなかなを祭礼の正式名称として登録しようとする動きがあったが、記入欄に「音韻区分」の項目がなく、申請が差し戻された。これに対し住民側は「行政が夏を理解していない」と反発し、町内会便りに2か月連続で投書が掲載されたという。
なお、戦後の再評価期には、かなかなの起源をの宮中歌謡まで遡らせる説も出たが、いずれも決定的な証拠は示されていない。研究者の間では、むしろ複数地域の口承が初期に一つの語へ収束したとみる説が有力である[5]。
派生語と用例[編集]
かなかなからは多数の派生語が生じた。たとえば「かなかな返し」は、夕立の直前に交わされる短い挨拶を指し、「逆かなかな」は朝の通学路で聞こえる蝉声の残響を意味した。また、演劇界では開演前に観客のざわめきが止まる瞬間を「客席のかなかな」と呼ぶことがあった。
文学作品では、20年代の随筆家・三浦霧子が『かなかな日記』を著し、蝉の声をもとに疎開先の生活を描いたことで知られる。霧子は「この音は、遠くの汽車と、近くの憂鬱のあいだにある」と記しているが、この一節は現在でも引用されることが多い。
一方で、近年の若年層では、かなかなは「返事を保留する際の間投詞」として再流通している。SNS上では「かなかなで」といった省略表現も見られるが、語義の拡散が早すぎるため、国語辞典の改訂が追いついていない。
評価[編集]
かなかなは、単なる擬音語としてよりも、夏季の記憶を共同化する装置として評価されてきた。とくに音韻学、民俗学、都市文化史の交差点に位置する概念として、20世紀前半の日本語研究において独特の位置を占める。
ただし、実証研究の不足や、一次資料の相当数が戦災・水害・蔵の整理によって失われていることから、研究史は断片的である。そのため、今日の研究者の間では「かなかなは存在したが、説明しようとするほど逃げていく語」であるという、半ば諦念を含む評価も見られる[6]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『夏季音声標本帳とその周辺』帝都音声文化協会出版部, 1911年.
- ^ Margaret A. Thorne, “On the Repetition Formula Kana-Kana in Urban Summer Speech,” Journal of Japanese Folk Acoustics, Vol. 3, No. 2, 1914, pp. 41-67.
- ^ 青木留次『都市蝉声論』文藝閣, 1936年.
- ^ 帝国学士院編『紀要・民俗音声篇 第7巻第4号』帝国学士院, 1913年, pp. 112-139.
- ^ 三浦霧子『かなかな日記』北斗書房, 1951年.
- ^ K. H. Wetherby, “Seasonal Interjections and the Soundscape of Eastern Cities,” Proceedings of the Oriental Sound Studies Society, Vol. 12, No. 1, 1928, pp. 5-29.
- ^ 佐伯藤次郎『子どもたちの聴覚訓練と夏の語彙』教育評論社, 1940年.
- ^ マルグリット・A・ソーン『かなかなの社会化――合図語としての蝉声』帝国書院, 1915年.
- ^ 鈴木伽奈子『かなかな時刻表の研究』交通文化新報社, 1962年.
- ^ J. M. Caldwell, “A Mistaken Study of Cicada Signals Called Kana-Kana,” Memoirs of the Pacific Linguistic Union, Vol. 8, No. 3, 1931, pp. 201-218.
外部リンク
- 帝都音声文化協会デジタルアーカイブ
- 本郷近代擬音研究所
- かなかな年表館
- 夏季音声資料室
- 日本都市民俗学会速報