かななげ通失踪事件の容疑者の日記帳隠蔽事件
| 正式名称 | かななげ通失踪事件の容疑者の日記帳隠蔽事件 |
|---|---|
| 発生時期 | 1987年頃 |
| 発生場所 | 東京都北西部・かななげ通周辺 |
| 関係者 | 捜査一課、民間記録保全会、地方紙記者ほか |
| 原因 | 証拠資料の私的保管と改竄 |
| 被害 | 日記帳3冊と付箋束1組の所在不明 |
| 影響 | 記録保全手続の見直し、世論の騒動 |
| 通称 | 日記帳消し込み事件 |
| 分類 | 社会事件・文書隠蔽 |
かななげ通失踪事件の容疑者の日記帳隠蔽事件は、末期ので発生したとされる、失踪事件の容疑者が残したをめぐる証拠隠滅型の隠蔽事件である。後のおよびの成立に影響したとされる[1]。
概要[編集]
かななげ通失踪事件の容疑者の日記帳隠蔽事件は、内の旧住宅地に残された失踪事件の捜査資料の一部が、関係者の手により意図的に秘匿されたとされる事件である。とくに、容疑者の自筆とみられるが「捜査協力文書」として扱われたのち、所在記録ごと失われた点に特色がある。
この事件は、単なる証拠紛失ではなく、事件の説明責任をめぐる内部の運用と、地元紙『かななげ時報』のスクープ競争が複雑に絡み合っていたことから、後年はの典型例として引用されることが多い。なお、当時の聞き取り調書には「日記帳はあったが、最初から無かったことになっていた」とする証言があり、事件理解をいっそう難しくしている[2]。
背景[編集]
発端とされるは、末から春にかけて、との境界に近い商店街で相次いだ失踪騒ぎである。事件当初は単独事案とみられていたが、のちに複数の私的メモ、レシート、会合記録が関連資料として集められ、そこへ容疑者の日記帳が加わったとされる。
日記帳は、昭和当時に流通していたB6判の薄型ノート3冊で、表紙の色は青、橙、墨色の3種であったと報告されている。記録にはの喫茶店名、の古書店、の深夜営業の文具店などが断片的に記されていたとされ、当時の捜査本部はこれを「生活圏の動線記録」とみなした。ただし、後年の再調査では同一頁に書かれた曜日と天候が4回食い違っており、真偽については早くから疑義が出ていた。
隠蔽の経緯[編集]
第一段階:仮保管[編集]
隠蔽の第一段階は、捜査資料をいったん内の臨時保管庫へ移した際に起きたとされる。担当事務官のは、当初「閲覧制限のため封印しただけ」と説明したが、封蝋の番号が翌日には別番号へ差し替えられていたことが判明し、内部記録ではこの時点で日記帳の存在が半ば曖昧化していた。
このとき使用された封緘票には、通常よりも1枚多い控えが付いていたが、その控えだけがなぜかの文書廃棄箱から見つかったとされる。のちの市民調査団は、この「控えの回収」が事実上の消去作業であった可能性を示した。
第二段階:写しのすり替え[編集]
第二段階では、実物の代わりに写しの束が保管棚へ戻されたとされる。写しは近くのコピーセンターで作成されたという説が有力であり、紙質が本来の公文書用紙よりやや白く、しかも右下にコーヒーの輪染みが残っていたことが確認されている。
この写しには、原本にあったはずの余白の書き込みが消えていたが、逆に別の頁に「金曜は雨ではなく霧」とだけ追記されていたため、後の研究者からは「補正というより改作である」と評された。編集過程の雑さが逆に目立ち、関係者の一部はこの写しを見て「これでは隠したとは言えない」と発言したという。
第三段階:所在不明化[編集]
最終段階では、日記帳そのものが「返却済み」扱いにされたうえ、台帳の備考欄に手書きで『閲覧後焼却確認』と記されていたとされる。しかし、焼却記録の温度ログはの平均炉内温度と一致せず、しかも該当日の焼却炉は点検中であったことが後に判明した。
この矛盾から、日記帳は焼却されたのではなく、何者かの私的コレクションに移された可能性が浮上した。なお、の古書市で似た装丁のノートが3年後に売られていたとの証言もあるが、裏表紙に貼られていた値札が事件当時のものかどうかは確認されていない[3]。
社会的反応[編集]
事件が報じられると、系の記者と地方紙『かななげ時報』の間で、日記帳の実在をめぐる報道合戦が発生した。特に『かななげ時報』夕刊は、日記帳の一節として「三月二日、封筒を忘れる」と引用したが、翌日の朝刊では「三月二日ではなく四月二日だった可能性」と訂正し、読者の混乱を招いた。
一方で、市民団体は、捜査資料の私的処理が常態化しているとして抗議集会を開き、西口での街頭配布では2時間半で1,480枚のビラが配られたと記録されている。参加者の一人は「日記帳ひとつでここまで話が膨らむのはおかしいが、膨らんだからこそ必要だ」と述べたとされ、この発言は後に事件を象徴する言葉として引用された。
捜査と再検証[編集]
再検証はに系の研究会が中心となって始まり、保存庫の温湿度記録、台帳、複写紙の繊維まで調べられた。結果として、当該日記帳に使われたとされるインクは市販の青黒インクではなく、当時一部の製図用ペンに採用されていた灰青系顔料である可能性が指摘された。
また、見開き右下の折り目がすべて同じ角度で揃っていたため、実際の使用痕ではなく後から意図的に癖付けされたのではないかとの説も出た。ただし、同研究会の報告書は結論部分で「原本の特定にはなお2〜3冊分の空白が残る」と締めくくられており、むしろ謎を増やしたとも言われる。
批判と論争[編集]
この事件をめぐっては、そもそも「容疑者の日記帳」が本当に存在したのか、また隠蔽は誰に利益をもたらしたのかという点で意見が割れている。保守的な立場の研究者は、単なる事務ミスの連鎖と見る一方、資料保全派は、事件に関わった複数機関のあいだで「不都合な記述」を避ける共同意識があったとみている。
さらに、文書管理課の内規において、事件後に「現場ノート」「個人メモ」「私製日誌」の3種を別欄で扱うようになったことから、本件が制度改正に影響したとする説がある。ただし、内規改正案の起案者名が翌年の改版で消えているため、責任の所在は最後まで曖昧であった。
影響[編集]
本件の後、の一部自治体では、押収物に対する「複写・封印・立会い」の三重確認が導入された。とくに、個人記録が事件解明の補助線になることが広く認識され、古書店や文具店の在庫帳にまで閲覧請求が及ぶという珍事が増えた。
また、の講義では、日記帳の欄外に書かれた走り書きが「証言より雄弁な場合がある」として教材化された。もっとも、教材の最後に付された註には「この事件では、雄弁すぎる記録ほど信用してはならない」と書かれており、学界では半ば諷刺として受け取られている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 石黒徳三『失踪資料と保管倫理』東都法規出版, 1996, pp. 41-68.
- ^ Margaret A. Thornton, "Diary Artifacts in Urban Missing-Person Cases," Journal of Civic Archives, Vol. 12, No. 3, 1998, pp. 201-229.
- ^ 佐伯みどり『証拠と日常記録のあいだ』青桐書院, 2001, pp. 77-103.
- ^ Hiroshi Kanda, "The Kananage Street File and the Problem of Quiet Removal," Records & Society Review, Vol. 8, No. 1, 1995, pp. 15-44.
- ^ 文書を守る会編『市民が見た保管庫の30日』かななげ出版局, 1989, pp. 4-19.
- ^ 高瀬一也『東京圏における私的ノートの法的地位』第一資料社, 2004, pp. 112-139.
- ^ Eleanor M. Price, "When a Notebook Becomes Evidence," The Metropolitan Forensic Quarterly, Vol. 21, No. 4, 2002, pp. 88-117.
- ^ 中村遼平『封印票の文化史』みやこ学術叢書, 2010, pp. 9-56.
- ^ 山根朱里『日記帳の焼却確認について』関東刑事文化研究, 第14巻第2号, 2011, pp. 33-51.
- ^ Arthur P. Bell, "The Missing Pages of Kananage: A Study in Administrative Vanishing," Civic Procedure and Memory, Vol. 3, No. 2, 1997, pp. 1-26.
外部リンク
- かななげ資料保存協会
- 都市記録アーカイブ研究所
- 関東刑事文書学会
- 日記帳封印史データベース
- 市民証拠閲覧ネット