きゅうりを集める河童と魚を集める猫と虚を集めるヨグ=ソトース
| タイトル | 『きゅうりを集める河童と魚を集める猫と虚を集めるヨグ=ソトース』 |
|---|---|
| ジャンル | ほのぼのスローライフ(ただし認知耐性を要する) |
| 作者 | 作者不詳(共同筆名) |
| 出版社 | 干瓢舎書房 |
| 掲載誌 | 月刊ほのほの干瓢 |
| レーベル | かっぱと猫の文庫レーベル |
| 連載期間 | 1999年〜(第6174巻時点で継続とされる) |
| 巻数 | 第6174巻(刊行累計) |
| 話数 | 第∞話(完読者が存在しないため上限が確定していない) |
『きゅうりを集める河童と魚を集める猫と虚を集めるヨグ=ソトース』(きゅうりをあつめるかっぱとさかなをあつめるねこときょをあつめるよぐ=そとーす)は、によるの。『』()において連載された[1]。
概要[編集]
『きゅうりを集める河童と魚を集める猫と虚を集めるヨグ=ソトース』は、河童、猫、そして“虚”を集める存在が、日々の小さな作業を淡々と積み重ねる形式の漫画として知られている[1]。
表面上は買い物、掃除、収穫、雑談といったほのぼのスローライフが中心である一方、読者が“ヨグ=ソトース”の呼称を認知すると、しばしば論理の継ぎ目がほどけ、ページを閉じられなくなるとされる[2]。
そのため、作品は「理解するための作品」ではなく、「理解してしまうと生活動線が変形する作品」として、都市伝説的な扱いを受けながらもロングセラーを続けたとされる[3]。
制作背景[編集]
本作の創作起点は、干瓢舎書房の編集部が1990年代末に実施した「生活の比率を最適化する家庭科企画」にあるとする説がある[4]。企画書では、朝の家事を「1.3分×3回」、散歩を「7歩×4分」など、妙に具体的な時間割で再現することが目標とされた。
しかし、その企画の最終日に、当時の編集長が、倉庫の棚卸し中に誤って混入した古い写本の余白へ、河童と猫の“収集行動”を描いた習作を残したといわれる[5]。その習作がのちに、きゅうり(保存食)と魚(たんぱく源)という生活素材の象徴として拡大し、さらに“虚”が「食卓にないはずの余白」として物語へ組み込まれていったと推定されている。
なお、作者不詳の共同筆名で連載が続いた経緯については、干瓢舎書房の制作現場で「第n稿の筆跡が、別日に存在しない」現象が確認されたため、編集部がペンネームを“共同で保管する”方式へ切り替えたという内部記録があるとされる[6]。要出典として扱われることも多いが、関係者の間では半ば公然の話となっている。
あらすじ[編集]
本作は単一の大事件ではなく、収集対象の違いによって複数の編(編名は固定されず、巻ごとに微調整される)に分割されて展開される。以下は一般的な区分として流通している“便宜上の編”である。
各編は基本的にほのぼの調で進むが、特定のコマで“ヨグ=ソトース”の字面が視線に引っかかると、読む速度が乱れ、理解が「後から追い付いてくる」逆再生型の体験が報告されている[2]。
きゅうり編[編集]
河童が沿いの湿地で、きゅうりを“皮のつや”だけで選り分ける回が中心となる[7]。作中では収集量が毎回「昼の部は17本、夕の部は23本」といった形で提示され、なぜか両方とも奇数であることが強調される。
とくに第百二十余巻で描かれた“うっかり味噌桶へ落とす河童”のエピソードは、失敗が笑いに還元される典型例として語り継がれている[8]。ただし次巻で、落としたはずの桶が“ページの継ぎ目から増える”という描写があり、初見では気づかないほど淡々と進行するのが特徴である。
魚編[編集]
魚編では、猫が港町の防波堤で、魚を“目の表情”で判別するという手順が繰り返される[9]。猫は釣り針ではなく、濡れた紙片にだけ反応する習性として描写され、読者が“魚より猫のルールを先に学ぶ”構造になっている。
第七十二巻相当では、猫が釣果を3匹に減らしてから急に増やす禁断の手順が登場する。編集部はこの回を「読者の手札を1枚抜いてから返す」回として売り場のPOPに書き、結果として累計発行部数が当年中に約18万部増加したとされる[10]。
虚編(ヨグ=ソトース編)[編集]
虚編では、ヨグ=ソトースが“収集”を行っているようで、実際には“認知の穴”を集めて生活の歯車を滑らかにする試みとして描かれると説明されることが多い[2]。
第6174巻までに確認される共通モチーフとして、黒いページの縁に沿って「読者の想像が吸い上げられる」表現がある。登場するのは怪物というより、台所の引き出しを開けたときの“中身がない感じ”に近いとされる[11]。
また、虚編の終わりに置かれる短い四行詩は、読後に“同じ夢を別の順番で見る”現象が報告されているため、完全な解釈は禁忌扱いされることもある[12]。
登場人物[編集]
主要人物は実在の動物・妖怪を“家事の分担”として翻案した形で描かれている。
河童は「きゅうりの棚卸し担当」とされ、背中の皿に温度計ではなく“話題の鮮度”を乗せるという奇妙な習慣がある[7]。猫は「魚の納品担当」であり、魚箱の角を舐めることで明日の空気の湿度を読み取るとされる[9]。一方、ヨグ=ソトースは「虚の配送担当」ではなく、“虚を受け取る側”として提示されることが多い[2]。
脇役として、干瓢舎書房の編集者(作中では“ホワイトペーパーの番人”)が登場し、読者が理解しそうになるたびに原稿用紙へ“余白の注意書き”を挟むような描写がある[6]。
用語・世界観[編集]
本作の世界観は、収集対象ごとに“生活の単位”が定義されることで成立しているとされる。きゅうりは「保存のリズム」であり、魚は「腹の言語」、虚は「考えの余白」と説明されることが多い[8]。
虚に関しては、“ヨグ=ソトースを見つける”のではなく、“ヨグ=ソトースに見つけられる”という受動形で語られる傾向がある。これにより、読者の側が主語から外れ、ページの意味が遅れて追跡してくるように構成されていると指摘されている[2]。
また、物語内の地名は実在の地理と整合する範囲で配置されることが多く、たとえば、などの具体的なロケーションが、回想や寄り道の形で登場する[7][9]。この手法は“現実の手触り”を先に与え、その後に虚の“空白”へ落とし込むための仕掛けであるとされる。
書誌情報[編集]
本作はより、レーベル「かっぱと猫の文庫レーベル」で刊行されている。連載開始は1999年とされ、連載形態は月刊であるが、巻数の増え方は編集部内でも「月の回数では割れない」とされている[1]。
第6174巻時点では、話数は∞話と表記される。これは、虚編における“完読”が成立しないとされるため、編集部が物理的なカウントを諦めた結果だという[13]。
巻末には“次巻のための家庭科メモ”が付録として挟まれることがあり、そこにのみ次に回収される素材(きゅうり/魚/余白)が告知される。内容は毎回、読者が家庭で試せる程度に具体的であるにもかかわらず、実行すると逆にページの続きが気になって生活が停止するという報告がある。
メディア展開[編集]
テレビアニメ化は2004年に告知され、制作は(当時は“東雲スタジオ第3作画工房”と呼ばれていた)とされる[14]。アニメは全12クールで、初期の8クールはきゅうり編中心、残り4クールで魚編と虚編が“同時期に放送される”という難解な編成だった。
視聴者の多くはほのぼの作風に安心したが、虚編の回では画面右上に小さく「この回は読めない」といった字幕が瞬間表示され、以後のネット掲示板で“見返すほど正気が削れる”といった書き込みが相次いだ[15]。
また、メディアミックスとして「きゅうりの収集カレンダー」「魚箱型コインケース」「余白ブックマーカー」など、認知耐性を“日用品で鍛える”方向性の商品が展開され、社会現象となったとされる[16]。累計発行部数がテレビ放送開始から2年で約410万部を突破したという推計もある[10]。ただし、この数字の算出根拠は明示されていない。
反響・評価[編集]
ほのぼのスローライフ作品としては高い評価を受け、登場人物の所作が生活動線に与える影響が研究対象となったこともある。たとえば、にある生活行動調査センター(仮)では、読者が皿洗いをする頻度が増えたとする簡易アンケートが掲載されたとされる[17]。
一方で、虚編の影響については批判と論争が存在した。編集部は「解釈の強要を避ける」ために、虚編の章だけを通常の活字と違う行間で組版したと説明したが、その後も「行間が呼吸に同期する」という苦情が寄せられた[12]。
また、作者不詳であることが謎を深め、ファンの間では“誰が描いたか”ではなく“誰が描けなかったか”を議論する文化が形成された[6]。結果として、完読者が希少であるにもかかわらず支持が持続し、シリーズは収集対象(きゅうり/魚/虚)ごとにファンコミュニティが分岐していったとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 干瓢舎書房編集部「『月刊ほのほの干瓢』から読み解く“収集”の倫理」『家事学タイムライン』第12巻第3号, 2001年, pp. 41-58.
- ^ 佐伯マリエ「余白の編集手順:行間調整と認知負荷の関係」『作画運用研究』Vol. 7, 2003年, pp. 12-27.
- ^ 渡辺精一郎「河童はなぜきゅうりを選ぶのか:生活素材の象徴論」『民俗記号学ジャーナル』第19巻第1号, 2002年, pp. 88-103.
- ^ Margaret A. Thornton「Void as Domestic Rhythm: A Semiotic Approach to ‘Yog-Sothoth’ Chapters」『International Review of Daily Nonsense』Vol. 41, No. 2, 2005年, pp. 201-219.
- ^ 東雲スタジオ「テレビアニメ『きゅうり〜』の編成戦略報告」『映像制作工学叢書』第3巻第4号, 2004年, pp. 5-19.
- ^ 銚子湾通信「猫はなぜ紙片に反応するのか:観察メモ(第七十二巻相当)」『地域メディア観測』第2巻第6号, 2006年, pp. 77-91.
- ^ 生活行動調査センター(仮)「読後の洗浄行動増加に関する簡易報告:港区サンプル」『生活行動メトリクス研究』Vol. 9, 2010年, pp. 1-12.
- ^ 干瓢舎書房「第6174巻以降の表記方針について」『編集方針資料集』第1巻第1号, 2018年, pp. 33-36.
- ^ Katherine B. Lin「Cucumber-Handling Narratives in Long-Running Manga」『Journal of Perpetual Silliness』Vol. 12, No. 1, 2016年, pp. 55-73.
- ^ 糸口ユイ「ヨグ=ソトースの“見つけられ方”と読者心理」『漫画読解の奇妙な余白』第8巻第2号, 2020年, pp. 140-166(題名が一部実在書名と誤読されている可能性がある)。
外部リンク
- 干瓢舎書房 収集ニュースルーム
- 東雲スタジオ 公開作画メモ(過去ログ)
- 月刊ほのほの干瓢 質問箱(虚編のみ受付停止)
- 港区読後行動データベース
- きゅうり倶楽部 公式掲示板(作者不詳アーカイブ)