けん玉の著作権
| 対象 | けん玉の形状、技法、掛け声、演目構成 |
|---|---|
| 成立 | 1898年ごろ |
| 管轄 | 旧内務省玩具取締局(後の民俗表現保全課) |
| 保護期間 | 公表後47年、ただし演目は23年 |
| 初の登録例 | 尾道式三段返し |
| 主な争点 | 皿の命名権、紐の結び方、掛け声の類似 |
| 関連団体 | 日本けん玉著作権協会 |
| 通称 | 玉権 |
| 旧称 | けん玉演目意匠保護 |
けん玉の著作権(けんだまのちょさくけん)は、の形状・動作・唱和・玉の軌跡に関する表現を保護するために成立したとされるの一種である。主にで発達したが、その起源は末期の玩具検査制度にあるとする説が有力である[1]。
概要[編集]
けん玉の著作権は、けん玉に用いられる技や演出が、単なる遊戯ではなく「再現可能な表現」であるとして保護された制度である。特にの玩具商組合と演芸関係者のあいだで、演目の盗用をめぐる紛争が相次いだことから、制度化が進んだとされる。
この制度では、剣先に玉を乗せる基本動作そのものよりも、技名、順序、口上、観客への見せ方が重視された。なお、同一の技でもとでは判定基準が異なり、これが後年の「地域別玉権」問題を生んだと指摘されている[2]。
歴史[編集]
前史[編集]
起源はのにあった露店芝居の一角に求められる。ここで玩具商のが、見物客の前で「三度返し」を披露した際、隣の店が同じ流れを即興で演じたことから、口頭伝承だけでは利益が守れないと認識されたという[3]。
当時の警保局はこれを単なる商業紛争として扱ったが、の民俗学者が「手の運動にも作者がいる」と論じ、に『遊戯著作権私論』を発表したことで議論が加速した。なお、この論文は当初、学会ではなく文具組合の回覧板に載ったものとされる。
制度化[編集]
、旧内務省は「玩具表現保全令」を公布し、けん玉の技を「短編・連作・巡回演目」の3種に分類した。特に連作技は、3秒以内に2回以上の玉の再帰があるものを対象とし、審査にはの青年部が加わった。
この時期、の製作所が「鳴る皿」を用いた新型けん玉を出願したが、音響効果が強すぎるとして不許可となった。審査官の覚え書きには「玉が落ちる前に観客が拍手してしまう」とあり、後年の研究者はこれを初期の“観客参加型権利”の萌芽と見なしている。
戦後の拡張[編集]
の法改正で、けん玉の著作権は物理的な玩具本体から切り離され、演目と口上の組み合わせへ移行した。これにより、同じ技でも「はい、では参ります」という前口上がある場合のみ登録対象となり、地方大会では司会者の発声権が争点になった。
の老舗玩具店「河原町堂」は、伝統技法を守るためにから毎月1回の「無断再演禁止日」を設けたが、逆にその日にだけ来店者が増えたため、制度の周知効果は高かったとされる。
権利の対象と範囲[編集]
けん玉の著作権の対象は、一般には技そのものではなく、その技をどの順序で、どの命名で、どの間合いで見せるかにあるとされる。たとえば「とめけん」は単独では保護されにくいが、「とめけん→空中一回転→観客への会釈→皿乗せ」という連鎖は、演目として登録されることがある。
また、玉の色や紐の長さについても、以降は「同一感性を再現するための補助要素」として一定の保護が認められた。もっとも、色指定が「夕焼け色」で提出された場合、審査官がどの夕焼けかを特定できず差し戻された例がある[4]。
さらに、地方ごとの唱和も重要である。では「せーのけん」、では「ほいけん」といった掛け声が技の帰属判断に用いられ、これを巡って1960年代には地方新聞紙上で3か月にわたる論争が起きた。
有名な事件[編集]
尾道式三段返し事件[編集]
にで発生した事件で、地元の児童会が「三段返し」を地域文化として無償公開したところ、隣県の興行師が「構成がほぼ同じである」として差止めを請求した。裁判所は、技そのものではなく「最初に玉を見せる角度が17度以内に収まるか」が争点であるとして、角度計による現場検証を命じた。
この検証の際、裁判官が誤って玉を皿に載せてしまい、法廷全体が拍手したため、判決文には「一連の行為が観客の参加を誘発する」と記録された。
国際展示会での混乱[編集]
、で開かれた玩具博覧会において、日本側が「国産の静的演目」を出展したところ、の出品者が同じ動作を“手のバレエ”として発表し、玉権の国際問題に発展した。これを受け、は、けん玉の著作権について「動作の再現性が高いほど保護範囲が曖昧になる」という逆説的な見解を採択した。
なお、この会議では、通訳が「玉が先か、権利が先か」を“egg or rights”と誤訳し、議事録の一部に卵の図が印刷された。
社会的影響[編集]
けん玉の著作権は、玩具業界だけでなく学校教育にも影響を与えた。昭和後期の小学校では、体育と図工の境界が曖昧になり、けん玉の授業では「演じる自由」と「模倣しない自由」を同時に学ばせる教育方針が採られた。
一方で、地域の伝承者からは「技を守るために逆に技が増殖した」との批判もあり、は年に1度の「登録抹消祭」を開催して調整を図った。登録を抹消した技が祭礼でしか演じられないため、結果として観客動員が増えたという。
以降は、ゲームセンターの景品や海外土産への応用が広がり、玉権の考え方は「形のある民俗表現」にも適用されるようになった。ただし、実際には誰もその境界を完全には理解しておらず、審査会では毎回、最初に「これは遊びか、作品か、運動か」を確認する儀式が行われた。
批判と論争[編集]
けん玉の著作権に対しては、古くから「遊具に権利を付けるのは過剰である」との批判がある。特にの連載では、ある教育評論家が「子どもが失敗した瞬間に著作権料が発生するのではないか」と述べ、制度の滑稽さが広く知られることとなった。
また、審査の中心が技法ではなく発声や間合いに移ったため、無言で上達する流派が不利になったとの指摘もある。これに対し協会側は「沈黙もまた一種の口上である」と反論したが、この答弁は法学部の試験問題として毎年出題され、半数以上の学生が空欄のまま提出したとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡会藤七『遊戯と権利のあいだ』浅草玩具出版部, 1901年.
- ^ 久米原一雄「手の運動における作者性」『民俗表現研究』第2巻第1号, pp. 11-29, 1899年.
- ^ 内務省玩具取締局『玩具表現保全令逐条解説』官報附録, 1907年.
- ^ 石黒里美「皿乗せ技の角度基準に関する一考察」『東京知財学会誌』Vol. 14, No. 3, pp. 88-104, 1959年.
- ^ 河原町堂編『無断再演禁止日誌』京都民芸叢書, 1953年.
- ^ 中村光春『尾道式三段返し事件資料集』尾道法文化研究所, 1964年.
- ^ Margaret A. Thornton, Copyright in Motion Toys, University of London Press, 1976.
- ^ Jean-Luc Ferrand, La ballettisation du kendama, Revue des Arts Mécaniques, Vol. 8, No. 2, pp. 201-219, 1975.
- ^ 佐伯芳郎「けん玉口上の法的保護について」『日本演目法学』第21巻第4号, pp. 43-67, 1989年.
- ^ Eleanor P. Huxley, The Rights of Falling Objects, Cambridge Toy Studies, Vol. 3, pp. 1-18, 1982.
外部リンク
- 日本けん玉著作権協会
- 玩具表現保全資料館
- 尾道玉権アーカイブ
- 国際玩具連盟議事録室
- 民俗演目法データベース