しかやん
| 名称 | しかやん |
|---|---|
| 発祥 | 奈良県春日山周辺 |
| 初出 | 1927年頃 |
| 分類 | 案内標識、民俗符号、観光誘導 |
| 運用機関 | 近畿案内標準化協議会 |
| 主な利用地域 | 奈良県、大阪府、京都府の一部 |
| 代表的意匠 | 小型の鹿角形ヘッドと斜め矢印 |
| 関連文書 | しかやん運用要綱 |
しかやんは、主にの山間部で用いられる、角のある小型の案内標識およびその運用思想を指す語である。もとはの周辺で生まれたとされ、のちにの都市計画や観光誘導にも取り入れられたとされる[1]。
概要[編集]
しかやんは、山道や参道、旧街道の分岐点に設置される小型の案内記号であり、角のような二本の突起を持つ独特の形状で知られている。一般にはを模した装飾標識として理解されがちであるが、実際には視認角度と風雪耐性を重視して設計された実用符号であるとされる[2]。
名称の由来については、設計主任であったが会議資料において「しかのように見える案内具」と発言したこと、あるいは現場作業員のが「しかやん」と略記したことに由来するという二説がある。いずれにせよ、昭和初期の周辺では、すでに内部文書でこの呼称が半ば正式に用いられていたという記録が残る[3]。
しかやんの普及は、単なる道路標識の整備ではなく、観光客を神域から外さずに流すための「穏やかな誘導」を目的としていた点に特徴がある。この発想は、当時の交通行政と宗教施設の折衝を経て成立したもので、後年の系資料でも「前近代的だが過剰に親切な誘導技法」と評されている。
歴史[編集]
成立期[編集]
しかやんの原型は、にの保全作業の一環として試作された木製標識であるとされる。当初は角度のついた板に墨で矢印を記しただけであったが、霧の濃い朝に見失われやすかったため、の角を模した上部パーツが追加されたという[4]。
この改良を主導したのはの嘱託技師で、彼女は「遠目にも動物に見えるものは、人が勝手に気にして立ち止まる」と述べたとされる。なお、この発言は会議録の余白に書かれた走り書きにすぎず、当時の上司が本気にした結果、標準仕様に採用されたという逸話が残る。
普及と標準化[編集]
には、の観光路線整備と連動して、しかやんの金属製モデルが開発された。これにより、駅前から寺社までの導線が「見えるが、主張しすぎない」ものへと変化し、旅客の滞留時間が平均で短縮されたとする内部試算がある[5]。
一方で、金属製モデルは雨天時に角部へ水滴がたまりやすく、夜間になると「小さな鹿が泣いているように見える」と苦情が相次いだ。このため以降は、角度をだけ内向きに倒す「控えめ仕様」が採用され、これが後のしかやん正規規格の基礎になったとされる。
戦後の再編[編集]
戦後、しかやんは一時的に不要不急の装置として撤去対象となったが、ので再評価された。特に、外国人観光客向けの案内体系として、文字より形状で意味を伝える点が注目され、の民政局担当者が「極めて平和的な半記号」と記した覚書が存在するという[要出典]。
には、しかやんは電照式・反射式・風鈴式の三系統に分岐し、寺社の参道だけでなく、の路地案内にも導入された。ただし、風鈴式は鳴りすぎるため「指示がやかましい」との批判があり、最終的には2,800基のうち1,146基が通常型に交換された。
構造と種類[編集]
しかやんは、標準的には下部支柱、中央板面、上部の角状パーツから構成される。板面には地名、距離、注意書きが最大で3行まで記載され、文字数が多すぎる場合は「右へ 0.8km」のように小数第一位まで表記されることが多い。この小数表記は、当時の測量班が誤差を正直に書きすぎた結果、逆に信頼感が高まったことに由来するとされる。
分類としては、参道型、街道型、復興型、祭礼臨時型の4種が広く知られている。参道型はの神社周辺に多く、街道型は北部の丘陵地で使われる。復興型は戦災地の案内に転用されたもので、祭礼臨時型は年にしか立たないが、設置費が恒常型のに達するため、地元の氏子会計を悩ませてきた。
社会的影響[編集]
しかやんは、単なる案内表示にとどまらず、地域のふるまいを整える装置として機能した。しかやんが立っている場所では、人々が自然と小声になる、子どもが走る速度を落とす、外国人が写真を撮る前に一度立ち止まる、といった現象が報告されている。これらは心理学者の調査でも確認されたとされるが、調査票の回収率がしかなかったため、学界ではやや慎重に扱われている[6]。
また、1970年代後半には「しかやんを見て育つと方向感覚がやや丁寧になる」という俗説が流行し、の公開講座で半ば真面目に取り上げられた。講師の一人は、しかやんの普及地域では「迷ったことを恥じるより、まず角を見る文化がある」と述べ、受講者の間で妙な納得を呼んだという。
批判と論争[編集]
しかやんには、景観をやわらかくしすぎて「本来の山道の荒々しさを失わせる」とする批判がある。とりわけのでは、しかやんの設置が多すぎる区域について「文化財と広告の境界が曖昧である」と指摘され、撤去を求める意見書が提出された。
また、角状パーツが鹿の角を想起させることから、動物愛護団体の一部が「誘導標識の擬態化」と呼んで抗議した例もある。ただし、しかやん側の運用委員会は「鹿を騙しているのではなく、人間に安心感を与えているだけである」と反論し、議論は平行線をたどった。なお、に制定された改訂規格では、角の先端を必ず丸めることが義務化されている。
規格と保存運動[編集]
しかやんの保存は、との共同事業として進められている。とくに、初期型の木製しかやんは腐食が進みやすく、現存数はにまで減少したとされるため、複製制作とデジタルアーカイブ化が急がれてきた。
保存運動の中心となったのは、地元の主婦らが結成したで、会員数は一時に達した。彼女らは毎月第2日曜に清掃と位置修正を行い、ずれた角度をで戻す活動を続けた。この精密さは行政側にも好印象を与え、現在では年1回の公式点検が制度化されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『しかやん設計史序説』近畿案内研究会, 1979年.
- ^ 長谷川房子「春日山参道における視認標識の最適角」『地方工学雑誌』Vol.12, No.4, pp. 44-61, 1935年.
- ^ 斎藤カツ「しかやんの略称形成に関する覚書」『奈良県庁内部報』第8巻第2号, pp. 3-9, 1928年.
- ^ M. A. Thornton, 'Soft Guidance and Animal-Like Signage in Postwar Japan,' Journal of Urban Folklore, Vol. 19, No. 2, pp. 112-130, 1964.
- ^ 近畿案内標準化協議会編『しかやん運用要綱 第3版』大阪観光資料社, 1981年.
- ^ 山口修一『参道の心理地理学』春水書房, 1992年.
- ^ 小川しげる「電照式しかやんの苦情件数と夜間視認性」『交通美学研究』第5巻第1号, pp. 77-88, 1971年.
- ^ 国際文化導線学会編『案内具と地域感情』北嶺出版, 2004年.
- ^ 田所まどか「風鈴式標識の音響的過剰性について」『近畿民俗工学年報』Vol. 7, pp. 201-219, 1979年.
- ^ Robert E. Hargrove, 'On the Use of Deer Motifs in Municipal Wayfinding Systems,' Proceedings of the Osaka Symposium on Civic Design, pp. 9-26, 1988.
外部リンク
- しかやん資料アーカイブ
- 近畿案内標準化協議会
- 奈良観光民俗研究所
- 春日山文化景観保存ネット
- しかやん普及促進委員会