しろくなな事件
| 名称/正式名称 | しろくなな事件/警察庁による正式名称は「白灰七番札幌連続事案」 |
|---|---|
| 日付(発生日時) | 1976年7月7日 21:17(推定) |
| 時間/時間帯 | 夜間(21時台) |
| 場所(発生場所) | 北海道札幌市北区篠路町上篠路(推定現場群) |
| 緯度度/経度度 | 43.1372, 141.4589 |
| 概要 | 被害者の身辺から“白”と“灰”に分類される微粉末が検出され、7と6を象徴する痕跡が残されたとされた事件である。 |
| 標的(被害対象) | 地域の印刷所に出入りする町内会関係者(計7名とされた) |
| 手段/武器(犯行手段) | 毒性は否定的だが吸引すると強い灼熱感を生じる微粉末と刃物状器具の併用とされる |
| 犯人 | 未特定。のちに“色目師(いろめし)”と呼ばれた人物像が報道された |
| 容疑(罪名) | 殺人および器物損壊(色素粉末の散布を含む) |
| 動機 | 7周年記念の“白灰七番”演出に絡む利権争いとする説、または完全に暗号志向とする説があった |
| 死亡/損害(被害状況) | 死亡7名、重傷3名。周辺の店舗シャッターに灰色の付着被害が約41件報告された |
しろくなな事件(しろくななじけん)は、(51年)7月7日にので発生した連続「色」窃取を伴う殺人事件である[1]。警察庁による正式名称はとされ、通称では「しろくなな」と呼ばれる[2]。
概要/事件概要[編集]
しろくなな事件は、(51年)7月7日夜、で起きた連続殺人事件として知られている[1]。警察は当初、単なる刃物事件として捜査したが、現場から採取された“白灰”系の微粉末が同一ロットらしいことが判明し、犯行の様式が「色」を巡るものとして組み立てられていった。[2]
報道では、犯人が「6」と「7」を象徴する行為を残した点が強調された。被害者の手のひらにだけ細かな灰粒が残り、名札の裏には印刷用の検量紙(白)と、清掃用の灰布(灰)が“ちょうど7×6”の格子で折られていたとされる[3]。この“数の見せ方”が、事件名の通称「しろくなな」の由来であると説明された。
背景/経緯[編集]
“色”を数える技術が町に残っていた[編集]
1970年代の札幌市北部では、印刷所と町内会の連携が強かったとされる。とりわけ、会報の発行に用いられる検量紙(白)と、機械清掃に使う灰布(灰)が、保管棚ごとに“ロット番号”で管理されていたことが、事件の進行を説明する鍵になったとされた[4]。そのロット番号が、なぜか“6-7”の連番で記されていたという証言も残っている。[5]
なお、札幌市の当時の生活衛生行政では、室内粉塵の管理基準が段階的に引き上げられていた。事件の前年、保健所が「微粒子の再付着を防ぐ清掃法」を通達し、その教材として“白灰の区分”を使った紙芝居が配布されたともいう[6]。この通達が犯人の発想を補強したのではないか、という推測が一部で語られた。
七夕の夜に起きた「区分の儀式」[編集]
捜査ののち、初回とされる発生時刻は「21時17分」と計測された。市内の商店街アーケードに設置された旧式の監視時計が、当時の調整ズレを補正できることから、時刻が推定されたとされる[7]。ただしこの推定には異論もあり、「実際は21時10分前後だった」とする目撃談も残った。
事件当夜、篠路町上篠路の会館では、翌日に予定されていた“白灰七番”の前夜イベントが中止になったばかりだった。主催者は、会報の印刷機にトラブルが出たため「白灰を混ぜるな」と言っていたとされる[8]。ところが現場では、逆に“白”と“灰”が混ざるような付着の仕方が見つかったため、犯人が「混ぜる/混ぜない」を利用していたのではないかと推測された。
捜査(捜査開始/遺留品)[編集]
捜査は7月8日未明、からの通報を起点として開始された。通報者は「靴先に白い粉がまとわりついて、玄関に灰色の筋がある」と述べたとされる[9]。警察は現場周辺の検量紙倉庫、清掃用品の保管庫を中心に聞き込みを進めた。
遺留品として重視されたのは、紙片の束と布片のセットであった。紙片は白色で、裏面に鉛筆で「6」と「7」を交互に記した痕があり、布片は灰色で、繊維が“七本取り”の結び目で終端していたという。さらに、現場から発見された小型の封筒には「7×6=42、42は誰にも言うな」と書かれていたと報じられた[10]。この“42”が、事件の暗号解読ブームを呼び、翌週には市内の掲示板に類似の計算式が大量に投稿された。
ただし、証拠の扱いには揺れがあった。ある鑑識報告では「灰粒は清掃由来の可能性が高い」とされた一方で、別の報告では「特定の粉体配合が疑われる」とされており、同一性の評価が分かれた[11]。この差が、検挙の決め手を欠く背景になったと考えられている。
被害者[編集]
被害者は合計7名とされ、そのうち5名は印刷所への納品や資材受領の際に顔見知りだった人物である[12]。残る2名は会館の清掃当番として名簿に掲載されていたとされ、事件の時期に限って“灰布の扱い”が統一されていたことが後に注目された。
被害の様式は「目立つ外傷が少ない」のが特徴とされ、捜査員はまず毒殺を疑った。しかし剖検では即時致死の毒成分が明確に検出されず、代わりに微粉末の吸引による呼吸器への強い炎症が示唆されたと報告された[13]。この点が、犯行手段の理解を複雑にし、犯人が“殺す”よりも“区分を崩す”ことに目的があったのではないか、という解釈を生んだ。
なお、被害者の所持品から事件当日に使われたはずの腕時計が見つからない例があり、従来から「時計の遅れ」を利用した時間操作があったのではないかとする説が登場した[14]。この説は根強いが、決定的な裏取りはなされなかった。
刑事裁判(初公判/第一審/最終弁論)[編集]
本件は、犯人の特定に至らないまま、起訴に必要な供述の揺れが続いたとされる。初公判は、事件から3年後の(54年)に札幌地方裁判所で開かれたが、被告人として立ったのは「色素の仕入れに関与したとされる元印刷所職員」であった[15]。
第一審では、検察側は「犯人は“白灰七番”の演出資材を管理する立場を利用した」と主張し、遺留紙片の鉛筆痕が被告の筆圧と一致する可能性を述べた[16]。一方、弁護側は「鉛筆痕は倉庫の教材を模した可能性がある」と反論し、灰布の結び目が当時の清掃マニュアルの“七本取り”そのものだと指摘した[17]。
最終弁論では、検察は死刑を求刑したと伝えられているが、判決に至る前に被告の所在が一部矛盾するという供述の再聴取が入り、結論は「無罪に近い形での棄却」になったとされる[18]。ただし、この“死刑求刑”が事実かどうかについては、判決文の読み違いではないかという疑義も残った。真偽の確定には至らなかったと記録されている。
影響/事件後[編集]
事件後、札幌市では「粉体の管理と保管の可視化」が急速に進められた。とりわけ印刷所と町内会の備品倉庫に対し、灰布と検量紙を同一棚に置かないよう指導が強化されたとされる[19]。この結果、会報印刷の段取りが増え、当時の会計担当者は「年間で帳簿の手直しが約42回増えた」と話したと報じられた。
また、事件をきっかけに“色と数を絡めた防犯暗号”が流行した。市役所の広報では、危険をあおらない範囲で「合言葉は各家庭で6と7のような数字にしないでください」と注意が出たとされる[20]。さらに、掲示板では「7×6=42」を合言葉にした“安全サイン”が提案され、結果として誤認通報が増えたという。捜査当局は「通報は大切だが、数字遊びを続けると現場が疲弊する」と釘を刺したとされる。
評価[編集]
しろくなな事件は、犯罪学の文献では「様式が暗号的に見えるタイプの未解決事件」として分類されることがある[21]。ただし、暗号に見える要素が本当に犯人の意図だったのか、あるいは周辺の教材・清掃習慣が偶然重なっただけなのかは議論が続いている。
評価の分かれ目は、遺留品の再現可能性にある。ある研究者は、灰布の結び目が当時の清掃講習の再現と一致するため、犯人の独自性は低いと述べた[22]。一方で別の研究者は、6と7を交互に並べるのは“教材の手癖では作りにくい”と主張した[23]。このように、証拠の読み方が複数ある点が、事件の長い“未解決の雰囲気”を支えたとされている。
関連事件/類似事件[編集]
本件と類似する事案として、に報告された「灯彩(とうさい)十一番迷宮紛失事件」が挙げられる。そこでも遺留紙片に“11”が書かれ、保管品の色分けが問題になったとされるが、犯行手段は別であり、関連は未確認とされる[24]。
また、同じく未解決として扱われた「灰紋(かいもん)九号札幌通夜侵入事件」では、現場に“灰が円周状に残る”特徴があった。しろくなな事件との比較では、円周残留がないことから、同一犯の可能性は低いとされている[25]。
一方で、全国的には“数字を残す模倣”が増えたとも指摘され、事件後の誤認通報や捜査負担の増加が、別の事件の捜査を遅らせた可能性もあるとされた。
関連作品(書籍/映画/テレビ番組)[編集]
しろくなな事件は、フィクション作品の題材としても消費されてきた。早い段階では、事件を扱ったノンフィクション風書籍『白灰七番の夜—粉塵が語る42—』(河出書房新社、1983年)が刊行された[26]。著者は「鑑識ノートの復元」を掲げたが、文献の出典が一部曖昧であると批判されてもいる。
映画では『しろくなな(仮)』(東北シネマ企画、1999年)がある。作中では犯人は未特定のまま、“色の区分を崩す演出”に焦点が当てられ、観客に「本当の暗号は誰にも読めない」と感じさせる構成だったと評されている。
テレビ番組では『平成・検証ミステリー』(架空の系列名だが、同局編成内で人気枠扱いとされる)で、毎年特別枠として再検証が組まれたとされる[27]。ただし、番組内で用いられた再現VTRの灰粒の色味が「実際より薄い」と指摘されることもあった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 札幌北警察署『白灰七番札幌連続事案捜査概況(抄)』札幌北警察署, 1978.
- ^ 中里道彦「しろくなな事件における“白灰”の微粉末同一性」『日本鑑識科学雑誌』第12巻第4号, 1980, pp.15-33.
- ^ 村松由紀子『粉体管理と地域衛生の転換点—昭和五十年代の通達を読む—』北海民報社, 1994.
- ^ Thornton, Margaret A.「Color-Coded Evidence in Unsolved Offenses: A Case Study from Sapporo」『Journal of Forensic Semiotics』Vol.7 No.2, 1982, pp.201-229.
- ^ 平原勲「“6”と“7”の配置は偶然か」『刑事法研究』第41巻第1号, 1985, pp.77-96.
- ^ 札幌市保健所『室内粉塵防止のための清掃指導資料』札幌市保健所, 1975.
- ^ 架空鑑識研究会編『灰粒子の採取と扱い—現場再現のための手順書—』第2版, 1981, pp.60-88.
- ^ Kuroda, Ren 「Reconstruction of Pencil Pressure Matches in Cold Cases」『Forensic Methods Quarterly』Vol.3 No.1, 1987, pp.9-18.
- ^ 『白灰七番の夜—粉塵が語る42—』河出書房新社, 1983.
- ^ 渡辺精一郎「数字暗号の模倣連鎖と捜査コスト」『犯罪社会学年報』第9巻第3号, 1991, pp.121-139.
外部リンク
- 北海道粉体防止アーカイブ
- 札幌事件記録館(閲覧室)
- 暗号化犯罪研究会ポータル
- 鑑識手順の系譜データベース
- 昭和衛生行政資料コレクション