すねかじりパン
| 名称 | すねかじりパン |
|---|---|
| 別名 | 膝下ロール、扶養パン、家計圧迫菓子 |
| 発祥 | 東京都深川周辺 |
| 考案時期 | 1928年頃 |
| 主な材料 | 小麦粉、酵母、黒糖、塩、鶏卵 |
| 分類 | 風刺菓子、家庭製パン、下町名物 |
| 関連年中行事 | 年末の仕送り祈願、二十歳祝い |
| 代表的な提供形態 | 細長い輪切り、二本組、木箱入り |
| 流通地域 | 関東地方、静岡県東部、瀬戸内沿岸の一部 |
| 保護団体 | 日本風刺食品保存協会 |
すねかじりパンは、とを用いた生地を足首に見立てた細長い形状に焼き上げる、の発酵菓子である。もとは末期にの下町で、若年層の生活扶養問題を揶揄する風刺食として考案されたとされる[1]。
概要[編集]
すねかじりパンは、外見上はに近いが、一本の中央部にのみ蜜を多く含ませ、噛むほどに甘味が「家計の負担」として増すよう設計された菓子である。名称は、若者が親元に依存する状態を「すねをかじる」と表現した俗語に由来するとされ、食べ方に自虐的な作法が伴う点が特徴である。
一般には家庭内の祝い事や進学祝いに用いられたが、初期には内のパン屋が競って独自配合を作り、店ごとに「扶養度」が異なると広告された[2]。このため、単なる菓子というより、家族関係を可視化する社会的な記号として扱われてきたとする説が有力である。
歴史[編集]
起源伝承[編集]
最初の製法は、にの菓子職人・が、長男の進学費用を工面するために売り出した「扶養ロール」が原型とされる。帳簿が残っていないため要出典であるが、当時の町内会記録には「噛むと実に重い」との苦情が7件ほど記載されている。
大竹は、通常の菓子パンに比べて端部だけを異様に硬く焼くことで、食べる者に「実家からの自立」を心理的に促す意図を持っていたという。これが好評を博し、にはの朝市で一日平均146本が売れたと伝えられる。
普及と変質[編集]
5年頃、系の卸売商が類似製品を大量生産し、甘味を強めた「家計版」と、塩を増やした「反抗版」が登場した。とりわけ「反抗版」は、食べると口の中でぱさつき、親への感謝より先に水分補給を要求することから、学生寮で人気を得たとされる。
の前後には、外国人観光客向けに“Self-Dependent Bread”の名称で再包装され、の土産物店で木箱入りの高級品が売られた。この際、包装紙に印刷された少年のイラストがあまりに哀愁を帯びていたため、購入者の3割が「慰問菓子」と誤認したという[3]。
保存運動[編集]
、が設立され、すねかじりパンをの準文化資産に登録するよう要請した。協会によれば、都内だけで製法の異なる12系統が確認されており、なかにはパンを二本束ねて「兄弟扶養型」とする変種もある。
一方で、実際の製造現場では「すねをかじる」という比喩が過激であるとして、頃から「ふくらはぎロール」への改称運動も起こった。しかし、消費者の8割が旧名を支持したため、改称案は半年で立ち消えになったとされる。
製法[編集]
伝統的な製法では、に少量のとを加え、通常のパンよりやや低温で一次発酵させる。生地を細長く整形したのち、中央部にだけ蜜を刷毛塗りし、両端は乾燥させて硬めに焼き上げるのが特徴である。
焼成後は、温かいうちに専用の木枠で30分ほど静置し、側面に「扶養線」と呼ばれる薄い切れ込みを3本入れる。これにより食べる際の食感に段差が生まれ、噛むたびに異なる甘味が現れるよう計算されている。なお、熟練職人の間では蜜の配合を1.8倍にすると「甘やかし型」になるとされ、北部の一部では祝儀用として重宝された。
社会的影響[編集]
すねかじりパンは、戦前日本の家族観を映す風刺食品としてしばしば論じられてきた。特に期には、大学進学や都市部への就職が増えるにつれ、「子の自立」と「親の援助」の境界を象徴する菓子として、入学式シーズンの贈答品に選ばれることがあった。
また、の料理番組でに取り上げられた際、司会者が「甘いが重い」と評した一言が流行語になり、翌月の製パン業界調査では関連商品の売上が前年同月比で17.4%増加したという。もっとも、この数字は当時の業界紙1紙しか確認できず、誇張の可能性が指摘されている。
地域差と派生品[編集]
関東では細長い棒状が主流である一方、東部では桜葉を巻き込んだ「帰省パン」が知られている。これは、親元へ帰るたびに香りが強くなるよう設計され、冷蔵庫内でも存在感を失わないことから「家庭内での自己主張が強い食品」と評された。
の沿岸部では、同種の発想を応用した「こづかいサンド」があり、あえて具材を中央に寄せて両端を軽くすることで、財布の軽さを表現するという。いずれもすねかじりパンの系譜に属するとされるが、食品史研究者のは「概念が先で商品が後」とする慎重な見方を示している。
批判と論争[編集]
批判の多くは、名称が若者を一方的に揶揄する点に向けられてきた。とくに、が学校給食への導入を検討した際、保護者団体から「昼食にしては精神的圧が強すぎる」と抗議が寄せられ、計画は撤回された。
また、の食文化研究会が行った比較調査では、同じレシピでも包装紙の色によって「罪悪感の感じ方」が最大22%変化したと報告されている。ただし被験者数は19名であり、統計的妥当性には疑義がある。それでもなお、現在でも一部の菓子店では進路相談会の会場に合わせて販売されるなど、皮肉な需要が続いている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 大竹喜三郎『扶養ロール試作帳』深川菓子同業会, 1929年.
- ^ 佐伯敦子「下町における風刺食品の成立」『日本食文化研究』Vol. 14, No. 2, pp. 33-51, 1987.
- ^ M. Thornton, “The Semiotics of Dependent Baking,” Journal of East Asian Culinary Studies, Vol. 8, No. 1, pp. 11-29, 1994.
- ^ 日本風刺食品保存協会編『すねかじりパン保存調査報告書』同協会出版部, 1998年.
- ^ 石塚久雄『昭和菓子案内』東京風土社, 1966年.
- ^ H. K. Oshima, “Bread, Shame, and Kinship in Urban Japan,” Food & Society Review, Vol. 21, No. 4, pp. 201-219, 2002.
- ^ 渡辺精一郎『包装紙と感情の関係』文化食品学会, 1972年.
- ^ 田口恵理「『ふくらはぎロール』改称運動の挫折」『地域食誌』第7巻第3号, pp. 88-97, 2004年.
- ^ A. N. Feldman, “When Bread Became a Family Joke,” Gastronomy and Memory Quarterly, Vol. 5, No. 2, pp. 55-63, 2011.
- ^ 三浦俊介『木枠発酵の技法と迷信』北関東製パン研究所, 1991年.
外部リンク
- 日本風刺食品保存協会
- 深川食文化アーカイブ
- 昭和菓子資料室
- 下町パン史研究会
- 扶養食品年鑑オンライン