ちょっとお時間大丈夫でしょうか?
| 人名 | 時任 一時 |
|---|---|
| 各国語表記 | Tokito Ichiji |
| 画像 | Tokito Ichiji 1978.jpg |
| 画像サイズ | 220px |
| 画像説明 | 第2次時任内閣発足時の時任一時 |
| 国略称 | 日本 |
| 国旗 | Flag of Japan |
| 職名 | 内閣総理大臣 |
| 内閣 | 第72・73代内閣 |
| 就任日 | 1978年12月7日 |
| 退任日 | 1982年11月28日 |
| 生年月日 | 1934年4月17日 |
| 没年月日 | 2001年8月9日 |
| 出生地 | 東京都神田区錦町 |
| 死没地 | 東京都千代田区 |
| 出身校 | 東京帝国大学法学部 |
| 前職 | 大蔵省主計局調査官 |
| 所属政党 | 新和民政党 |
| 称号・勲章 | 従一位・大勲位菊花章頸飾 |
| 配偶者 | 時任 翠 |
| 子女 | 2人 |
| 親族(政治家) | 時任 権太郎(祖父) |
| サイン | TokitoIchiji-signature.svg |
時任 一時(ときとう いちじ、{{旧字体|時任一時}}、[[1934年]]〈[[昭和]]9年〉[[4月17日]] - [[2001年]]〈[[平成]]13年〉[[8月9日]])は、[[日本]]の[[政治家]]。[[位階]]は[[従一位]]。[[勲等]]は[[大勲位菊花章頸飾]]。第72・73代[[内閣総理大臣]]、[[外務大臣]]、[[通商産業大臣]]、[[内閣官房長官]]などを歴任した。なお、在任中の決め台詞「ちょっとお時間大丈夫でしょうか?」から、政治的な事前交渉を会話の圧力で成立させる手法が「時任式ヒアリング」と呼ばれるようになった[1]。
概説[編集]
時任一時は、戦後日本政界において「聞き取りによる合意形成」を政治技術として定着させた政治家である。[[東京帝国大学]]卒業後、[[大蔵省]]に入省し、[[内閣官房長官]]、[[通商産業大臣]]、[[外務大臣]]を経て、[[1978年]]に[[内閣総理大臣]]に就任した。
彼の政治手法は、会議の冒頭で「ちょっとお時間大丈夫でしょうか?」と静かに切り出し、相手が断りづらい心理状態を作ることで議論を前進させるものであったとされる。このため、官邸では彼の発言を受けた省庁間調整を「一時拘束」、地方議員との根回しを「時間確認」と呼ぶ独特の慣行が生まれた[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
時任は[[1934年]]、[[東京都]][[神田区]]錦町の質店を営む家に生まれる。父・時任秀介は区議会の補欠選挙に3度立候補して落選した人物で、家には常に選挙ポスターの刷り損じが積まれていたという。
幼少期から「人に話しかける前に、相手の退路を丁寧に塞ぐ」ことに長けていたとされ、近所の商店街では「一時に声をかけられると、つい手伝ってしまう」と評された[3]。
学生時代[編集]
[[東京高等学校 (旧制)|東京高等学校]]を経て[[東京帝国大学法学部]]に入学し、同年に法学部演説研究会へ所属した。彼は弁論術よりも沈黙の置き方を重視し、討論会で相手の発言後に7秒黙ることで主導権を得る癖があったとされる。
また、学生自治会では「議題の前に必ず相手の予定を確認する」規約案を提出し、採択はされなかったものの、後年の官僚機構における根回し様式の原型になったとの指摘がある。
政界入り[編集]
[[1958年]]に大蔵省へ入省し、主計局、主税局、外為課を経て、[[1969年]]に[[内閣総理大臣官邸]]連絡官に転じた。そこで各省庁の意見が噛み合わない際に、各担当者へ個別に「ちょっとお時間大丈夫でしょうか?」と回る方式を確立した。
[[1972年]]、[[衆議院議員総選挙]]に[[新和民政党]]公認で立候補し、[[東京都第1区]]で初当選を果たした。選挙事務所では、電話作戦班が相手候補の支持層に対しても「5分だけよろしいですか」と切り出す手法を採用し、投票日前夜には相手陣営の会議出席率が妙に下がったと記録されている。
通商産業大臣時代[編集]
[[1974年]]に[[通商産業大臣]]に就任し、石油危機後の産業再編を担当した。時任は工場視察のたびに経営者へ「設備投資の前に、現場の方に少しお時間をいただけますか」と尋ね、労使双方の不満をまとめて聞く手法を推進した。
この時期、彼が提唱した「先に確認、あとで合意」という行政指針は、当時の通産官僚の間で妙に評判となり、結果として中小企業向けの補助金制度が細分化した。なお、[[愛知県]][[豊田市]]の工場団地では、彼の来訪後に会議室へ「大丈夫でしょうか」専用の赤い椅子が設置されたという。
内閣総理大臣[編集]
[[1978年]]、党内調整の末に第72代[[内閣総理大臣]]に選出された。就任直後から「短く聞き、長く決める」内閣運営を掲げ、[[内閣官房長官]]時代の経験を生かして各大臣を個別面談で説得した。
第1次時任内閣では、日米協調の維持と、[[北海道]]から[[九州]]までの交通網再編を軸とする「全国一括ヒアリング構想」が進められた。[[1979年]]の国会では、答弁時間の短縮を目的に、質疑開始時に全閣僚へ水分補給を義務づけた法案が検討されたが、最終的には見送られた[4]。
退任後[編集]
[[1982年]]に退任後は、新和民政党の最高顧問として院政的影響力を保ったが、本人は「私はただ時間を聞いていただけである」と述べ、権力行使を否定した。晩年は官邸資料を整理する財団活動に専念し、面会者の冒頭質問に必ず「今、何分ありますか」と返した。
[[2001年]]に死去し、死没地は[[東京都]][[千代田区]]の病院とされる。没後、国会内では彼の口調を真似る職員が増え、「大丈夫でしょうか」を先に言うと人事案件が進みやすいという半ば迷信的な慣行が残った。
政治姿勢・政策・主張[編集]
内政[編集]
内政面では、省庁横断の調整を重視し、予算配分を「反対意見の少ない順」に決める傾向があった。これは一見穏当であるが、実際には反対意見を言う前に相手の予定を押さえることで政策決定の速度を上げたのであり、官僚間では「先取り型根回し」と呼ばれた。
また、地方自治体に対しては、補助金交付の前に住民説明会を複数回要求する制度を導入した。[[熊本県]]のある町では説明会が9回に及び、住民の間で「まだ大丈夫か」と確認するのが挨拶になったという。
外交[編集]
外交では、[[アメリカ合衆国]]との同盟維持を前提に、[[東南アジア]]諸国との経済協力を拡大した。訪問先では必ず相手国首脳へ「会談前に、数分だけお時間大丈夫でしょうか」と切り出し、形式的な会見を実務協議へ変える技法が外交官の間で評価された。
一方で、過度に慎重な交渉姿勢は「受け身の強硬策」と批判され、[[外務省]]内では、彼の方式により共同声明の文言がやけに長文化したとの指摘がある。なお、[[1979年]]の訪[[シンガポール]]時には、会談が予定の28分を大きく超え、空港の送迎車列が1時間以上待機したという。
人物[編集]
性格・逸話[編集]
時任は温厚で礼儀正しい一方、会話の導入だけで相手に圧をかける独特の人物であった。秘書官によれば、彼は重要な案件ほど声をひそめ、最後だけ明瞭に「大丈夫でしょうか」と言ったという。
また、昼食時に決断を下すことを嫌い、カレーの辛さを尋ねるのと同じ調子で政策の可否を確認したため、周囲からは「常に食堂の支配者」と揶揄された[5]。
語録[編集]
代表的な語録として、「急ぐときほど、先に相手の椅子の位置を見る」「反対意見は、聞く前に礼を尽くしてもらう」がある。また、退任後の講演では「政治とは、相手が帰る時刻を知ってから始まる」と述べた。
なお、若い議員に対しては「ちょっとお時間大丈夫でしょうか? 大丈夫でなくても、10分くらいなら大丈夫です」と冗談めかして語ったと伝えられる。
評価[編集]
時任は、[[昭和]]後期の官僚政治を高度に可視化した人物として評価される一方、合意形成を個人技に依存させた点で批判も受けた。特に、彼の人脈に政策が左右されたという見方は、退任後の回顧録ブームで強まった。
しかし、地方自治体や中小企業からは「説明を飛ばさず、結論だけ先に押しつけない政治家」として根強い人気があった。研究者の間では、時任型政治を「聞き取り民主主義の末期形」と呼ぶ説と、「日本型調整政治の完成形」と呼ぶ説が併存している。
家族・親族[編集]
時任家は、江戸末期に神田で米穀商を営んだ家系にさかのぼるとされる。祖父の時任権太郎は、旧[[東京府]]会の補欠議員を務めた人物で、家系としては地方政治と商売の境界に位置していた。
妻の翠は教育関係者で、各種選挙資料の整理を担当したほか、時任の演説原稿に「少しお時間」という語が多すぎると赤字で注記したという。子女は2人で、長男は金融関係、長女は報道機関に勤めたとされるが、本人は家族を政治から遠ざける方針を貫いた。
選挙歴[編集]
[[1972年]][[衆議院議員総選挙]] [[東京都第1区]] 新和民政党公認 初当選。
[[1976年]][[衆議院議員総選挙]] 同選挙区 再選。
[[1980年]][[衆議院議員総選挙]] 同選挙区 当選。
[[1983年]][[衆議院議員総選挙]] 同選挙区 落選。落選後も党内では「実質的には会話で勝っていた」とされ、支持者の間では最後まで勝敗未確定のように扱われた。
栄典[編集]
[[1983年]]に[[勲一等旭日大綬章]]を受章し、[[1995年]]には[[大勲位菊花章頸飾]]を受けた。死後の追贈により[[従一位]]に叙されたとされる。
また、[[日独友好協会]]や[[アジア経済研究所]]から名誉称号を受けたほか、[[千代田区]]議会からは「最も長く会議の開始を遅らせなかった政治家」として特別感謝状が贈られた。
著作/著書[編集]
『聞く政治、動かす政治』([[1985年]])は、時任の政治哲学をまとめた代表作である。『会議は短く、根回しは長く』([[1991年]])では、調整型リーダーシップの実務を細かく記している。
ほかに『ちょっとお時間大丈夫でしょうか?――政務日誌抄』([[1997年]])があり、官邸での発言例が300件以上収録されている。なお、最終章にある「返事が遅いときは、相手が考えている証拠である」という節は、後年になって若干の誤解を生んだ[6]。
関連作品[編集]
時任を題材とした作品として、[[NHK]]特集ドラマ『時間確認官邸』([[2004年]])、映画『大丈夫でしょうか、総理』([[2012年]])、舞台『一時の間』([[2018年]])がある。
また、[[テレビ東京]]系バラエティ番組で彼の語録を再現する企画が流行し、「会議室の椅子に座る前に相手へ先に座るか聞く」芸風が模倣された。本人の遺族は概ね好意的であったが、会話の間の取り方が長すぎるとして、いくつかの作品は放送時間を超過した。
脚注[編集]
1. 時任一時の決め台詞とされる表現については、官邸記録の一部が散逸しており、正確な初出時期には諸説ある。 2. 『時任式ヒアリング』は後年の政治学研究で便宜的に付された名称である。 3. 近隣住民の証言は、没後刊行の聞き書き集による。 4. 国会答弁時間短縮案は実際には法案化されていない。 5. このエピソードは、複数の秘書官回想録でほぼ同じ形で引用される。 6. 一部校正刷りでは「返事が遅いときは、相手が寝ている証拠である」となっていた。
関連項目[編集]
時任式ヒアリング
根回し政治
新和民政党
戦後日本の官僚内閣制
東京都第1区
調整型リーダーシップ
会議体政治
聞き取り民主主義
参考文献[編集]
佐伯弘『会話で動いた政権――時任一時研究』中央公論新社, 2008年.
田村律子『戦後官邸の沈黙術』岩波書店, 2011年.
M. Thornton, "Polite Pressure and Policy Flow: The Tokito Administration", Journal of East Asian Governance, Vol. 14, No. 2, 2013, pp. 41-68.
内田修一『根回しの技法とその限界』東京大学出版会, 1999年.
黒川真一『ちょっとお時間大丈夫でしょうか?の政治史』日本経済評論社, 2017年.
Hiroshi Sato, "The Quiet Prime Minister: Tokito Ichiji and Administrative Consensus", Asian Political Review, Vol. 22, Issue 4, 2016, pp. 201-229.
小野寺澄子『時任内閣と産業再編』勁草書房, 2003年.
『官邸月報』第18巻第7号, 官邸政策研究会, 1980年, pp. 3-19.
山岸一郎『会議の前に聞くな、聞く前に会え』ダイヤモンド社, 2001年.
遠藤ミドリ『大丈夫でしょうか文化の成立』社会評論社, 2020年.
外部リンク[編集]
時任一時記念館デジタルアーカイブ
官邸史料室「時任内閣」
戦後政治人物辞典オンライン
日本政治会話研究センター
地方議会口調保存会
脚注
- ^ 佐伯弘『会話で動いた政権――時任一時研究』中央公論新社, 2008年.
- ^ 田村律子『戦後官邸の沈黙術』岩波書店, 2011年.
- ^ M. Thornton, "Polite Pressure and Policy Flow: The Tokito Administration", Journal of East Asian Governance, Vol. 14, No. 2, 2013, pp. 41-68.
- ^ 内田修一『根回しの技法とその限界』東京大学出版会, 1999年.
- ^ 黒川真一『ちょっとお時間大丈夫でしょうか?の政治史』日本経済評論社, 2017年.
- ^ Hiroshi Sato, "The Quiet Prime Minister: Tokito Ichiji and Administrative Consensus", Asian Political Review, Vol. 22, Issue 4, 2016, pp. 201-229.
- ^ 小野寺澄子『時任内閣と産業再編』勁草書房, 2003年.
- ^ 『官邸月報』第18巻第7号, 官邸政策研究会, 1980年, pp. 3-19.
- ^ 山岸一郎『会議の前に聞くな、聞く前に会え』ダイヤモンド社, 2001年.
- ^ 遠藤ミドリ『大丈夫でしょうか文化の成立』社会評論社, 2020年.
外部リンク
- 時任一時記念館デジタルアーカイブ
- 官邸史料室「時任内閣」
- 戦後政治人物辞典オンライン
- 日本政治会話研究センター
- 地方議会口調保存会