とろろの粘度
| 英語名称 | Tororo Viscosityology |
|---|---|
| 対象領域 | とろろの粘性・弾性・温度依存性・繊維分散・風味保持 |
| 上位学問 | 粘り科学(Viscidrop Science) |
| 主な下位分野 | 発泡相互作用、とろろゲル構造、粘度方位学、官能粘度評価 |
| 創始者 | 田島 透雲(たじま とううん) |
| 成立時期 | 末期(1890年代) |
| 関連学問 | 味覚流体学、乳化熱学、和食材料工学 |
とろろの粘度学(とろろのねんどがく、英: Tororo Viscosityology)とは、とろろ(すりおろし山芋等)における粘性・弾性・凝集挙動を研究する学問であり、「粘り科学」の一分野である[1]。
語源[編集]
「とろろの粘度学」という名称は、もともと江戸後期の台所方言である「とろろは粘るほど旨い」という口伝に由来するとされた[1]。特に「粘度」を量として扱う発想は、明治期に持ち込まれた物性計測の語彙(粘度・粘弾性など)を、山芋すりの工程へ“移植”していったことにより広まったとされる。
なお、当初は学会誌の編集方針により「粘度」ではなく「ねばり指数」と呼ぶべきだったが、田島透雲が「ねばり指数は官能の恣意が強い」として改名を働きかけたとされる[2]。この経緯が、いまでも「とろろの粘度は、数値と舌の両方で確かめるべき」という学風の根にあると説明されることが多い。
また、狭義には「とろろ中の繊維束が、撹拌によりどの向きに分散するか」を“粘度方位”として扱う立場を指す。広義には、粘性そのものだけでなく、湯気・湿度・時間経過による口当たりの変化までを含める[3]。
定義[編集]
とろろの粘度学は、少なくとも「とろろの系を、非ニュートン流体またはゲルとして扱う」ことを前提とする学問である[1]。広義には、とろろの粘性・弾性・凝集・発泡(微小気泡)・香気保持の相互関係を対象とする。狭義には、とろろを一時的に形成するゲル状態の粘度変動を、作り手の工程条件(すり方・温度・水分比・時間)から説明する試みであると定義された。
田島透雲は、粘度を「流れる粘り」と「戻る粘り」に分解し、前者を“滴粘(てきねば)”、後者を“還粘(かえねば)”と命名したとされる[4]。この分類は、食味評価が“流れて消える”だけでなく“戻って舌に触れる”感覚を含むことを合理化するためのものだった。
さらに、後続研究では、とろろの粘度を単なる粘度計の値ではなく、口腔内温度域(概ね付近)での見かけ粘度の変化量として表す流派が有力とされる[2]。この場合、測定値は「初期粘度G0」だけでなく「温度スイング粘度ΔG」として報告されることが多い。
歴史[編集]
古代[編集]
古代に相当する時期として語られるのは、畿内の山芋栽培集落に伝わる「磨き時間の律」である[5]。当時の記録は数表ではなく歌に近い形式だったが、粘度学ではこれを工程学的データとみなす。たとえば「すり始めから七度目の息までが“銀のとろろ”、九度目で“石のとろろ”になる」という表現が、後に“硬さの閾値”に対応するものとして解釈されたとされる。
ただしこの段階では物性という言葉はなく、「粘る度合い」を火加減や器の材で調整する実践知が中心だったとされる。一方で、後の近代研究者の間では、器が木である場合と陶である場合で繊維束の偏りが変わり、結果として“粘度方位”が生じた可能性が議論された。
近代[編集]
近代、とくに前後にとろろの粘度学が学問として“立ち上がった”とされる[6]。田島透雲が内の家政系研究会で「とろろを測ると、皿の上で人格が出る」と発言したことが、冗談めいて引用されながらも、研究の扉を開いたと語られる。
には、当時の計測機器を改造した「腕力回転粘度計」が開発されたと報告される[7]。この装置は、撹拌をモーターではなく“腕の反復回数(回/分)”で行うため、再現性が弱いと批判されつつも、現場の調理条件を反映する利点があったとされる。
また、に発表された試験では、同じ山芋でも水分調整の有無により、滴粘が最大で「約2.7倍」変化したと報告された[8]。この“端数のある倍率”が、後の学会で「説得力を与える装飾」と揶揄される一方、研究者が好んで採用する慣習も生んだ。
現代[編集]
現代では、とろろの粘度学は家庭料理の枠を超え、フードテクスチャ解析や香気保持の研究と結びついて発展しているとされる[9]。たとえばの食品加工試験機関が行った「作り置き一時停止法」では、撹拌後に“28分だけ静置”する工程で、ΔG(温度スイング粘度)がに抑えられたと報告された[10]。
もっとも、現代の測定は精緻化した反面、「測るものが増えすぎた」とする声もある。官能評価と物性データを直接一致させる指標(“一口粘度スコア”)が提案され、の大学共同ラボが一時的に採用したが、学会の採否が割れたとされる[11]。このような揺らぎが、とろろの粘度学を“数値だけでは終わらない”学問へと再定位させた。
分野[編集]
とろろの粘度学は、基礎と応用に大別されると整理されることが多い[1]。基礎分野では、とろろを「繊維束×水相×微小気泡」の複合系として扱う立場が中心である。一方で応用分野では、品質保持、外食の提供時間設計、低アレルゲン化(代替澱粉の導入)など、食べる側の制約を前提にモデルを調整することが求められる。
基礎〜の代表例として、発泡相互作用(泡が粘度を誤魔化す現象を扱う)や、とろろゲル構造(繊維の絡まりが“戻り”を作るとする)が挙げられる[3]。また、粘度方位学は、撹拌方向やすり鉢の回転軌跡が繊維束の分散に与える影響を“方位”として記述する。
応用〜には、官能粘度評価(舌の温度勾配に着目)や、提供時間最適化(何分で粘りが落ちるかを逆算)などが含まれる。これらは、いわゆる“とろろの食感工学”へと接続されると説明される。
方法論[編集]
方法論では、まずサンプル調製の統一が重要とされる[2]。具体的には、すりおろし工程での水分比を「山芋基準100に対し水を18〜22」といった範囲で規定し、さらに温度を刻みで管理する流派が多い。
次に、粘度の測定では、定常せん断(一定速度)だけでなく、非定常せん断(速度を階段状に変える)を採用することが推奨されている[6]。このとき「滴粘Gd」「還粘Gr」「凝集遅延指数I」の3指標をセットで扱うと、料理への翻訳が容易になるとされる。
また、学会では“麺棒触感テスト”のような即席評価法も残っている。これは科学的根拠が薄いとして一度は廃止されたが、に現場の調理師団体が再導入を要請し、測定補助として復活した経緯があるとされる[12]。数値が出ても口が合わない問題を、手技のズレとして扱うためであると説明される。
学際[編集]
とろろの粘度学は、複数分野の境界領域で発展してきたとされる[9]。味覚流体学とは、舌表面の潤滑膜が“戻り”の体感に影響する点で連携している。また、乳化熱学とは、加熱や保温が繊維束の水和をどの程度進めるかという観点で研究が交差してきた。
和食材料工学とは、器材や容器の材質(陶器、ガラス、金属)により、冷却速度と付着が変わり、結果として粘度表示が別物になるという問題意識を共有すると説明される[10]。実際に、の共同試験では、同一レシピでも容器を変えた場合にΔGが「最大9.3ポイント」変動したと報告された[13]。
さらに、社会科学との接点もある。外食産業では、提供時間の制約が研究データを“社会的に歪める”ため、調理オペレーション学と共同で、厨房の動線設計まで含めた研究が行われたとされる[11]。
批判と論争[編集]
批判として最も多いのは、「とろろは個体差が大きく、粘度の普遍式が作れない」という点である[1]。支持側は「だからこそ、ΔGのような変化量指標が必要だ」と反論するが、反対側は「指数は言い換えであり、予測不能性を誤魔化している」とする。
また、滴粘と還粘の二分法が“わかりやすさ”を優先しすぎて、実際の複合相挙動(泡・絡み・水和の同時性)を単純化しているのではないか、という批判があるとされる[8]。この論争は、の食品研究会が共通プロトコルを提案した際に、測定条件(静置時間、すり圧)を細かく規定しすぎたことがきっかけで激化した。
さらに、やや滑稽だが根強い論点として「腕力回転粘度計は調理者の気分を測ってしまう」という指摘がある[7]。一部では笑い話として扱われたものの、実際に“測定者が疲れている日ほど還粘Grが高い”傾向が観測されたと報告され、学会は苦笑しながら要因分析に着手したという[12]。ここが、学問としての境界と人間の要素が衝突する場所だとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田島透雲『とろろの粘度学入門—滴粘と還粘の理論』蒼鷹社, 1897.
- ^ 山内カツミ『粘り科学の系譜(第1巻)』柳橋書房, 1912.
- ^ Margaret A. Thornton『Non-Newtonian Textures in Traditional Pastes』Journal of Culinary Rheology, Vol.12 No.3, 1988.
- ^ 小野里 直『静置時間とΔG変動の統計—横浜共同試験報告』食感測定協会, 1961.
- ^ Kwon Seojin『Gel-Formation Models for Fibrous Pastes』International Review of Food Physics, Vol.7 Issue 1, 2004.
- ^ 佐伯 実栄『器材材質が温度スイング粘度に与える影響』日本調理物性学会誌, 第15巻第2号, 1979.
- ^ 田島透雲『腕力回転粘度計の設計図』東京測定研究所, 1907.
- ^ 上野 咲絵『一口粘度スコアの提案と検証』大和フード工学年報, pp.101-138, 1999.
- ^ 菅原 朋也『官能テストはなぜ死なないのか—麺棒触感テスト再考』料理科学研究, 第8巻第4号, 2009.
- ^ Editorial Committee『Tororo Viscosityology: Proceedings』Kyoto Gastrorheology Press, 2016.
外部リンク
- 粘り科学アーカイブ
- とろろ粘度研究会
- 味覚流体データベース
- 和食材料工学ノート
- 食感測定協会ポータル