べバトー
| 分類 | 縫製補助法、包装技法、都市民俗 |
|---|---|
| 起源 | 1897年ごろ、横浜税関周辺の仕立屋街 |
| 提唱者 | 久保田 連蔵、メアリー・H・ソーン |
| 主な用途 | 衣服補正、菓子の封緘、舞台装置の固定 |
| 流行期 | 1920年代 - 1970年代 |
| 中心地 | 神奈川県横浜市、東京都神田、名古屋港 |
| 象徴色 | 鼠色と朱色 |
| 関連組織 | 日本べバトー協会、東亜包装研究会 |
べバトー(Vebato)は、末のにおいて、輸入毛織物の保温性を調整するための縫製補助法として成立したとされる技法である。後にやにも転用され、中期には都市生活の「隙間の熱」を可視化する文化現象として知られるようになった[1]。
概要[編集]
べバトーは、布・紙・薄金属などの端部を、一定角度の折返しと不均等な圧着によって安定させる一連の手順を指す。一般には「畳まず、折り切らず、しかし外れない」状態を作るための技法として説明されるが、実際には、、の三分野で独立に発達したものが、末期に統合されたとされる[2]。
名称は、横浜の外国人居留地で用いられていた「bevato」なる符牒に由来するとされるが、これについてはである。なお、べバトーの定義は時代によって揺れが大きく、1930年代の技術書では「布端の呼吸を止めない処理」、1950年代の業界誌では「輸送中にだけ真価を示す折返し」と記されている。こうした曖昧さが、かえって都市文化としての魅力を生んだとする説が有力である。
歴史[編集]
横浜起源説[編集]
最初期の記録は、の港湾検疫所に近い仕立屋「久保田洋服店」の帳簿に見えるとされる。そこでは、輸入の袖口が湿気で波打つ問題に対し、店主のが「べばと式」と書き付けたメモが残ったという。翌年にはの商館員メアリー・H・ソーンが同手法を「Vebato hemming」と呼び、の職人たちに英語風の発音が逆輸入されたとされる[3]。
菓子包装への転用[編集]
8年ごろ、の落雁問屋が、べバトーを紙箱の内側に応用したことで一気に普及した。折り返し部分に微量のを塗り、開封時に「ぱり」と鳴るよう調整するのが流儀であったという。これにより、贈答用の菓子が「割れにくく、しかし開ける楽しみがある」商品として評価され、東京市内で年間約2,600万箱がべバトー式に切り替わったとする統計があるが、集計方法は不明である[4]。
舞台美術への定着[編集]
12年、の大道具係であったが、舞台の背景布を短時間で張り替えるためにべバトーを採用した。彼は、強風の吹き込みを受ける側だけ折返しの厚みを変え、照明が当たると布地が「呼吸しているように見える」効果を狙ったとされる。この演出は当時の批評家に高く評価され、以後、べバトーは舞台監督の必修技術とみなされた。一方で、布の角をわざと一箇所だけ未固定にする癖が流派化し、観客席からは「見えないほどの不完全さ」が美学として受容された。
技法と分類[編集]
べバトーには大きく三系統があるとされる。第一はで、布や紙を二重にせず、端の一部だけを斜めに噛ませる方式である。第二はで、米粉糊、寒天、あるいは薄めた膠を用いて接合部の「逃げ」を残す方式で、関東地方では「半閉じ」と呼ばれた。第三はで、主に劇場や展示で用いられ、重量の一点集中を避けるために意図的な不均衡を作るものである[5]。
日本べバトー協会は、1936年の内規で「べバトーは、完成ではなく、維持のために行う」と定義した。これは後年の職人に強い影響を与え、完全な密閉よりも、湿度変化・輸送振動・視線の移動に耐えることが重要とされた。なお、1961年には京都の茶箱職人が、茶葉の香りを逃がしすぎないために微小な通気孔を残す「京べバトー」を発明したとされるが、同時期に同じ名称の菓子包装が大阪でも見つかっており、系譜は混線している。
社会的影響[編集]
都市の美意識への影響[編集]
べバトーは、戦後の都市生活において「完全に閉じないこと」を肯定する感覚を広めたと評価される。たとえばの百貨店包装部では、贈答品の包みを開封した際に二重の音が出るよう、折返し幅を、糊しろを、角の遊びをに統一していたという。こうした細部の標準化は、見えないところにこだわる日本的美学の一種として議論された。
労働争議との関係[編集]
一方で、べバトーは労働争議とも無縁ではなかった。1954年、の包装工場で「べバトーは手間が多すぎる」として職工23名が一斉に退職し、翌週には同じ工程を機械化した「自動ベバトー機」が導入された。これに対し、職人側は「機械は外見を真似ても、開封時のためらいを作れない」と反発したが、結果的に量産品の文化として定着した。
教育と普及活動[編集]
の外郭団体とされた東亜包装研究会は、1968年から全国7都市で「べバトー講習会」を開催した。受講者は延べ1万4,300人に達し、終了試験ではA4判の紙を3分40秒で処理することが求められた。合格率は初年度38%だったが、1971年には82%まで上昇したと記録されている。もっとも、講習会の記録写真には、毎回ほぼ同じ位置に立つ男性が写っており、実質的には宣伝映画の撮影ではないかとの指摘もある。
批判と論争[編集]
べバトーをめぐっては、起源の真正性に関する論争が続いている。横浜起源説に対しては、同時期の仕立屋帳簿がほとんど現存せず、後年の回想録に依拠している点が問題視されている。また、英語圏での「Vebato」表記が以前に確認できないことから、逆輸入説そのものが後世の創作ではないかとする研究もある[6]。
さらに、1950年代以降の「都市民俗」としての再評価には、観光政策との結びつきが強すぎるとの批判がある。とりわけが1978年に開催した特別展「折返しの近代」で、実物展示の半数が再現品であったことは、学界でしばしば問題になった。ただし、展示替えのたびに布端が少しずつ変形し、結果として再現品のほうが「よりべバトーらしい」と評価されたのは皮肉である。
現代における位置づけ[編集]
21世紀に入ると、べバトーは実用技術というより、手仕事の遅さを肯定する思想として語られることが増えた。内のデザイン学校では、2020年から「べバトー概論」が選択科目化され、受講生は紙・布・フィルムの三素材で同一の折返しを再現する課題に取り組む。なお、2023年にはSNS上で「#べバトーで包むと心が静かになる」という投稿が急増し、1週間で約18万件の再掲があったとされるが、解析元のアカウント群は削除されており検証は困難である。
関連文化[編集]
べバトーは、、、加工などの周辺文化としばしば並置されるが、厳密には「隙間を残して閉じる」という点で独自である。民俗学では、贈答と別れ、保存と開封、完成と未完成のあいだに成立する中間技法として扱われることが多い。いっぽうで、古参の職人の間では「べバトーは技法ではなく気配である」と語られ、これが最も説明不能でありながら、最も広く流通した定義でもある。