ほんけん
| 氏名 | ほんけん |
|---|---|
| ふりがな | ほんけん |
| 生年月日 | 1887年5月17日 |
| 出生地 | 松山藩(現・) |
| 没年月日 | 1959年11月3日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 奇譚研究家、博物館顧問 |
| 活動期間 | 1909年 - 1958年 |
| 主な業績 | 『微香史誌』刊行、保存燻香室の提唱 |
| 受賞歴 | 文香学会賞、文化保全徽章 |
ほんけん(ほんけん、 - )は、の奇譚研究家である。『微香史誌』の著者として広く知られる[1]。
概要[編集]
ほんけんは、日本の奇譚研究家である。香りに付随する言い伝えを「微香の系譜」として整理し、博物館での展示設計にまで持ち込んだことで知られる。
彼の方法は、口承史料だけではなく、町家の床下から採取された微量の有機残渣に着目する点に特徴があったとされる。一方で、当初の研究は「呪術の復権」とも「科学の名を借りた民間研究」とも評され、学界の亀裂を生む要因にもなったとされる。
生涯(生い立ち/青年期/活動期/晩年と死去)[編集]
生い立ち[編集]
ほんけんは、の塩問屋の次男に生まれた。戸籍上の名は「本間健之」と記録されていたが、自らは幼少期から「ほんけん」と名乗る癖があり、家業の帳簿にもその文字が混じっていたとされる。
家では、季節ごとに樽の中へ微量の乾燥柑橘皮を入れる習慣があった。ほんけんはこれを「香りの層が記憶になる装置」と呼び、樽ごとに微香が違うことを指でなぞるようにして覚えたという逸話が残る。
青年期[編集]
、ほんけんはの簡易博物館で見習いとして働き始めた。当時の同施設は展示室の換気が不十分で、湿気による資料の劣化が問題になっていたとされる。
この際、ほんけんは「劣化とは臭気の移動である」と主張し、展示室に燻香室を試作した。具体的には、直径の銅皿を三段に積み、月別の燻煙時間を「朔日から数えて“7の倍数”の日に限る」と規則化したのである。のちにこの設計は、合理的な換気計測と称されつつ、実際には迷信的な運用も多かったと指摘される。
活動期[編集]
に独立したほんけんは、地方寺社と農家の協力を得て「微香の聴取」を体系化した。彼は聞き取りの際、語り手に対して必ず“匂いの記憶”を先に語らせ、次に事件や年代を尋ねる順番を固定したとされる。
、ほんけんは『微香史誌』第1巻を自費出版した。発行部数はわずかで、うちは書店ではなく酒蔵の帳場へ直接配布されたとされる。当時の酒蔵では香りの言い伝えが多く保存されており、販売というより「保管のための寄贈」が目的だったという。
また、ほんけんはに文香学会へ参加し、学会誌『香譜』に「微香の年代推定法—沈香粒子の層位—」を投稿した。ここでは、沈香粒子の沈降速度を「一昼夜で約」と推算したとされるが、後年の再検証では計測手順が不明瞭だったとする指摘もある。
晩年と死去[編集]
晩年のほんけんは、保存燻香室を各地の博物館へ普及させようとした。彼は代に入ると講演を減らし、代わりに“匂いの地図”の作成に集中したとされる。
、ほんけんは体調を理由に活動を縮小し、最後の調査はで行われた。彼の死去は11月3日で、満であったとされる。死因は公式には持病の悪化とされるが、弟子の記録では「最後まで柑橘皮を机に置いたままだった」と記されている。
人物(性格・逸話)[編集]
ほんけんは、対人関係では柔らかいが、研究の手順に関しては頑固であったとされる。彼は遅刻を嫌い、会合には必ず“先に香りを確認する”ための小瓶を持参したという。
逸話として有名なのは、彼が弟子に「質問は必ず二回する」と教えた点である。最初の質問は「その匂いはいつからあるか」、二回目の質問は「その匂いが消えたら何が起きると信じるか」であり、答えの食い違いから“語りの時期”を逆算できると主張したとされる。
なお、彼は自分の著作を他者が引用する際に、必ず“匂いの描写”の段落を外してはならないと注意したとされる。一方で学界の一部からは、文章の読後感を重視する姿勢が過度だと批判されたとも指摘されている。
業績・作品[編集]
ほんけんの業績としてまず挙げられるのは『微香史誌』である。これは香りにまつわる口承と、保存・展示の実務を接続することを狙った全5巻の構想であったとされる。
第1巻(刊行)は「台所の床下」と「寺の納経帳」の二系統を扱い、台所系ではとの組み合わせが頻出すると整理したとされる。第2巻は「火災の匂い」という題で、火事の伝承が“黒煙の後の薄い甘さ”を起点に記憶されるという仮説を提示した。
また、には学会賞を得たのち、『燻香室設計要領—湿度のとき—』を刊行した。この本は設計図風の体裁をとりつつ、付録にだけ実測値があるという構成であったとされる。彼の手法は、香りの記述を科学的に“規格化”する試みとして評価される一方、規格の根拠が俗説に近いとして疑われることもあった。
後世の評価[編集]
ほんけんの評価は、分野をまたいで揺れている。民俗学では、口承を“匂いの記号”として扱った点が注目されたとされる。博物館学では、展示環境の設計に民間の知恵を組み込んだという実務的な側面が評価されたとされる。
ただし、彼の推定値や年代づけは再現性に乏しいとする批判もある。特に『微香史誌』における年代推算には、暗黙の前提が多いと指摘され、引用する際に「どの手順を前提とするか」を明示すべきだという声も出た。
一方で、彼の研究がもたらした“香りを展示の一部とする”発想は、その後の五感博物館構想へ影響したとする見方もある。現在では、香気の制御に関しては技術が進んだため、ほんけんの数値は参考値に留められるが、その思想の骨格は継承されているとされる。
系譜・家族[編集]
ほんけんの家系は、松山市の旧家に連なるとされる。父は塩問屋の家の出で、母は湯治場の管理をしていた家に連なる人物であったとされる。
彼はにの織物業者の娘であると結婚し、のちに子はいたとされる。長男は記録係として博物館に勤務し、次男は“香りの採集”を担当する助手として活動したとされる。
また、ほんけんの最晩年に協力した弟子としての名が挙げられることが多い。安藤は“聞き取り用の香瓶”を体系化したとされ、ほんけんの死後も『微香史誌』の増補を行ったとされるが、増補稿の一部には真偽不明の記述があるとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ ほんけん『微香史誌(全5巻)』自費出版, 1931.
- ^ ほんけん『燻香室設計要領—湿度53%のとき—』文香学会出版部, 1936.
- ^ 佐伯 きく『家帳に残る匂いの記録』松山書林, 1942.
- ^ 安藤 るり子『微香の採集と誤差』文化保全研究会, 1954.
- ^ Margaret A. Thornton『Olfactory Chronologies in Folk Narratives』University of Nagoya Press, 1961.
- ^ Klaus H. Mertens『Smoke, Memory, and Museums』Berlin Institute for Practical Curatorship, 1972.
- ^ 高橋悠真『香気展示の制度史』青林学術文庫, 1988.
- ^ 伊東紗季『口承史の記号論—匂いを読む—』春秋社, 2001.
- ^ 田中剛志『民俗調査の測度論』東京文献堂, 2010.
- ^ “香りの年代推定”編集委員会『微香年代学の基礎』学術書房, 2005.
外部リンク
- 文香学会アーカイブス
- 松山市立微香資料室
- 五感展示技術研究会
- 香譜デジタル復刻サイト
- 燻香室設計コレクション