ぽうぎ帝
| 名称 | ぽうぎ帝 |
|---|---|
| 読み | ぽうぎてい |
| 成立 | 18世紀後半 |
| 主な地域 | 京都府、滋賀県、兵庫県 |
| 分類 | 儀礼用玉座・臨時称号 |
| 関係機関 | 旧宮廷礼式局、近代式典研究会 |
| 代表文献 | 『御座具小記録』 |
| 異称 | ぽうぎ御座、帝札 |
| 廃止 | 1948年頃 |
ぽうぎ帝(ぽうぎてい、英: Pougitei)は、の近世から近代にかけて用いられたとされる、儀礼用の簡易玉座およびその周辺慣習の総称である。の旧宮廷儀礼との港湾祭礼が交差する中で成立したとされ、のちに系の式典記録にも断片的に現れる[1]。
概要[編集]
ぽうぎ帝は、特定の人物を恒久的な君主として指す語ではなく、儀礼の場において一時的に据えられる小型の座具と、その座に伴う称号運用を指す概念である。一般にはの公家社会で整えられた格式と、・の港町で発達した即興的な祝祭作法が融合したものと説明されるが、成立経緯には複数の異説がある[2]。
名称の「ぽうぎ」は、古い帳簿に見える「奉儀」あるいは「抱輝」の崩し字が転訛したものとされる一方で、の山間部に残る口伝では、祭具を運ぶ際の掛け声「ぽうぎ、ぽうぎ」に由来するとされている。なお、近年の民俗学では、玉座そのものよりも、座に触れる前に3歩退く所作のほうが本体であった可能性が指摘されている[3]。
歴史[編集]
起源伝承[編集]
最古の伝承では、ぽうぎ帝はに近くの木工職人・村瀬新八が、壊れた文台を改造して作った「移動式の即席座」に始まるとされる。これを筋の某家が年始の拝礼で用いたところ、座り方が妙に威厳を帯びたため、以後「帝のように見える椅子」と呼ばれたという[4]。
一方で、後期のの講談席では、芝居の合間に子どもが座る「ぽうぎ枠」が既に存在していたという説もあり、こちらでは玉座というより席順の順番札に近かったとみられる。いずれにせよ、初期のぽうぎ帝は権威の象徴というより、場の空気を過剰に整えるための道具であった。
制度化と拡散[編集]
頃になると、の礼式指南役・藤堂静馬が『御座具小記録』を著し、ぽうぎ帝の高さ、布地の折り返し、脚部の傾斜角を「九分三厘以内」と規定したとされる。これにより、地方の祭礼においても似た座具が模倣され、、、などの城下町に広がった[5]。
また、初期にはの式典係が「臨時座標準票」を配布し、天皇制儀礼とは無関係ながらも、県主催の博覧会や勧業祭でぽうぎ帝に類する座具を置くことが流行した。もっとも、当局はその宗教性を嫌い、書類上は常に「折畳台」または「式台小」と記されたため、後世の研究者を悩ませている。
衰退と再評価[編集]
後、ぽうぎ帝は占領期の式典簡素化の波を受けて急速に姿を消したとされる。特にの「三間離隔指針」により、座具の前に無駄な余白を置くことが禁止され、従来の威厳演出が困難になったことが大きい[6]。
ただし、以降、民芸運動と地域史ブームの中で再評価が進み、やの一部神社で復元展示が行われた。復元品の中には、背もたれに産の葦を編み込んだものや、座面下に無駄に鈴が24個付いたものがあり、いずれも「当時の音の権威」を再現したと説明されている。
構造と作法[編集]
ぽうぎ帝の基本構造は、座面、外枠、可動脚、礼布の4要素から成るとされるが、実際には「どこまでが座でどこからが周囲の空気か」が曖昧である点に特徴がある。古式のものでは、座面の中央にで極小の円紋が描かれ、これを踏まずに座ることが礼法の核心とされた[7]。
作法としては、着座者は必ず右足から3歩進み、いったん空中で止まってから腰を下ろす。この停止動作は「ぽうぎ止まり」と呼ばれ、失敗すると周囲の者が一斉に咳払いをして威厳を補正したという。なお、の商家では、咳払いの回数を偶数にする独自流儀があり、学派間でしばしば論争になった。
また、ぽうぎ帝には「半帝」「雨帝」「返帝」の3つの状態があるとされる。半帝は屋内儀礼用、雨帝は屋外祭礼で布を二重に掛けた状態、返帝は式典終了後に誰が片付けるか決まらないまま廊下に放置された状態を指す。とくに返帝は、の旧商家で年末まで残り続けた例があると記録されている。
社会的影響[編集]
ぽうぎ帝は、単なる座具でありながら、地方行政における席次、祝詞の長さ、来賓の退場速度にまで影響を与えた。たとえばの勧業品評会では、ぽうぎ帝を中央に置いたことで開会式が予定より18分延び、以後「中央配置は議事を鈍らせる」として会場設営の教訓になったとされる[8]。
教育面では、の作法教材に「座る前に会場の空気を読む」という項目が挿入され、これが後年の接遇文化に微妙な影響を残したともいわれる。一方で、商業利用も活発で、系の菓子舗が「ぽうぎ最中」を発売し、箱の中に小さな座布団型の緩衝材を入れたところ、贈答品として定着した。
また、ぽうぎ帝は演劇や寄席の世界にも取り込まれた。特にの興行師たちは、舞台袖にこれを置いて「本日の座長はここにいる」と示す演出を行ったため、観客は実在の人物より先に空席へ拍手するようになったという。これは後の舞台照明史にも影響したとされる。
批判と論争[編集]
ぽうぎ帝をめぐっては、そもそも実在したのかという根本的な批判がある。とりわけの史料批判研究では、19世紀の記録に現れる「ぽうぎ帝」は筆写の誤読であり、実際には「ぼうぎ座」「ほうぎ亭」など複数の異語が混線したものではないかとする説が提示された[9]。
また、儀礼の中心に「座具」を置く発想そのものが、特定の階層に威厳を誇示する装置であったとして、戦後の文化批評では否定的に論じられた。これに対し地域史家は、ぽうぎ帝は権威のための器具ではなく、むしろ会議を早く終わらせるための心理的保険であったと反論している。
さらに、にで復元公開された個体が、実はの既製椅子に和布を巻いただけだったことが判明し、「復元のほうが原型より真実味がある」と話題になった。この事件以後、研究者のあいだでは「ぽうぎ性」の定義を巡る論争が現在も続いている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 藤堂静馬『御座具小記録』京洛礼法社, 1833年.
- ^ 村瀬善之助『港町祭礼と可搬式玉座の研究』民俗志刊行会, 1912年.
- ^ 中村久太郎「ぽうぎ帝の成立と変転」『日本儀礼史研究』Vol. 14, No. 2, pp. 115-143, 1968.
- ^ Margaret A. Thornton, "Portable Thrones and Civic Gravity in Early Modern Japan," Journal of Ritual Studies, Vol. 9, No. 1, pp. 44-67, 1987.
- ^ 佐伯道彦『内務省式典係資料集成』中央文化資料出版社, 1959年.
- ^ 斎藤一葉「返帝現象と家政の季節性」『民俗と器物』第22巻第4号, pp. 201-219, 1976年.
- ^ Hiroshi Watanabe, "The Nine-Rin Rule: Measurements of Authority," Proceedings of the Kyoto Forum of Decorative Authority, Vol. 3, pp. 9-28, 1994.
- ^ 小松原晶子『近代日本における空席の政治学』青波書房, 2004年.
- ^ 渡辺精一郎『誤読史料と儀礼語彙の転訛』東都大学出版会, 2011年.
- ^ 『ぽうぎ帝と椅子の神話』、関西文化評論社, 2020年.
外部リンク
- 国立式典史資料室
- 近畿民俗工芸アーカイブ
- ぽうぎ帝復元推進委員会
- 式礼用具研究フォーラム
- 港町儀礼文化館