まんちんちっち
| 名称 | まんちんちっち |
|---|---|
| 別名 | 三拍口上、ちっち節 |
| 分類 | 口上芸・民俗音声遊戯 |
| 起源 | 1920年代の東京下町とされる |
| 主な伝承地 | 東京都台東区、墨田区、神奈川県川崎市一帯 |
| 成立年 | 1927年頃 |
| 構成 | 導入句・跳ね拍・返し句の三部 |
| 保護団体 | まんちんちっち保存会 |
| 代表的記録 | 『浅草小唄と口上の系譜』(1958年) |
| 関連祭礼 | 下町拍子祭、三ノ輪夜店芸大会 |
まんちんちっちは、初期の下町で成立したとされる、節回しと手拍子を組み合わせた即興型の口上芸である。もとは縁日での客寄せ文句として広まったが、のちにとの共同調査によって、特定の拍子型をもつ独立した文化実践として整理された[1]。
概要[編集]
まんちんちっちは、一定の語頭反復と短い手拍子を核とする口上芸であり、の夜店や寄席周辺で発達したとされる。話芸、囃子、即興の掛け合いが混交しているため、民俗学では東部の都市型芸能として扱われることが多い。
この芸能は、観客の注意を引くための「一声二拍三笑」を基本原理とし、短い韻律の中に商品説明、世間話、厄払いの要素を織り込む点に特徴がある。なお、初期の記録では「まんちん」「ちっち」がそれぞれ別系統の呼称であったともされ、後年に一体化したという説が有力である[2]。
歴史[編集]
成立と初期伝承[編集]
起源は夏、花川戸の飴屋「三河屋」の店先で、店主の渡辺善六が雨よけの客寄せとして始めたという伝承が有名である。渡辺は、拍子木の代わりに菓子箱の角を叩き、語尾を「ちっち」と上げることで子どもの足を止めたとされる。
もっとも、の古い雑記には、同年の縁日で似た口調の呼び込みが複数目撃されたとの記述があり、単独の創始者を特定するのは難しい。民俗音響研究会は、当初のまんちんちっちが「語の意味」よりも「声の立ち上がり」に価値を置いた点を重視している[3]。
戦前の普及[編集]
に入ると、の動物園前、の飲食街、の工場門前など、人の滞留が生じる場所で広く使われるようになった。特に油脂工場の昼休みには、作業着のまま模倣する者が増え、短い掛け合いの最後に膝を打つ所作が追加されたという。
には、浅草公会堂の前身施設で開催された「下町話芸保存会発表会」において、当時17歳の高梨とし江が女性初の正式披露を行った。彼女の演目は、五七五のリズムを無理に崩してから戻すもので、観客の笑いが起こるまで平均で8.4秒かかったと記録されている[4]。
戦後の再編[編集]
戦後は一時衰退したが、にの古書店主・松井嘉平が「声の復興運動」の一環として再評価を提唱したことで、寄席芸の周辺で再流行した。松井は、まんちんちっちを「戦後都市の断片化した会話をつなぐ装置」と論じ、の学生新聞にも引用された。
この時期に成立した定型は、冒頭で「まんちん」、中盤で「ちっち」、締めで「ほい」と置く三段構成である。ただし、関西圏に伝わった系統では締めが「へい」に変化し、これを巡っての民芸大会で軽い論争が起きたとされる。
形式と演目[編集]
まんちんちっちの基本演目は、導入句・跳ね拍・返し句からなる。導入句では名乗りと目的を述べ、跳ね拍で2回または3回の手拍子を打ち、返し句で商品名や願掛けの文句を落とす。この構造は、の枕との中間に位置するものとして整理された。
代表的な型としては「朝市型」「厄除け型」「夜店型」の三類があり、朝市型は魚介の呼び込み、厄除け型は門付け、夜店型は玩具や飴の販売に用いられた。なお、の記録では、最長演目として4分12秒の連続まんちんちっちが確認されており、演者は終了後に水を三杯飲まねばならなかったという[5]。
社会的影響[編集]
まんちんちっちは、単なる呼び込みにとどまらず、の都市生活における「見知らぬ者同士の接続方法」として評価された。特にの調査では、まんちんちっちを導入した露店は、未導入店に比べて初回接触率が17%高いという結果が出たとされる。
一方で、過度に語頭を伸ばすことによる近隣騒音の問題も指摘され、にはの一部で「まんちんちっち自粛申し合わせ」が作成された。もっとも、同文書の末尾には担当者が私的に「ただし梅雨時は例外」と書き込んでおり、運用はかなり曖昧であった。
批判と論争[編集]
批判の中心は、その起源が口承であるために、真正性の検証が難しい点にある。とりわけの『民俗音声年報』で、初期のまんちんちっちが実際には「まんじゅう売りの誤読」から生じたのではないかとの仮説が提示され、保存会との間で小規模な論争が起きた[6]。
また、が制定した「標準まんちんちっち」では、語尾の上げ幅を3度以内とする規定が置かれたが、現場では7度近く跳ね上げる演者が後を絶たなかった。これについて老練な演者の宮下徳次は「3度では客が振り向かぬ」と述べたとされるが、出典は一冊の飲み屋帳面のみである。
現代における位置づけ[編集]
に入ると、まんちんちっちはとの双方で再評価され、やで企画展示が行われた。若年層の間では、短文投稿文化との相性の良さから、1行を2回繰り返して最後に小さく「ちっち」と添える型が流行した。
ただし、デジタル化に伴い、拍子が自動補正されてしまう問題が発生している。2022年には、スマートフォンの音声入力が「まんちんちっち」を「満ちん、地値」と誤認識し、保存会がメーカーに要望書を送付したという。
脚注[編集]
[1] 田嶋久雄『下町口上芸の成立史』東都民俗出版社, 1964年。
[2] 河合ミツ『拍子語彙と都市雑芸』青空書房, 1978年。
[3] 民俗音響研究会編『東京東部の声と商い』第12巻第3号, 1981年, pp. 44-58.
[4] 高梨とし江「女性演者の初期記録について」『浅草芸能叢報』Vol. 7, 1937年, pp. 12-19.
[5] 松井嘉平『戦後寄席と呼び込みの再生』神田文化研究所, 1954年。
[6] 杉山啓介「誤読としての民俗芸」『民俗音声年報』第9号, 1973年, pp. 101-109.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田嶋久雄『下町口上芸の成立史』東都民俗出版社, 1964年.
- ^ 河合ミツ『拍子語彙と都市雑芸』青空書房, 1978年.
- ^ 民俗音響研究会編『東京東部の声と商い』第12巻第3号, 1981年, pp. 44-58.
- ^ 高梨とし江「女性演者の初期記録について」『浅草芸能叢報』Vol. 7, 1937年, pp. 12-19.
- ^ 松井嘉平『戦後寄席と呼び込みの再生』神田文化研究所, 1954年.
- ^ 杉山啓介「誤読としての民俗芸」『民俗音声年報』第9号, 1973年, pp. 101-109.
- ^ Margaret A. Thornton, The Rhythms of Street Calling in East Asia, Harbor Press, 1991.
- ^ Kenji Morita, Urban Chant and Market Acoustics, Vol. 3, No. 2, 2004, pp. 77-96.
- ^ 小宮山修一『拍子と商いの民俗誌』風鈴館, 1988年.
- ^ A. S. Bell, “Three-beat Oral Signals and Crowd Response,” Journal of Comparative Folklore, Vol. 18, 2009, pp. 201-223.
外部リンク
- まんちんちっち保存会
- 東都民俗アーカイブ
- 下町芸能データベース
- 民俗音響研究ネットワーク
- 川崎都市文化資料室