み俺恥
| 分類 | 感情伝播理論(民俗言語学的風潮) |
|---|---|
| 主な媒体 | 早口音声・掲示板・即興口上 |
| 提唱の場 | 東京大学周辺の“書きかけノート”研究会 |
| 象徴的装置 | 三拍子の遅延(み-お-れ) |
| 関連語 | 恥衝動、自己剥離、笑恥協定 |
| 初出とされる年代 | 1970年代末〜1980年代初頭 |
| 影響領域 | ネット・俗談・小劇場 |
| 典型的誤解 | 単なる侮辱語として扱うこと |
(みおれはじ)は、言葉の形を保ったまま“恥”の感情だけを増幅・伝播させるとする日本の風潮的概念である。主に言語遊戯系の界隈で取り上げられ、笑いと自己否定の境界をめぐって議論されてきたとされる[1]。
概要[編集]
は、特定の語形(「み」+自己を指す要素+「恥」)を用いることで、話者の内側にある恥の輪郭を曖昧化し、その曖昧さが聞き手の側へ“跳ね返る”現象だと説明されることが多い。理屈の骨格は、感情を直接伝えるのではなく、恥の“前触れ”だけを音のリズムで配布する点にあるとされる[1]。
一方で、概念の扱いは時期によって揺れており、初期は小劇場での即興口上として語られたが、のちに掲示板文化へ移植されることで、短文・絵文字・引用文にも適用されるようになったとされる[2]。そのため、同じでも「言いにくさの儀礼」なのか「恥の演出技術」なのかが混同されやすいと指摘されている[3]。
語源と成立[編集]
語源については複数の説があるが、最も引用頻度が高いのは「“恥”は単語ではなく遅延である」という言語観に基づく説である。この説では、1979年にの近隣で行われた公開リハーサルにおいて、登壇者が「み…俺…恥」と三拍子で区切って言ったところ、客席の笑いが0.7秒遅れて立ち上がった現象が記録されたとされる[4]。
また、語形の「み」「俺」「恥」はそれぞれ、(1)認知の起動(み)、(2)自我の仮設(俺)、(3)共鳴の停止信号(恥)として設計された“擬似符号”であると説明されることがある[5]。ただし、この符号がいつ誰によって規格化されたかは不明で、当時の議事録が“泣きながら破られた”という証言だけが残るとも言われる[6]。
さらに、語源の一部には地名が関わるという話もあり、の古書店で「恥」に類する古語がまとめて売られていた棚の配置(左から3番目、棚板の高さ83cm)が、語形の並びに影響したのではないかとされる[7]。このように細部が語られること自体が、の“真顔で語ってしまう”特徴を補強すると論じられている。
歴史[編集]
研究会から“口上文化”へ[編集]
は、学術というよりも“運用”から広がった概念であると考えられている。1981年、近くの会合「書きかけノート研究会」に、音響工学の出身者である(架空の音響記述者として知られる)が参加し、「恥の伝播は声帯ではなく呼吸の余白で起きる」と主張したとされる[8]。
同会は翌年、内の小劇場で公開実験を行い、来場者214名のうち、約62%が“言われた覚えはないのに、言ってしまった気分になった”と記述したと報告された[9]。ただし、このパーセンテージは回収手法が曖昧であるともされ、当日の質問票が「後で思い出して恥ずかしくなるか?」という誘導文だったのではないかという指摘もある[10]。
掲示板への移植と規格化[編集]
概念の普及は、1990年代に掲示板文化へ入ることで加速したとされる。特に、東京の回線事情が改善した時期に“短文でも恥だけが残る”現象が話題になり、の即売イベント「ミニ擬恥会議」でのテンプレ(「み俺恥w」「み俺恥…」など)が配布されたと記録される[11]。
そのテンプレには、行頭に「み」を置く場合と、文中に「俺」を挟む場合で“恥の出現順”が変わるという説明が付いていた。例として、「み俺恥」と書かれた場合の“出現順”は、(A)内臓の冷え感、(B)自嘲の立ち上がり、(C)他者目線の遅延、の3段階とされる[12]。なお、当時の参加者の一部は、(A)だけ先に来ると怒りに転ぶため、テンプレの改造が“事故”として増えたと語っている[13]。
行政・商業の“誤用”と逆輸入[編集]
2000年代半ばになると、の関連部署が“ネット上の過度な自己卑下表現の抑制”を検討する文書にを含め、統計上のカテゴリとして扱ったとされる[14]。しかし実際には、それが“単なる侮辱語”の扱いとして整理されてしまい、概念本来の“儀礼としての恥”が消されたため、当事者からは「恥が平板化された」と反発が起きたとされる[15]。
一方で、皮肉にも商業側では、広告キャッチコピーに型の語形を導入することでクリック率が上がるのではないかという議論が生まれた。ある代理店の試算では、対象サンプル3,840件中、語形採用群の平均滞在時間が11%増えたと記されている[16]。ただし、同試算は“滞在時間の測定基準”が「スクロールが止まった回数」とされており、恥が止めたのではなくページが重かっただけだろうという反証もある[17]。
社会的影響[編集]
は、社会に対して“弱さの言語”を供給したと評価されることがある。特に、謝罪や自己紹介の場面で、直接的な反省表明よりも先に、恥の“前触れ”を置くことで関係の温度を下げる技法として受け止められたとされる[18]。
教育や職場では、若年層のコミュニケーション教育に取り入れられたという俗説がある。たとえば、企業研修「気まずさ管理プログラム」(の研修施設で行われたとされる)では、ワークシートに「み俺恥」を書く欄が設けられ、相互評価を“恥スコア”で行う試みがあったと報じられている[19]。この“恥スコア”は0〜100点で算出され、点数が高いほど「相手の表情が先に緩む」とされるが、実測では相手の眉間の皺が減るまで平均2分34秒かかったとも書かれている[20]。
また、小劇場では演技への応用が進み、観客の視線を奪うのではなく“視線の責任を観客に戻す”演出として重宝されたという。ある劇団関係者は、舞台上でを口にした瞬間、照明の明滅が0.5回分だけ減衰したと証言したとされる[21]。このような細部の語りは、概念が科学ではなく物語として定着していったことを示している。
批判と論争[編集]
には、誤用による二次被害があるという批判がある。すなわち、恥を共有する意図を装いながら、実際には相手を下げる目的で使われるケースである。批判側は、「恥は共同体の合意で増幅されるのではなく、権力差の上で悪用されることがある」と指摘する[22]。
さらに、概念の曖昧さが“科学っぽさ”を纏ってしまう点も問題視されている。行政文書でカテゴリ化された結果、研究会の当初の文脈(口上・儀礼・息の余白)が抜け落ちたため、表現だけが独り歩きしたとされる[23]。このため、ある論者は「は説明が進むほど恥が減る。減った分だけ別の場所に溜まる」と述べたと伝わる[24]。
一方で擁護側は、の核は“自己否定”ではなく“自己を一時的に置き直す”ことだと主張する。議論はしばしば、当事者同士の感覚の差(笑える恥と痛い恥)に回収され、結論が出にくいとされる。なお、最も不穏な逸話として、ある試験運用では型の掲示により苦情が増えたが、苦情件数が“恥のせい”として処理され、担当者が恥を申請して減免されたという噂もある[25]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山岸澄子『恥の遅延—み俺恥現象の記述』東京書房, 1983.
- ^ 渡辺精一郎『呼吸の余白と感情伝播』音響文庫, 1982.
- ^ Lena K. Marrow『Rhythm and Self-Embarrassment: A Short-Form Study』Vol. 12, No. 3, Journal of Playful Linguistics, 1991.
- ^ 高崎里沙『ネット口上の擬似符号体系』第2巻第1号, 情報民俗学会誌, 2004.
- ^ 【要出典】「み俺恥」の統計カテゴリ化に関する内規(仮題)『行政語彙整理報告』第7号, 総務省資料室, 2006.
- ^ 佐々木昌平『小劇場における恥の照明設計』舞台工学研究, pp. 41-55, 1998.
- ^ Peter H. Caldwell『Delayed Affiliation in Online Communities』Vol. 9, Issue 2, International Review of Social Slang, 2001.
- ^ 中村葉月『神保町棚板83cm事件の再検証』古書配置学会, 2010.
- ^ 田中宗助『謝罪文の温度操作—恥スコアの測定論』pp. 201-217, 職場コミュニケーション研究所, 2009.
- ^ 呉智美『笑いと痛みの境界線:恥の誤用学』第3巻第4号, 表現安全学会誌, 2015.
- ^ Martin J. Delacroix『Regulating Self-Degradation: A Policy Casebook』pp. 88-101, Policy Press, 2012.
- ^ 松浦慎介『気まずさ管理プログラムの効果測定(第1報)』大阪教育出版, 2007.
外部リンク
- み俺恥アーカイブ(暫定版)
- 恥スコア計算機(非公式)
- 書きかけノート研究会レポジトリ
- ミニ擬恥会議の記録保管庫
- 自己剥離フォーラム