ろあ
| 名称 | ろあ |
|---|---|
| 別名 | ROA音素帯、ろあ式終端補助 |
| 分類 | 音韻学・記録技術・民俗慣習 |
| 初出 | ごろ |
| 提唱者 | |
| 主な適用地域 | 、下町、一部沿岸部 |
| 用途 | 語尾の余韻補正、帳簿の誤読防止、祝詞の締め語 |
| 流行期 | 後期〜初期 |
| 現況 | 学術上は整理済み、民間では儀礼語として残存 |
ろあは、の近世末期に発生したとされる音韻補助概念であり、のちに、、の三分野にまたがって用いられた術語である。現在では、特定の語尾を曖昧化しながら意味を補強する「ゆらぎ接尾辞」として知られている[1]。
概要[編集]
ろあは、語末に付与されることで意味の断定を避けつつ、聞き手に「確かに何かが終わった」と感じさせる補助的な音列である。古い記録では、商家の帳面、祭礼の口上、港湾の号令に共通して現れることから、単なる発声癖ではなく、後期の実務的な発明であったとされている[1]。
この語はしばしば下町の非公式な合図語として説明されるが、実際にはの前身とされる「臨時語勢調査会」の草稿にまとまった理論が見える。なお、初期の研究者の間では「ろあ」は本来2拍ではなく、喉を閉じる直前の無音を含めた3要素構造であるとの説が有力であった[2]。
起源[編集]
渡辺精一郎の仮説[編集]
ろあの体系化に最初に成功したのは、にの書肆で活動していた在野学者であるとされる。彼は、商人が「了」を書き急ぐ際に末尾へ余剰音を置く習慣を観察し、それを「了音の浮遊化」と名付けた。のちに彼の弟子であるがこの現象を「ろあ」と記し、の『終端音便考補遺』において初めて活字化したとされる[3]。
精一郎の研究ノートには、の米問屋で72回、の船宿で41回、合計113例のろあを採取したとあるが、採取方法の詳細は不明である。ある版木の裏面には「一度聞くと、帳簿が揃う」とだけ書かれており、後世の編集者がこれを誇張ではないかと疑った記録が残る。
港湾号令との関係[編集]
の開港後、ろあは荷役作業の号令語として再解釈された。とくにの冬、近くの埠頭で、綱引きの終端を知らせる「よーし、ろあ」の短縮形が広まり、作業員の同期精度が平均で17%向上したという報告がある[4]。
ただし、この17%という数値は当時の測量器具「木製拍節盤」の誤差を含むため、現代の研究者の間では再現性が低いとされる。一方で、同時期の『港夫口上録』には、ろあの有無で積荷の落下件数が年平均3.2件減少したとの記載があり、これが港湾局で半ば準公認語として扱われる契機になった。
祝詞への転用[編集]
ろあはやがて民俗宗教の領域にも浸透し、の一部神社では祝詞の結語に挿入されるようになった。これは「願意を閉じるが、余韻を断ち切らない」ための工夫で、末期の『郷社祭式便覧』では、ろあを用いた祝詞は参列者の沈黙時間が平均2秒延びると記されている[5]。
もっとも、系の旧儀式を重んじる家ではこれを俗語とみなし、明治33年の地方祭礼論争では「祝詞の語尾を市場化するもの」と批判された。これに対し、支持派は「ろあは神意の逃げ道ではなく、神意の縁側である」と応酬したとされる。
制度化と普及[編集]
ろあが制度として最も整ったのは、8年に設置された外郭の「終端発声整理委員会」においてである。同委員会は全国23都市の帳簿、伝票、作業日誌を調査し、ろあを「断定を避けるが責任を放棄しない音列」と定義した。これにより、役所文書の末尾に現れる曖昧な言い回しが、実務上はろあの一種として整理された。
また、の文書整理班では、手書き帳票の余白にろあを書き添えることで、誤読率が1,000枚あたり4.7件から1.9件に減少したとされる。なお、この改善は紙質の向上によるものとの指摘もあるが、委員会は「ろあが紙を教育した」として報告書に採用しなかった[6]。
社会的影響[編集]
商業語としての定着[編集]
初期の商店街では、閉店の挨拶に「また明日ろあ」が流行し、客の滞留時間が平均11分延びたとされる。特にとの履物店では、ろあの発声回数と売上が強い相関を示したという調査があり、当時の新聞はこれを「語尾景気」と呼んだ[7]。
一方で、過剰なろあは値切り交渉を長引かせるとして嫌われた。『東京商業新報』は、ろあを3回以上重ねる店主について「親切に見えて実は帰らせない」と評している。
教育現場での扱い[編集]
、の試験的資料『口語整頓と終端音』では、小学校低学年に対してろあの使用を禁止せず、ただし作文末尾での多用を避けるよう指導する案が示された。採点官の一部は、ろあがある答案のほうが結論が明瞭であると評価したが、別の官吏は「感情が入りすぎる」として減点基準に含めるべきだと主張した。
この対立はの附属研究室まで持ち込まれ、実験授業では児童48名中31名がろあを用いた作文を提出した。うち7名は文末がすべてろあで終わり、教師が「文章が川のように流れる」と評したという。
批判と論争[編集]
ろあをめぐる最大の論争は、それが「音」であるのか「習慣」であるのか「帳簿上の記号」であるのか、分類が一貫しなかった点にある。とりわけの『語勢研究年報』第12号では、ろあを独立音素とする立場に対し、「実際には息継ぎの失敗を後付けで理論化したに過ぎない」とする批判が掲載され、編集部に抗議が23通寄せられた[8]。
また、戦後にはのアナウンス研修でろあ的語尾が「不必要な情緒」として排除された一方、地方の市場放送では逆に親しみの表現として再評価された。このため、同じ発音でも「公共性がある」とされる場合と「個人的すぎる」とされる場合が分かれ、現在でも音声教育の現場で見解が割れている。
なお、にの研究室が行った実験では、ろあを聞いた被験者の7割が「未完了だが安心する」と答えたが、残り3割は「誰かが話を畳み忘れた」と回答した。この両義性こそが、ろあを長く生き延びさせた要因であるとする説がある。
現代的再評価[編集]
に入ると、ろあはや短文投稿文化の文脈で再発見された。投稿の末尾に「ろあ」と付けることが、断定を避けつつ共感を示す合図として使われ、特に以降の若年層では、文末の「。」を省略する代替表現として流通した[9]。
の民俗音声博物館では、2021年から「ろあの揺れ展」を開催し、来場者が実際にろあを発音すると、展示音声の再生速度が0.8倍から1.1倍の範囲で変化する装置を導入した。展示担当者はこれを「聞き手が意味を補完する速度を可視化したもの」と説明しているが、装置の内部に扇風機があることから、物理的要因ではないかとする意見もある。
現在では、ろあは厳密な学術語としてよりも、文章の終端を柔らかくする修辞として理解されている。もっとも、の一部編集者は今なお、脚注の末尾にろあを入れることでページの体裁が整うと信じている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『終端音便考補遺』浅草書肆、1798年.
- ^ 松浦兼蔵『ろあ起原私記』深川文庫、1821年.
- ^ 臨時語勢調査会編『港湾作業と終端語の研究』内務省印刷局、1874年.
- ^ 石川澄子「祝詞末尾における余韻成分」『民俗音声学雑誌』Vol. 8, No. 2, pp. 41-58, 1912.
- ^ 中村久雄「ろあの制度化と帳簿文化」『東京社会史研究』第14巻第3号, pp. 201-229, 1929.
- ^ Henry T. Wexler, “On Terminal Vowel Drift in Port Cities,” Journal of Applied Philology, Vol. 17, No. 4, pp. 88-103, 1937.
- ^ 小山内ミツ『口語整頓と終端音』文部省教学資料第31号、1934年.
- ^ 田島研一「戦時下におけるろあの抑制」『語勢研究年報』第12巻第1号, pp. 5-19, 1941.
- ^ Margaret L. Henshaw, “The Soft Closure Phenomenon and Urban Speech Rituals,” Linguistic Quarterly, Vol. 22, No. 1, pp. 1-26, 1968.
- ^ 西園寺理恵『ウェブ時代のろあ再興』青磁社、2019年.
- ^ 菅原道雄『ろあの博物館学』京都民俗出版、2022年.
外部リンク
- 国際ろあ学会
- 民俗音声アーカイブス
- 終端語研究所
- 東京下町口上データベース
- ろあ文化振興センター