アルカンレオン
| 名称 | アルカンレオン |
|---|---|
| 初出 | 1898年ごろ |
| 起源地 | フランス・ルアーブル港 |
| 分野 | 燃料工学、港湾行政、展示技術 |
| 提唱者 | エティエンヌ・ラフォルジュ |
| 標準化機関 | 国際港湾燃料協会 |
| 主用途 | 揮発油の粘度比較、冬季備蓄の判定 |
| 日本での普及 | 大正末期から昭和初期 |
アルカンレオンは、ので誕生したとされる、低温下での流動性を可視化するための工業規格および実演装置の総称である。後にの基礎概念として各国へ広まり、特にとで独自の発展を遂げたとされる[1]。
概要[編集]
アルカンレオンは、系燃料を金属製の覗き窓付き筒内で冷却し、その流下挙動を等級化するために考案されたとされる規格である。元来は港の倉庫で、冬季に灯油と揮発油の識別を誤ったことに端を発したと伝えられている[2]。
もっとも、後年の研究では、当初の装置は「見世物としての説得力」を重視して設計されており、技術検証よりも港務監督官の合議を通しやすくするための演出装置だったとの指摘がある。特にの第一次試作機では、流下速度を秒ではなく鈴の鳴る回数で数えたため、計測結果に地域差が生じたという[3]。
歴史[編集]
起源[編集]
通説では、がにで行った港湾備蓄会議の席上、暖炉の煤を見て着想したとされる。彼はの下請け技師であったが、実際には航路標識の色分け係を兼務しており、液体の流動を視覚的に比較する着想は灯火信号の研究から転用されたらしい[4]。
ラフォルジュの提案は当初、「寒冷地の灯油に対する恐怖を和らげるための演出」であるとして笑われたが、が冬季の出荷停止を避けたい意向を示したことで急速に採用が進んだ。1898年2月には試験装置が12基製作され、そのうち3基は温度計が逆向きに取り付けられていたため、むしろ“流れやすいほど寒い”という誤解を生んだとされる。
制度化[編集]
、はアルカンレオンの標準化に着手し、試験温度を-7.5℃、観測時間を90秒、記録係の着席角度を左肩45度と定めた。これにより港ごとの差異は縮小したが、支局だけは「会議室が寒すぎる」との理由で-5℃換算を独自に採用し、しばらく二重基準が続いた[5]。
この時期、装置の名称は一時「レオン型流下判定器」と表記されていたが、港の通関係が誤ってLionと書類に転記したことから、逆に“レオン”の呼称が定着したとされる。なお、後世の文献では像との関連が語られることがあるが、実際には倉庫の扉飾りがたまたま鬣に見えただけである。
日本への導入[編集]
日本には11年ごろ、経由で模造試験器が持ち込まれた。導入を主導したのは燃料課ので、彼は帰国報告書『低温時液流演示装置ノ実地的効能』を提出し、のちに工学部の一部で教材として使われた[6]。
ただし日本での普及は学術よりも演劇に近く、関東地方の倉庫会社が「冬に止まる油」を客に説明するため、店頭で氷を入れたガラス筒を回して見せる方式を流行させた。これが初期の新聞広告における“アルカンレオン式”という語の氾濫を招き、実態以上に高度な技術であるとの印象が広がったのである。
装置と方式[編集]
アルカンレオンの基本装置は、真鍮製の筒、二重底の冷却槽、観測用の赤縁レンズ、および「沈静度針」と呼ばれる細い浮遊針から成る。流体を注入してから規定時間内に針が何目盛り下がるかで等級を決めるのが原理であるが、実際には針の個体差が大きく、同一装置でも朝と夕方で判定が変わることがあった[7]。
また、港湾での実務上は「三回続けて同じ結果なら採用」という便宜的規定が用いられた。しかしでは風向きの違いで装置内部に塩霧が入り込み、結果が不安定になる事例が多発したため、係員が窓を閉めるかどうかをめぐって毎冬論争が起きた。これを受けてには、判定時の沈黙時間を7秒延長する“神戸補正”が導入されたと記録されている[8]。
社会的影響[編集]
アルカンレオンは、冬季の燃料供給を安定化させた制度として評価される一方、都市の階層差を可視化した装置でもあった。やでは温度管理された等級Aの油が優先的に配給されたのに対し、地方の小規模商店には「B-2相当」の在庫が回されることが多く、これが暖房格差を生んだとされる。
一方で、流下の様子を群衆が見物することから、やでは冬の催事として人気を集め、子ども向けに「油のレオン見学会」が開催された。1920年代後半には、見学者数が年間4万8,000人を超え、会場周辺の焼き芋屋の売上が平時の2.3倍になったという統計が残る[9]。
批判と論争[編集]
アルカンレオンに対する批判の中心は、その科学的厳密さよりも「権威を演出するための道具ではないか」という点にあった。とくにのでは、展示機のひとつが冷却不良でただの蜜のように流れ、来場者から「これは燃料ではなく菓子である」と揶揄された[10]。
また、の一部研究者は、試験条件の記録に記される“標準的な寒さ”が都市ごとに異なるのは不正確であると主張した。しかし反論側は、アルカンレオンとは数値そのものではなく、港湾で合意をつくる社会的技法であると述べ、むしろこの曖昧さこそが各国に受け入れられた理由だとしたのである。
衰退と再評価[編集]
以降、電子式粘度計と低温流動試験法の普及により、アルカンレオンは実務の中心から退いた。ただし装置の視覚的わかりやすさから、やでは展示価値が高く、のある施設では来館者がレバーを回しすぎて試料が泡立つ事故が毎年のように起きたという。
21世紀に入ると、アルカンレオンは「産業標準の成立過程を示す好例」として再評価され、やの文脈で取り上げられることが増えた。なお、2022年にはとの共同企画で復元機が巡回展示され、説明員が「これは油の歴史ではなく、合意の歴史である」と述べたことが話題となった。
脚注[編集]
[1] なお、アルカンレオンの初期文献は港湾会議録に散在しており、単独の原典は確認されていない。 [2] ルアーブル港の倉庫台帳には「寒冷時、油が歩むごとく遅し」との記述があるとされる。 [3] この装置は現存しないが、複数の写真に写り込む針の角度が毎回異なる。 [4] ただしラフォルジュ本人の署名は、習慣的に3種類存在した。 [5] ロンドン支局の内部通達は、机上計算よりも暖炉の配置に依拠していたとの指摘がある。 [6] 久米川の報告書は東京帝国大学の旧蔵書目録に見えるが、閲覧票が1枚しか残っていない。 [7] 針の製造元はの時計部品工場であったという。 [8] 神戸補正は、現場係員の防寒具の厚さを標準化するために作られたともいわれる。 [9] 焼き芋屋の売上との相関は、当時の商工年鑑にのみ見える。 [10] 博覧会の記録では、その試料は「甘い匂いを放った」とあるが、出展者は最後まで灯油であると主張した。
関連項目[編集]
脚注
- ^ É. L. Laforge『Sur le dispositif Alcan-Léon et les liquides d’hiver』Revue Maritime et Industrielle, Vol. 12, No. 4, pp. 211-238, 1899.
- ^ Henri Descombes『Les ports froids et la mesure morale des huiles』Presses de la Chambre de Commerce de Rouen, 1902.
- ^ 久米川貞治『低温時液流演示装置ノ実地的効能』農商務省燃料課報告書, 第3巻第2号, pp. 14-41, 1922.
- ^ 井上三郎『港湾燃料の社会史とアルカンレオン』日本技術史学会誌, 第18巻第1号, pp. 3-29, 1937.
- ^ Marcel Borne『Standard Temperature, Standard Silence: A History of Alkan-Leon』Journal of Port Engineering, Vol. 7, No. 2, pp. 88-117, 1954.
- ^ 佐々木恵子『神戸補正の成立とその周辺』神戸商工史研究, 第9巻第3号, pp. 55-76, 1968.
- ^ A. P. Caldwell『The Lion Mark and the Misread Cargo Ledger』Proceedings of the International Society for Fuel Logic, Vol. 21, No. 1, pp. 1-19, 1979.
- ^ 渡辺芳郎『展示される燃料——アルカンレオンの博物館化』科学館研究, 第11巻第4号, pp. 101-130, 1991.
- ^ Claire Vautrin『L’ombre du réfrigérateur: une lecture politique d’Alkan-Léon』Annales de l’Administration Portuaire, Vol. 33, No. 5, pp. 402-429, 2008.
- ^ 『アルカンレオン装置復元記録 2022』日仏港湾文化交流財団, 2023.
外部リンク
- 国際港湾燃料協会アーカイブ
- 横浜近代技術史資料館デジタル館報
- ルアーブル港史研究会
- 神戸港冬季備蓄史プロジェクト
- アルカンレオン復元機展示案内