アルピンコ
| 名称 | アルピンコ |
|---|---|
| 別名 | 高山調味粉、山腹菌末 |
| 起源 | 1898年ごろのスイス山岳測量局 |
| 主成分 | 乾燥乳清、麦芽、岩塩、菌床由来酵母 |
| 用途 | 携帯食、保存食、登山食、寒冷地の汁物補強 |
| 普及地域 | アルプス山麓、日本の山岳都市、北欧の一部 |
| 標準配合比 | 100:17:4:0.8 |
| 代表的製造組織 | 国際アルピンコ協会 |
| 文化的意義 | 山岳共同体の共同炊事を象徴する食品 |
アルピンコ(Alpinko)は、周辺で生まれたとされる、山岳地帯の風味を再現するための発酵粉末およびその調合法である。にの測地学者たちが高地での栄養補給を目的に体系化したとされ、のちにでは携帯食・登山食の文脈で広く知られるようになった[1]。
概要[編集]
アルピンコは、粉末状の保存性調味料であり、湯や乳脂肪に溶かすことで、山小屋の炊事に近い香りを再現するとされる食品体系である。現在は登山用品店や一部の郷土食博物館で見かけることがあり、実務上は「標高が上がるほど味が濃く感じられる」設計思想を持つ点で知られている[2]。
その起源は、にの周縁で行われた高地観測計画にさかのぼるとされる。測量隊の食糧係であったが、保存乳の粉化に山地植物の灰を微量添加したところ、長期携行でも味が鈍らない現象が観測され、これが後のアルピンコの原型になったという[3]。
歴史[編集]
創成期[編集]
創成期のアルピンコは、主としての測量宿舎で用いられた簡易補給剤であった。1899年の冬、近郊の観測小屋で配布された試作品は、湯に溶かすと白濁し、表面に細かな泡が立つことから「雪解けの汁」と呼ばれたが、当時の隊員日誌には「二杯目から急にうまい」と記されている[4]。
また、初期配合にはの乾燥花弁が含まれていたとされるが、香りが強すぎたため1902年に廃止された。なお、この変更が「アルピンコには微量の花粉が必要である」という都市伝説を生み、のちに各地で無闇に山野草を混ぜる模倣品が出回った。
大衆化[編集]
にはの食品技師が、軍用乾燥食の規格に合わせて粒径を均一化し、保存期間を18か月に延ばしたとされる。これによりアルピンコは登山隊のみならず、都市部の労働者弁当や学校給食の試験採用にも進出した。
、のにあった輸入食品商「北洋商会」がアルピンコを「山岳滋養粉」として紹介したことで、日本国内でも知名度が急上昇した。とくに末期の山岳文学ブームと結びつき、やへの旅行記にしばしば登場するようになった[5]。
制度化と標準化[編集]
にはで国際アルピンコ協定が草案化され、原料に含まれる乳清比率と塩分濃度が細かく規定された。ここで決められた「100:17:4:0.8」の比率は、現在でも「黄金比」と呼ばれているが、実際には会議の昼食で出たスープの味を再現しただけだとする証言もある。
第二次世界大戦期には、の補助糧食として一部地域で配給されたとされる一方、山岳部の密輸市場では「濃縮版アルピンコ」が高値で取引された。戦後、この密輸版を逆輸入する形でとの一部飲食店が独自の汁物文化を発展させたという説が有力である。
製法[編集]
アルピンコの製法は、表向きには単純な乾燥粉末の調合であるが、伝統派は「一度霧に当てる工程」が不可欠であると主張する。霧当ては沿岸の低湿倉庫で行われることが多く、湿度74〜78%の条件で12分間だけ露置するのが理想とされる[6]。
標準的な工程では、を微粉砕したのち、とを混合し、さらに菌床由来の酵母を0.8%だけ加える。仕上げに木製桶で7日間静置すると、粉末でありながら「ほのかな山小屋臭」が形成されるという。なお、研究者の間では、この臭気は実際には木桶に染み込んだの寄与が大きいとの指摘がある[7]。
文化的影響[編集]
アルピンコは、単なる調味料を超え、山岳共同体における「共有鍋」の象徴として扱われてきた。とくにの一部では、初雪の日に家族が小鍋を囲み、最初の一匙を窓辺に置いて山の精に返す風習があるとされるが、これはに観光業者が作った習俗である可能性が高い。
日本では、40年代の登山ブームとともに「アルピンコ入りの味噌汁」が山小屋の定番として広まった。だが実際には、山小屋ごとに味が異なり、ある施設ではコーヒーに入れて提供していたことが新聞記事になり、の衛生課が「混ぜ方に対する自主基準の必要性」を通知したという逸話が残る[8]。
批判と論争[編集]
アルピンコには、発祥をめぐる複数の対立説がある。スイス起源説が通説である一方、の地方では「本来は牧羊民の保存チーズ粉であった」と主張され、側は「軍用スープの副産物にすぎない」と反論している。
また、1978年にが成分表示の透明化を求めた際、アルピンコの一部製品からごく微量のとが検出されたことが話題になった。メーカー側は「香りの揺らぎ」と説明したが、消費者団体は「粉末の顔をした地域紛争である」と批判した。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Johann Keller『The Alpine Powder and Its Social Circulation』Zurich Studies Press, 1938.
- ^ ハンス・マティス『高地測量日誌 1898-1904』ベルン山岳資料館刊, 1905.
- ^ Ernst von Keller, "Standardization of Dried Dairy Condiments", Alpine Nutrition Review, Vol. 12, No. 3, pp. 41-58, 1913.
- ^ 渡辺精一郎「山岳滋養粉アルピンコの輸入史」『食文化史研究』第8巻第2号, pp. 113-129, 1931.
- ^ M. L. Fuchs, "Fog-Aging in Portable Seasonings", Journal of Mountain Foods, Vol. 4, No. 1, pp. 7-19, 1947.
- ^ 国際アルピンコ協会編『アルピンコ標準規格 第2版』ベルン, 1952.
- ^ 佐々木園子「昭和登山ブームと粉末スープ文化」『山の生活と衛生』第15巻第4号, pp. 201-220, 1971.
- ^ Claudia Rainer『The Smell of Chalet Board: An Ethnography』Innsbruck Alpine Institute, 1984.
- ^ 田中修一『粉末の帝国――携行食と近代山岳社会』北風書房, 1999.
- ^ A. B. Montfort, "Microflora in Rock Salt Blends", Proceedings of the Bern Conference on Condiments, Vol. 6, pp. 88-97, 2008.
- ^ 『アルピンコと霧置きの科学』日本山岳調理学会紀要, 第3巻第1号, pp. 1-14, 2016.
外部リンク
- 国際アルピンコ協会
- ベルン山岳資料館
- 日本山岳調理学会
- 山小屋食文化アーカイブ
- アルピンコ規格委員会